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≪わたしごと25≫What would YOU like to do?

自分は何になりたいのか、というのを見つけるのは難しい。何をしたいかもなかなか出てこない。どうしたらすんなり出てくるようになるのだろう?これは教育が大きいのではないか、という仮説を立ててみる。

教育と仮説をたてておきながらいきなりズレるが、私のイギリスでの仕事を通しての経験で、始め聞きなれなかった質問が、"Are you enjoying?" と"Are you happy?"だ。あと"What would YOU like to do?" 要するに、どれも"私"が主語の返事が求められ、あなたはどう感じているか?という質問だ。

これが何故聞きなれなかったかというと、仕事は求められる基準に沿うように進められ、どちらかと言うと上のボスがハッピーかどうかの方が重要だと思っていたからだ。その過程で自分がハッピーか、自分がエンジョイしてるか、という質問は二の次の場合が多いのではないか。これは要するに、他人を軸とした思考だ。どうしたい?と聞かれて、例えばOOした方がいいですよね、と答えると、いや、あなたがどうしたいかをきいてるんだよ、と言われたことも何度かある。

このアプローチは、実は仕事だけではない。見ていると、親がこどもに同じ質問をしている。その子はどうしたいか、その子はハッピーか、その子はどう思ったか、でそれは何故か。こどもも一人の人間だ。こどもは聞かれるから、自分主語で考える。なぜ?と言語化する事を促されるから、becauseのくせがつく。

自分の気持ちや考えに意識的になるのは、たぶん習慣の問題だと思う。Happyとかenjoyを生活で重視するか否かは、文化ではないか。

ここで教育に戻るが、私たちは自分がどうしたいかを中心にして考える機会が学校でも家庭でも、教育の過程でとても少ないのではないか。自分が今楽しんでいるかハッピーかを自分に問う事と、そこに価値を置き日々の優先順位を決めるという事をせずに、どちらかというと我慢して、受動的に見送る日数が多すぎるのではないか。

自分の人生を生きるという事は、能動的に行動するという事とイコールで、能動的に行動するには、自分がどう感じているのか分からなくてはいけない。自分がどう感じているかを分かるには、そこに耳を傾けたり、言語化する習慣が必要で、その習慣が一番つきやすいのは、子どもの時だと思う。なので、こどもの時にかけられた大人からの質問の質は大事で、こどもがもった疑問を持続させたり展開するすべをサポートする大人も重要だ。

ただ、こう言った習慣や文化はどこから作ればいいのだろう?先生から?親から?こどもから?

大人もこどもも同じ学びが必要なら、同時に学べばいいのではないかと思うし、そんな機会があったら結構楽しいかもしれない。

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