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【アラビアンナイト物語珈琲店】千一夜プラットフォーム2⃣マスターとシェイクスピア


2⃣マスターとシェイクスピア
「あの列車に乗る人はそもそもとても重くて、乗客定員数は5人。どうしてか3月頃になると列を作って並ぶことがあるもんです。まぁ5月6月の梅雨どきも乗客が多いですかなぁ。太陽が隠れがちな季節は、自然気がふさぎがちになるものです。頭上から太陽が燦燦と辺りを照らす南国の人は概して陽気といいますし、冬のロンドンの陰鬱さは有名なところですが、天候は土地の人々の気質として現れるだけでなく、日々の気分でさえ想像以上に天候に左右されるものですな。」
「だから、BGMがハワイアンなのですか?」
「ははは。そうなんですよ。わかりましたか?からっと軽快にね。ははは。
実のところ、
わたしは空が灰色に覆われて、まるで静けさを尊ぶように長雨が降る。青葉が小糠雨にうたれて揺れるのを窓から眺めるのは最高ですな。基本雨の趣が好きなのですよ。特にこの季節の雨は地の恵をもたらす天つ水。分け隔てなく平等に天から降り注ぎますな。
とまぁ、わたしは五月雨に好意的なのですが、お客さんの気持ちが軽くなればとウクレレの音をポロポロ流しているのです。そうすれば、窓の外のまるで夜のような天候からも楽しむべき雨粒の音が聞こえてくるようじゃありませんか。
それに、コロナ禍に梅雨時期と重なって家にこもりがち、すると身体を自然動かさない。結果、血の巡りが緩慢となり、気分は下がるしなかなか上がらない。
それはそうと、どうしてめいめいの方が重い気持ちを抱えてると思うのすか?」
マスターは、白いナプキンで珈琲カップを几帳面に拭きながら聞いた。
「御庭洗さん、先にどうぞ。」
「いやいや、翠雨さん、どうぞ。」
「また始まりましたわ。」
メイド服の店員が和むように笑った。
「レディーファーストで行きましょう。」
マスターも微笑交じりの穏やかな調子で言った。カウンター席の二人は、しばらく目を合わせていたが、翠雨がため息をつきながら頷いた。
「では私から。ため息ばかりね。ため息もわるくないわね。だって、そのあとで必ず生きを大きくすうし、そのとき珈琲のとってもいい香りがするから。淀んだ排気ガスの匂いとも吐気さえ催す合成香料とも次元が違う。本当に目が覚めるようだわ。」
「そうでしょう、そうでしょう。ここに珈琲は、ち・・・」
「知性と感性を両方目覚めさせる、でしたか?マスター。」
「ははは。御庭洗さんに先を越されましたな。」
アラビアンナイト物語珈琲店に集った人たちに笑いが起った。ただ一人カウンターの若い女性を除いては。彼女は、一人そっぽを向くように何杯目かの珈琲を飲んでいる。笑いが静まるのを待つかのように翠雨は話し始めた。
「御洗雨さん、わたしの方が重いわよ。絶対ってものが此の世になくても絶対にわたしが重い。何せ、逃れられなかったのは、夫からのモラハラ、実父母や親戚からの不理解、それからママ友いじめ。まぁ人間関係の3重苦奏。ね?重いでしょう?」
「それは、お辛いですな。人の幸福は、突き詰めたら豊かな人間関係があるかどうか、同時に人の悩みも、突き詰めれば人間関係に集約されるといいますからな。」
マスターが渋い顔をして共感を示したが、御洗雨は白い湯煙のたつ珈琲をカウンターテーブルにおくと反駁した。
「いやいや、翠雨さん、それでもちゃんと生活できていたのでしょう?それに、夫からのモラハラなんて、離婚すればいいだけのはなしじゃないですか。」
「甘いわ。どれだけ離婚を切に願ったか。願えば叶う、それは本当にうそ。願い方がわるかっただけかもしれないって思う?本当にうそよ。適切な行動を起こすことができれば、叶う、それが本当のところ。ここは、行動こそが、物事を動かす地上。潜在意識が叶えてくれるらしいけれど、その潜在意識が、間違った方向に行ってるのだから、いつまでたってもかなうわけがない。それに、願うだけでは、現実と望みとの対比ばかりがはっきりと浮彫になって、ちっとも明るい気持ちになんてなれない。むしろ願えば願うほど現実との乖離に落ち込んでいって、ネガティブな感情に支配されるだけだわ。ネガティブな感情に支配されてしまうと、判断力も鈍るし認知能力も低下するわ。それに、生きるエネルギーそのものが日に日に減ってしまって、適切な行動は何かって考えるために頭の前頭葉を働かせようっていったってエネルギーが足らない。それに、失敗があっての成功なわけだけれど、失敗を次へとつなげるために建設的に捉えることもできず、無力感を募らせるだけ。それで、どんどん負のスパイラルの深みにはまっていく。よっぽど周囲に恵まれていない限り、嵌った泥沼から自力で脱するのは困難を極める。もがけばもがくほど、深みにはまるだけ。

