GW、妻の実家にいる。 妻の部屋に布団を敷いて、飼っている犬と僕、3者川の字で寝る。各々特段の会話はないけれど、彼女はスマホで熱心に服を見て、犬はイビキをかいて、僕は本を読んだり、犬と戯れたりしている。なんとも暇で良い時間だ。 朝になる。 カーテンを少し開けると、窓の向こうに青い屋根のマンションが見える。朝日が反射して屋根がキラキラと光っている。その青い輝きが寝ぼけた目に飛び込む。 あんなところにマンションがあったなんて、今まで気づかなかった。何故だろう。少し眺めて、思いを
僕はそういうことだと思う。 誰の影響も受けないはずがない。 そんなに質量があるわけじゃない。 水面を浮かぶ一葉の様に 関わる物全てに影響を受けて 揺られ、沈み、また浮上して コースを変えながら 大河を流れている 忘れられないあの人や 秘密にしているあの人や さっきすれ違ったあの人にすら 簡単に流れを変えられて 不思議な川を、時間を旅している 今日の天気、道端の石にすら影響を受ける僕は その流れに逆らえない まるで、運命に縛られた囚人の様に思うかもしれない しかし、そうじ
16年間、連れ添った人がいる。 彼女は俺の友人である。 子どもである。母親である。弟である。 姉である。猫である。ゾウである。 妻である。 夫婦というのはただの関係性に過ぎない。 彼女が俺にとっての何者か。そこに夫婦と言う関係性は必要ない。 彼女は彼女である。俺はそれを愛おしく見守っている。 子どもが親から離れるように。親が子どもから離れるように。関係性は変化するもの。 甘美な愛欲の時代を過ぎ、お互いが何一つお互いを所有していないことに気づく。 ひとりの人間として、尊重
休日。 公園のベンチでぼーっとする。 夕涼み。何もしない。 日が短くなって、少しずつ秋へ 鳩の鳴き声は8分の9拍子 犬の歩き方はトロット ぼーっと眺める。 眺めるのも飽きて目を瞑る ふと、帰って夕食をとって 今日は大好きな映画を観ようと思う 自由が溢れてる すごく幸せな気分になる。
例えば、歩く時。 右足出して左足出すと...歩ける〜♪ なんてことを意識してやってる人は、ほとんどいないだろう。 呼吸も、まばたきも、無意識で行なっている。 ...すごい。 歩き「ながら」見たり、聞いたり、嗅いだり、思考を巡らすことを「楽しめる」のは、他の全てを無意識で行っているからだ。 歩くという動作、呼吸、どこを歩くかの選択。 無意識、オートマチック。 これって凄いことじゃないか? もう忘れてしまったけど、歩き始めたころは、きっと「歩くこと」を意識していたはず