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当たり前を再認識して、アクセシビリティが自分ごと化できた話


はじめに

2023年ももうすぐおしまい。
今年も事業会社のチームの中でデザインをする他、スタートアップのデザインをお手伝いしたり、イベントや登壇、勉強会などにも参加してきました。その中でも印象的だった出来事を今年の生きた証として綴ろうと思います。

数ヶ月前、デザインイベントの運営スタッフで関わったときの出来事です。

イベント運営での担当範囲は登壇者周りで、
半年前から募集・選考・本人との一連のやり取り等を行なっていました。

イベント当日に視覚障害の方(以下Aさん)の登壇が決まり、
私はスタッフとして1日サポートをさせてもらうことになりました。

そこで自分の中の潜在的な固定観念(=当たり前)が浮き彫りになって、ハッとした話を書いていこうと思います。

自分が見ているもの・当たり前に感じていることは、他の人と同じではない

登壇リハーサルでの話。

登壇者の方たちが順番にステージでのリハーサルをしている中、私はAさんのサポートとして案内や説明をしていました。

私「向かい一面に席があって…..」
私「後方には作っていただいた資料が投影されていて….」
なるべくわかりやすく・具体的に伝えていたつもりでした。

そのとき、
Aさん「席はどのぐらいあるんですか?」
Aさん「(席は)階段状になっているんですか?」
Aさん「私がステージに立つと投影資料が被って見えないことはないのですか?」
と質問されました。

!!!!!!

自分がステージの上で目を瞑って想像しても、
この質問は出てきませんでした。

なぜなら、その空間が私にとって慣れすぎているがあまりに「床は平坦であって席が平らに並んでいること」や「投影スクリーンは登壇者に被ることはなく、上部に位置されている」という観点は当たり前すぎて、センサーが発動できていなかったからです。

当たり前すぎて染み付き、無意識になっていたものが浮き彫りになり、すごくハッとした瞬間でした。

真実(対象)は1つだとしても、人によって置かれている環境やバックグラウンドはもちろん違います。その上で、自分の立ち位置から見える・捉えられる「事実(当たり前)」と、他の人から見える「事実(当たり前)」は違うことを念頭にコミュニケーションをとることが重要なことを改めて感じました。

自分にとって当たり前の環境(状態)で作るデザインは危険が潜んでいる

デザイナーとして毎日PCに向かってデザインをしています。
多くの場合、目が見えて、両手を使って、屋根がついていて仕事のしやすい空間で(自分が作業しやすい空間で)、デザインをしていると思います。


イベント本番前のこと….

資料を投影するための機器に繋げるため
Aさんに持参していただいたPCの中の資料を開いてもらうときの話です。

PCを開いた瞬間スクリーンリーダー機能により読み上げが始まり、
慣れた手つきで、声を頼りに操作をし始めました。

そのときに初めてスクリーンリーダーを使っている方を
目の当たりにしたのとともに、自分でそれを使ったことがないことに気づいたのです。

もちろん、認識はしていました。
それがどのような方のためで、どういう用途かも。
ただ、それで終わっていました。

知らないということは、
デザインをするときに考慮することができず無意識下で排除してしまうことに繋がり、そういうことが今まであったのではないかとハッとしました。

・・・

また、私が「気になるセッション(他の登壇)があればお時間までご案内しますよ」とお伝えしたときのこと。

Aさん「このサイトのタイムテーブルページ、スクリーンリーダーで読み取れなくて、わからないんですよね。登壇者紹介ページは読めたんですが…..」

タイムテーブルページは画像埋め込みになっていました。
ああ…..と思うと同時に、自分が生み出してきたものや、
自社のサービスについても考えてしまいました。


自分がペインに感じていたり、そもそもその知識を持っていないと、デザインの設計の時点で考慮することが難しくなってしまいます。

片手が使えない時、画面が見えにくい時、音が聞こえにくい時….色々な状況下でこのような制限が起こりうることはありますが、この状況でデザインを思考することはないと思います。

自分が快適だと思う空間(状態)で何不自由なくデザインしていると、それが自分の中の当たり前になり、無意識下に溶け込んでしまう怖さがあるなという風に感じました。

誰かの課題解決のために設計したプロダクトが、誰かを苦しめてしまっているかもしれない。その思考をデザイナーとして責任を持って、向き合う必要があると思いました。

アクセシビリティは特定の誰かのためではなく、全ての人のため

この方はアクセシビリティの専門知識を持っており、
色々お話もさせていただきました。

その時に印象に残っている言葉は、
Aさん「多くのサービス(会社)は使われないと思ってアクセシビリティの観点に力を入れることは少ないが、本当は逆なんですよね。使え(利用でき)ないからそもそも使わないになるんですよね

その日を終えて、自分ごと化された今、こんな風に再解釈しました。

アクセシビリティって+αで行うことではなく、基盤であって。
web自体本来まっさらな砂地のようなもので、誰もが行き来できる場所なはずで。
それをサービスなりを作っていくことによって入り口が決まり
屋根ができ….形となっていく。
デザイナーを含む開発者たちの無意識下の当たり前を元に。

そもそも、アクセシビリティというのは障がい者のためではなく、全員のためにあるもの。自分自身が明日骨折して右腕が使えなくなるかもしれないし、一時的に耳が聞こえなくなることも人生において何回もあるはずで。

まとめ

今までももちろん知っていた範囲ではありましたが、自分が直接体験した(お会いできた)ことで自分ごと化できたなと思います。

この話に限らず全ての事象において、テレビや人、本、インターネットやSNSから見たり聞いたりして、日々知識を得ている私たち。

ただ自分が体験したことや身に起こったこと、自分の大切な周りの人に起こった時に、改めて認識したり、深く考え自分ごと化になることが多いはず。

色々なことをインプットするのも大事だけど、
人に会ったり、体験をすることってすごく大事だなあと身に沁みました。

デザイナーとして、そんな自分の頭の中がぐるぐるとアップデートされた話。

おしまい

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