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つれづれ日記③ 「本とか人生とか」

今日も今日とて日記を書くよ。

ああ生きる日の美しき、ああ生きる日の楽しさよ(酔ってません)。


最近、昔大好きだった短編小説を読み返してんの。

昔と感想が違って、不思議な感じ。

太宰治の『きりぎりす』は、嫁が夫に三行半を突きつける自分語りな短編。

もうめっちゃ大好きで、18歳の時に、原稿用紙に書き写したりしてた。

(読むだけよりずっと美しい文章だと思いました。疲れて1枚半でやめたけど)

なんてまっすぐな女の人だろう!なんて清らかな心を持っているんだろう!

とか思ってたのが、今は

「おいおい、結構嫌味だな?」

と思ったり、

「自分だってかなり乗り気で結婚したのにこの言いようはすごい」

と思ったり。

でも最後はやはり、好きだなぁと思う。

この主人公は主人公で欠陥あるけど、前に突き進む力すごい、好きだなぁという感じ。


それから川上弘美さんの『神様』。

川上さんのことはずっとほわわーんとした夢物語を書くイメージだった。

そこが好きだった。でも今は、ちゃんと地に足つけてその上で夢を語ってるんだなぁと思う。

あらまぁ、川上さんって意外としっかりしてて現実的なのかも?と思った。


今日は村上春樹。『カンガルー通信』とか芝刈りのバイトしている男の子の話とか。 

太宰さん同様

「あら、こんな嫌味なんだ!」

とびっくり。

なんで若い頃は嫌味ぽさに気づかなかったんだろう。なんかもうそのまんま受け止めてた。

嫌味ぽいけど、そのダメな感じがまたいいんだよね〜。

思ってたよりずっとフィクションフィクションしてて、その感じも新鮮でした。ありえないよって設定がスルスル入ってくるのすごいよねぇ。まるで普通のことみたいに。



私が年をとって(43歳)良かったなぁと思うのは

「今が終わりではない」が体感としてわかること。

どんなに落ち込んでダメなときでも、ずっとそれが続くわけじゃないってことがわかる。

逆に、好きなものをずっと同じ感覚で好きでいられるかというと、そういうわけでもないみたいだ。

(見方や感じ方を変えつつずっと好きでいることはできるが)

それは、とても自由な感じ。

読んだ本の感想が変わるように、人生への感想も変わっていくだろう。

欠陥があり、素直じゃなく、浮いたり沈んだり、でもどこがで誰かはしっかりと見ていてくれる、

今の感想がそんな感じ。

これから先、どう変わるだろう。

楽しみです。



今日はここまで。

ではではまたね。良い夢を。






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