・・・って、わたし、こんな知恵者だったかしら?」
「珈琲の力ですよ。珈琲の魔力ですよ。わたしたちに宿る知性を目覚めさせてくれるのですよ。」
マスターが得意顔をして、曲線を描く髭を触る仕草をしながらにっと笑った。
「ほんと、あながちそれは虚言でもなさそうね。ちょっとした好奇心から、脳の働きについての本をよんだことがあって、それが知識から知恵に変わってるわ。
思えば、ばかよね~、わたし。
結婚してはじめの数年間は、毎日ダメ出しばかりする夫に、毎日自分がいたらないからわるいのだ、と必死に夫の期待に添うように頑張った。結婚したからにはこたえなくちゃ、努力すればきっと認めてくれるって。それでも夫は、いかにわたしがダメな人間かを説教する。」
「ただのモラハラおやじですわね。」
メイド服の店員が吐くようなセリフを柔らかい声でいった。
「そ、そうなの。わたしばかもいいところ。元から認める気がない人に頑張って頑張って疲れ果てた。なんてばか。ただ夫は、支配したいがために、そうやってわたしの自信を失わていただけなのに。自分が上でいたいから、メンタル操作していただけなのに。それを夫になった人だからと、必死に応えようとしていたわたしはあほう。」
「みんなバカでありあほうですよ。『かしこい人は、それを知ってる。自分がばかじゃないと思ってる奴こそがばかなのですよ。』
どこを探したら、恋愛も仕事も家庭生活も友人関係も才能も完璧で、失敗のない天才がいますか?」

「シェイクスピアですわね。」

メイド服の女性店員が言うと、御洗雨が珈琲を片手に感心した。
「ほぉ、シェイクスピアですか。」
すると右と左の虹彩の色が違う眼を嬉しそうに輝かせたマスターは、勢いついたように人差し指を天に向けて続けた。
「そうですそうです。『神は、われわれを人間にするために欠点を与える』。」
「はいはい。またそれもシェイクスピアですわね。」

