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≪わたしごと33≫希望をイメージできるもの

私たちは何によって支えられているのか?無宗教と答える人の多い日本において、希望をイメージできるものって何か?

そんな問いを宗教学者の先生のオンライン授業でたまたま聞いた。私自身特別宗教を持っている訳ではない。昔私は、ヨーロッパの人は皆熱心なキリスト教徒だと思っていたけれど、個人個人に聞くと特に聖書を読んでるわけでもないし、教会に行くでも無く、まぁ強いて言うならキリスト教かなという人が、私があった中では大多数だ。

個人レベルでは、なんだか日本とそう違わないかなと思ったりする。日本人は無宗教だといいつつも、結構無意識的に宗教的だったりする。ただヨーロッパはキリスト教を基盤にした社会だというのは、それはそうかなと思う。

では、日本は何によって支えられているのか?支えがないからゆらぐ気もするけど、ゆらぐのが日本人で、そのゆらぎの中で悪く行ったら曖昧な、良く行ったら許容量の大きい多様性を、育んでる気がしないでもない。

そんな曖昧な中で、希望をイメージ出来るものって何かと言ってもぼやけるが、一つあるのは、一回終わって始まるという"再生感"かなと思う。年号だとか、遷宮だとか、新築とか。新学期とか、春とか、新調とか。一回死んで生まれ変わる、神も若返りが必要なんて言う発想は、西洋からすると驚きだ。

古いものが尊ばれる事と、新しくすることで生命力をよみがえらせるもの。日本人の死生観や自然観は、elusiveだ。巧みに逃げる、なかなかわかりにくい、つかまえどころのない、と訳があるが、捕まえられてたまるかみたいな、自然の大きさに対する日本人の余白が、文字では無く何か他のもので埋められている様な気がする。

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