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分断されたマーケティングの弊害は、ブルシット・ジョブが生まれまくることだー!

こんにちは、セブンデックスでUXディレクターをしているユリです。

なんか、気づいたら入社して半年が経ちました。

入社してびっくりしたというか、面白いなーと感じるのが、この会社って分業の"ぶ"の字も無いのです。

私が所属する部署のメンバーの肩書きは、基本的に「ディレクター」「デザイナー」の2種類のみ。
新規営業も案件運営も、同じメンバーが状況を見ながら柔軟に行うし、同じKPIを追いかけています。

私は合計4社に勤めたことがありますが、過去には認知獲得〜CRMまでが細かく分断され、それぞれの部署が独立してKPIを持っている体制の会社もありました。

マーケティングが分断されると、それぞれの部署が血眼になって部分最適するようになり、そもそもの大目的を見失なったり、手段に固執したりといったことが往々にして起こります。

目の前のKPIを達成することしか視野に入らなくなり、消費者や顧客のニーズは意識の外に。

本質的ではない施策を繰り返し、ときには他部署の足を(まるで競合"他社"かのように)引っ張り合う。

これはその人の心が醜いからではなく(それもあるかもしれないが)、そのような構造の中では、それがその人個人にとって最も合理的な生存戦略になるから起こる現象であって、
こうやって人間は種を守り、繁殖しているのです。

このような状況下で行われる仕事は、いわゆるブルシット・ジョブ(Bullshit  Jobs)です。

ブルシット・ジョブとは「クソどうでもいい仕事」、やってる本人さえクソだと思っているほど完全に無意味で、場合によっては社会にとって有害でさえある最悪な仕事のことです。


迷惑だと胸を痛めながら行う飛び込み営業。

わざと解約の導線を分かりにくくするUI改修。

誰も読まないのに惰性で続けている資料作成。

全員が内職している進捗共有会議。

予算が余ったからとりあえず外注したコタツ記事だらけのオウンドメディア作り。

エトセトラエトセトラ。   

(上記の例はわたしの私怨が含まれているので、本来の定義と若干違うのもあるかもしれませんが、ご容赦ください)

こんな、「どうでもよ」「しょーもな」と呟かずにはいられない、そんなお仕事。
それがBullshit Jobs。


"bullshit"は海外ドラマを見ると5分に一度は聞く単語で、本来の意味は"牛糞"らしいですが、その表現の幅は実に広く、日本語だとニュアンス的にやはり"クソ"が最も対応する言葉だと思います。

ですので、Bullshit Jobsは訳すと"クソみたいな仕事"、"クソほどどうでもいい仕事"といった感じになります。

ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論: Bullshit Jobs:A Theory)は、アメリカの人類学デヴィッド・グレーバーによる2018年の著書で、無意味な仕事の存在と、その社会的有害性を分析している。彼は、社会的仕事の半分以上は無意味であり、仕事を自尊心と関連付ける労働倫理と一体となったときに心理的に破壊的になると主張している。

Wikipedia

この言葉の提唱者に言わせれば、社会にある仕事の半分以上はブルシット・ジョブであるとのことです。コンサルタントなどの高給取りほどこのブルシット率が高いというのだから皮肉です。

ちなみにブルシット・ジョブと対極なのは介護士や保育士、トラック運転手などのエッセンシャルワークですが、このような社会に大きく貢献する仕事ほど、一般的に待遇が悪く給与が低い傾向にあるのが更に皮肉です。


話を少し戻すと、マーケティングを分断することによるでっかい弊害は、「ブルシット・ジョブが生まれやすくなる」ということだと、私は思っている。

きっと、共感してくれる方も多いはずです。

リード獲得数をKPIにしているマーケティング部に対し、商談獲得数をKPIにしているインサイドセールス部が「クソみたいなリード送ってくんじゃねぇよ!」とキレる。

商談獲得数をKPIにしているインサイドセールス部に、受注額をKPIにしているフィールドセールス部が「もっと予算でかい商談パスしろよ!」とキレる。

受注額をKPIにしているフィールドセールス部に、継続率をKPIにしているカスタマーサクセス部が「良いことばっか伝えて都合悪いこと隠して受注してんじゃねーよ!」とキレる。

ひとしきりキレたあと、結局どの部門の人たちも、「自分らがやってる仕事って、意味あんの?」って疑問と虚しさを抱きながら、今日も目の前のKPIを追う。

もう、牛糞どころの騒ぎではないですよ。

違うじゃん。
そんなことするために、生まれてきたわけじゃないじゃん。

職業選択の自由がある環境に生まれたからには少なくとも、牛糞としか思えない仕事なんかに、人生捧げたくないでしょ。

牛側だって困惑しますよ。

つっても、ブルシット・ジョブはこの世から完全に排除することは不可能だと思うし、必要悪である部分もあると思います。

ただ、もし自分がやるとしたら、できれば「ブルシットだなぁ」と思う仕事よりは、「エッセンシャルだなぁ」と思える仕事でありたいですよね。
仮に同じ給与で同じ待遇であったとしても、この自己効力感は大きなインセンティブになるはずです。

そう思うと、企業が構造によってブルシット・ジョブを生み出しているのは非常に大きな損失だと言えます。
社員が自分の仕事をクソだと感じていながらモチベーションを高く保てるわけがないし、離職していくのも当然です。

考えてみると私は、これまで3回転職してきた理由は、突き詰めればすべてが「ブルシット・ジョブだと感じてしまったから」の一言に尽きます。

私はネームバリューや給与、ワークライフバランスにそこまでこだわりがないので、仕事自体に意義があるかが特に重要なタイプなのかもしれません。

てか、「ブルシットだなぁ」と思うものに自分の時間や労力(資産)を投下し続けるなんて、ドMにもほどがあるっつーか、ボランティア精神がヒカキン並みっつーか、自傷行為に近いっつーか、
もうちょっとわがままに生きてもいいんじゃないの?って思うよね。


私は今セブンデックスで働いていて、自分がやっている仕事はエッセンシャルであると感じています。

この状態になることが、転職する最大の目的でした。

自分の仕事はエッセンシャルだ!と自信を持って言えることって、ブルシット・ジョブ化しやすいホワイトワーカーにとってとても幸運で贅沢なことで、
転職というリスクを取ってでも手に入れたかったものなのです。

私は要領が悪いから、3回も転職をしてようやく見つけることができて、だいぶ遠回りしてしまったけど。

一人でも多くの人がエッセンシャルだと思える仕事につけたら、ホントいいよね。

と、いうわけで、「うわっ…私の仕事、ブルシット過ぎ…?」と悩んでいる方は、ぜひお気軽にセブンデックスとのカジュアル面談にエントリーしてみてくださいね!


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