「晴耕雨読、といいたいところですが、ここはこの季節けっこう忙しいのです。それでも隙間時間を利用して読書しているのです。最近は、・・」

「はあい、シェイクスピアですわね。先日、リア王、目下マクベスを読んでるのでしたよね、マスター。」

メイド服の女性店員のつっこみは、柔らかいものだった。それは、大好きなものを夢中に語る少年を母親が愛情をこめて相槌を打つのと似ていた。

「翠雨さんのご主人さんは心も前頭葉も育ってないモラハラおやじなだけですわ。他に得意とするところもあったのでしょうが、その点においては、ばか、ですわね。」
メイド服の女性店員は、辛辣な言葉をまるで珈琲豆の説明をするかのように棘のない調子で言った。
「あるとき、やっとそのことに気が付いたの。もう7年は経過してたわね。笑えるでしょう?7年。モラハラとか、昭和おやじのばかさを煮詰めたような人が存在するのは、ドラマ、小説、まんがの世界だけかとどこかで思っていたのよね。結婚まであんまりにも人に恵まれてきたから、わたしは人の運がいいなんても思ってた。でもわたしは、青ひげの館にいた。それで、モラハラ対策は、随分進んだけれど、離婚はいつまでたってもできない。両親は、夫の外面のよさですっかり丸め込まれているし、わたしは言葉がたたない。誰も頼る人はいなかったわ。昔からの友達と会うのを夫はきらっていたから、友達とは疎遠。それに、よしんば交友関係が続いていたとしても助けを求める技術を持ち合わせていなかったから状況は変わらなかったかもしれない。」

「交友関係を制限するのは、精神的なDVの一環ですわ。他には、すべてお前のせいだ、わるいのはお前だ、と責めるとかなかったかしら?」

メイド服の女性店員が聞くと、翠雨は数回相槌を打つように頷いた。

「あ、あったわ。いつもよ。全部お前が悪い、あやまれ。あやまらんかい、だったわ。」

「それもDVですわね。」

「実際自分、責めてたわ。自分がこの人をこうだと知らずに選んだのだから自分がわるいって自分自身を責めたし、変わりもしない過去を悔いた。」

「ここに来る人はほぼ全員といっていいほど自分を責め続けていますよ。無意識にも意識下でも両方で、命の炎を消すことをしてしまっているのです。」

「そうね。前が向けなかったのよね。そんな楽観性がなかった。それに、生活費の出し渋りもあったからお金はないし、身動きとれなかった。それに、ママ友いじめ。これもかなりきついわよ。」
「わかりますなぁ。人って、元からコミュニティの繋がりを求めるようにできていますから。繋がりで幸福を感じるのですよ。ホモサピエンスは、長い狩猟採集民時代に助け合うことで生き延び進化してきた種ですからなぁ。コミュニティと仲良くやっていくことを望むように脳が設計されているということなのでしょう。コミュニティから外されると、酷く不幸な気分になる。」

「そう。ママ友と入る時間なんて、ほとんどないはずなのにずっと頭にこびりついて落ち込んでいたわ。彼女たちに関わらなければすむはなしなのにね。なかなかわりきれなかった。承認欲求を捨てればよかったのかしらね。」

「それも人間関係がうまくいかないときのやり過ごし方のひとつだと思いますよ。アドラーなんかも言いましたが、承認欲求は捨てた方がいいことが現代社会では多いですな。欲求があって、それが満たされないと不幸を感じますからね。そもそもそんな欲求は、狩猟採集民時代に脳にプログラミングされた名残なわけで、今の時代は有効に機能しないこともある。

承認欲求、すべて捨てよというわけではなくて、場所や場面によって自分の人生の充実に役に立つのか立たないのかを判断ベースにして、持つか持たないか決めるようにわたしはしております。これは、ちょっとしたトレーニングを続ければ、身につく技術ですよ。

承認欲求は使い方次第で、自分をゴールへと突き動かす追い風にもなれば、不幸へと背中をおされることにもなりますかなぁ。

まぁ、繋がりへの欲求の程度に個人差はあるでしょうが、人は社会的生物である、ってことは間違いないでしょう。
女性の場合は子育て期になると、いつに増して所属する集団とうまくやりたいという願望はより強く出てくるものかもしれませんな。子育ては人の協力が必要ですから。
それに、ママ友のいじめが日常茶飯事なのも納得しますよ。この時期多く分泌される愛情ホルモンのオキシトシンは、子供を守ったりコミュニティと繋がったりすることを強化しながらも一方で、異質だと判断する人に対して排斥行動を促すもの。本能ですな。」
「子育て期は気が立つという熊みたいですね。」
御洗雨が言うと、翠雨が思い出したように言った。

