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Truman Capote とSNS

大学の授業でTruman Capote のMiriamという作品について学んだ。

興味のある人はぜひ一度読んでみてほしいが、ざっくり説明すると、自分が持つ2つのアイデンティティを受け入れられずに葛藤する老婆の物語である。

物語を読んで、今の10代の私たちにとってのアイデンティティとは何なのか私なりに考えてみたので、忘れないようにここにメモしておこうと思う。

現代っ子な私たちには、自分を表現する手段が沢山ある。InstagramやTwitter、ブログやnoteも1つの表現方法である。

私の友達のSNSを覗いていて思うことは、同一人物のSNSでも、インスタやツイッターなど媒介が変われば全く違った人物がアカウントの持ち主であるように思えるということだ。インスタではお洒落でキラキラしたどこか、別世界にいるような友達が、ツイッターでは若者言葉でつらつらと日頃の愚痴を述べている。

対面で会ったときの友達と、LINEで話しているときの友達も、同じに見えて言葉遣いやテンションが微妙に違っている。

私の友達の中には、話し言葉とライン、ツイッター、インスタで一人称を使い分けているという子もいる。

ここから思うことは、私たちもまた、物語の主人公の老婆のように、多面的なアイデンティティを持っているということ。老婆と違う点は、沢山の種類のSNSを使い分けることで、アイデンティティが心の中で混ざって混乱しないように自分自身を整理しているということ。

Miriam が描かれたのはSNSなんて存在していなかった時代のこと。この時代には女の人はこうあるべき。とか、高齢者はこうあるべき。とか、今よりももっとアイデンティティが抑制されていた時代だったはず。今は便利な時代になったとつくづく思う。インスタにいるときはお洒落で可愛い自分。ツイッターにいるときは、毒舌で思ったことをなんでも言っちゃう自分。ラインにいる時は、、、、。こんな風にSNSを切り替えるだけで自分のモードを簡単に切り替えられるのだから。

アイデンティティは1つにまとめる必要なんて全くなくて、それよりも問題なのは1つもアイデンティティを持てないことだとわたしは思う。

一つの世界の中で、沢山のアイデンティティを管理するのは大変だ。SNSは私たちがアイデンティティを管理するのを手助けしてくれているのかもしれない。



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