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トークの間、後ろに若い時の先生が黄緑のシャツを着て、パーマをかけてずっと映っていた。「アウラ」だと思ったからその写真は撮らなかった。映像がとても上手くて、誰が撮ったのか気になったのだけれど、もうカタギに戻った人だと説明されて、その人の名前は聞かされなかった。「フライヤー、見た?」と言われた。人だかりであまり見なかった。先生の昔作ったのが混ざっていて恥ずかしいらしい。見たいけど、見つけなかった。

「高木くんって、会ったことある?」と言われ、先生の後ろにひょこっといる人の顔を見た。そっかあ、この人、この感じ…いつも勝手に高木さんのことを最初、女の人だと思ってしまうその感覚を思い出して、「ああ!クミちゃんの家で会いました」と答えた。トークの時も、隣に女の子が座っているなあと思ったのだ。

珍しい苗字の子がいたのだけれど(その名字は何か忘れてしまった)、その子は多分いわゆる偉い人と話したくてこういう場所に来ているような感じだった。(そのことが悪いと言いたいわけではない)私は高木さんともう一人の女の子と話すことにした。話は思うよりも盛り上がっていたように思う。「政治とかそういうの好きだからさ」と高木さんは言っていた。

私が自分の作品を説明するために、ユリイカを見せたら、高木さんが「ユリイカ、すごいじゃない」と褒めてくれて、嬉しかったことも書いておこう。

珍しい苗字の子と喧嘩した。その子の言った言葉が普通に人を傷つけるような言葉だったからだ。作家として作品を作っている人に向けるべき言葉ではないと思う。この人は作品作りにおいて切実な思いを表現している、ということはまず尊重して話すべきだと思うのに、その人は短時間しか話していないのに(深く話したり、作品を鑑賞した上でそれを結論として言うならともかく)、そういった作家への尊厳を踏み躙るようなことを言っていたため、そのことを率直に言った。その子がそれを理解したかはわからなかったけれど、心の中に溜めるのは良くないのではっきり言った。

そのことについて、高木さんは自分だったら言えないらしい。

その高木さんと鴨川の真ん中に入った。「鴨川って、昔人が渡っていたらしいよ」という話を高木さんがしたので、一緒に鴨川を渡ろう!と提案してみたのだ。京都のアジールの話なんかをして、「人はバチが当たることを信じなくなった」という話なんかもして、大きな神社へ行った後に渡ってみた。そこの写真を撮った時、「その写真じゃよくわからなくない?」と言われた。石が敷かれているところがあって、あそこなら・・・という感じで川に入る。

言い出したし、一歩を踏み出したいものの、なかなか踏み出せない時に、手を差し出して貰えたのは物凄く勇気が出た。川の真ん中から写真を撮って、人が往来しているのが見える。そして川のところには人が寄り添って点々と座っているのに、誰にも私たちは見えていないみたいだった。川に落ちた時、太腿までは水位があった。夏だから本当にすぐに乾く。高木さんはあんまり奥には行かないで、私は渡ってみたかったから奥までウロウロとして、川の流れの激しさを進めないと判断して、行けるところまでにした。折り畳み傘を一度川の中に落とした。そこにペットボトルが溜まっていたりした。腕を突っ込んで掴んだ。高木さんは私が途中で置いたサンダルを持っていてくれた。"何か落ちたよね?"と聞かれた。"いい場所を掴んだ"と言いながら川を上がる。

川から上がって行く時、中国人の小さな男の子が川に入りたがってお母さんと話していた。お母さんは叱ったり注意したりしないで静かに話すように何かを男の子に話していた。

「もっと渡れる感じだと思ったんだけどなあ」「昼に見るのと違うのかなあ」みたいな話をして、村上隆について小林先生と意見が違うという話をして、先生によく誘われる高木さんが羨ましかった。もう少し行った先に薮と流れの緩いところがあって、「でも半ズボンだから・・・」みたいなことを言われた。蛙だったか、鳴き声がしている。

カントを読んでいる、と言ったら「真面目だね」と言われた。「それって誰かに言いたくなるからじゃないの…」そうそう、そういう話をしてたんです。

写真を撮ったら、気になっているものが二人でずれていた。

高木さんには家庭の話をした。それを人に聞いて貰えるのは久しぶりな気がした。「男性のこと嫌だと思わない?」という質問をされた。私にとってお父さんの存在がその答えをストレートに言えなくさせる。そのことって家のことを話すことになって、こちらが話してばかりになってしまう。ほんの少し聞けたのは、お婆ちゃん子であることと、それでミシンの仕事をしていること、お母さんが好きなこと「それは羨ましいかも」と言った、お婆ちゃんが熟年で別居(離婚)したこと。ミッフィーの指輪を褒めてくれた。20歳ぐらいまで、人に触れられたい、安心したいのに、どうして触覚の記憶がこんなにも嫌なものばかりなんだろうと、電車に乗って痴漢に遭ったり、やたら近くに人が座ったりする時に思った話をした。それを高木さんは「お母さんに、優しくされたかったから」と言った。「う、うん」みたいに言葉がちょっと詰まった。その言葉で凄い救われた。

店がどんどん閉まって行くので台湾料理を食べた。オープンしたばかりで、花が飾られていて、オーナーが最後感想を聞きに出てきた。「ホタテ、美味しかったです」「辛くなかったですか?」「それが、いいです」

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