「ははは。人は、オキシトシン、通称愛情ホルモンの負の側面を知ることで行動抑制ができるのではないですか?まぁ、オキシトシンは、セロトニンとドーパミンを合わせて人の3大幸福ホルモンのひとつですから、排斥行動や根拠のない正義感が快感となってなかなか行動抑制が効かないのも人ですかな。」
「ね?私の方が重いでしょ?話聞いてるだけで重いでしょ?御洗雨さん?」

「う~ん、それでもわたしのほうが、重いかもしれません。」

「じゃぁ、次、お話してくれる?」

「はい。」

御洗雨は、大きくため息をしてから息を吸い込んだ。

マスターまでがつられて、ふうとため息をついて思案にくれ始めた。

「こまりましたな。これでは重すぎて読者がつかめませんかな。リアルすぎますかな。いや、この珈琲店のオープンしたのは、1人でも病める子羊を救いたいという小さいが決して消えることのない思いからですぞ。1人でも多くの人に心病める子羊への理解をちょびっとだけでも深めてほしい。ほんの少しの温かさが、彼等を救い得るからだ。
怪我をした、身体が動かない、熱がある、どこそこの臓器が病気だから入院だと目に見えてケアが必要なときは、人はおおいに同情心なり共感なり親切心を沸き起こし、あれこれと温かい言葉をかけ、かいがいしく手助けもするもの。
しかし、心の病はそうじゃない。心が病んでるとなると、それ怠けだ、甘えだ、弱いやつだ、はては社会生活をまともにおくれん無能者だ、とまで周囲の者が病の進行を後押しするし、実際に心が病むと今までできていたことさえも覚束なくなる。それに、病んだ人間はその暗さから自ずと人を遠ざけてしまう。
 実際のところは、この心の病ってのは極めて身近なもの。2人に1人が人生のある時期、真剣に自死を考え、2週間以上この状態に悩まされているという。恐ろしいことには、10人に1人は、本当に自死を試みてしまう。

鬱ときたら、成人の10人に1人が臨床的にうつ病になるというし、5人に1人が生涯で一度にうつになる時代だ。心の病という文明病は情報革命以降加速中だ。
それに、どうだ?ここ一年間での日本の自死数を見ると、コロナによる死者をゆうに上回っている。コロナ禍によりその数は増え、中でも女性が増えている。
確かに、未曾有のこわさがウィルスにはあるだろう。しかし、実際の数値を見たら、どちらが脅威だ?致死率の高いのはどっちだ?
ウィルスには、製薬会社が売りたいワクチンがあるからか?
そのワクチンの方が、よっぽどわけの分からない代物じゃないか?

異生物のRNAを体内に入れ、半永久的に体内で自分とは異質のタンパク質を作り続けるというじゃないか?

免疫が落ちるとノーベル賞受賞科学者のボッシュ博士は言っているぞ?それもそうだ。自ら異種のタンパク質を体内で作らせ、そのタンパク質に対して抗体をつくる。つまり自身の貴重な免疫システムをこの抗体づくりに注いでいるんだから。

とにかく、メディアではコロナのニュースでひっきりなしで、新型コロナワクチンを接種する映像は繰り返し繰り返し、あたかも洗脳するがごとく流れる。効果のほどもリスクの程度も計り知れないワクチンをあたかも安全のために早くうたねば、という風潮を作り出し浸透させているかのようだ。


それでも仕方がないのかもしれない。人は、長い進化の過程で、今ほどに大規模に心の病を経験してきはしなかった。だから、赤々と流れる血やほてる額ほどに心の病気は人の興味をひかないのかもしれない。

いつなんどき、自分自身や自分の大切な人が深い闇に手足をひっぱられるか、わかったものじゃないのに。

それに、文筆活動をするものとしてWEBでのこうした発表の♡数は気にしてはいけないらしい。たとえ、ここで読まれなくても最後まで、とにかく最後までやりとおしてみよう。

『望みなしと思われることもあえて行えば、成ることしばしばあり』

ひとつの♡がなんてありがたい!例えなかったとしてもやり通そう。」



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