【小説】意図ある告白【4】3/3 完

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 学校での全工程を終え、本来なら真っ直ぐ家路につくのだが、家とは比べるべくもない、クラシックが会話を妨げない程度にかかった喫茶店に来ていた。内装はレトロで、ここだけが現代から切り離された雰囲気を醸し出している──タイムスリップした気分だ。店のマスターは白髪にほどよく伸びた髭、堅物そうではあったが、こちらの注文に笑顔で応えてくれた。平日だからだろうか、客がほとんどいない。
 少し経営状況が不安ではあったが
「このお店、私が小学生くらいの時からあるんですよね。それなりに常連さんもいるのではないでしょうか」
 と、清水が解説してくれた。
 何故、俺と清水が喫茶店なんて洒落た場所に来ているかというと、
「埋め合わせの勉強会ですが、場所をどこにしましょうか?」
 そう清水が言ってきた。
 期末試験を来週に控え、部活動が禁止される。部室がいいと思ったのだが、部室のカギが貸し出されない関係上、他を探すことにした。清水は、また図書室でいいのでは、と提案してくれたが、同じことを考える奴はたくさんいる──いつもはガラガラの室内が、ここ最近は混み合っていた。勉強するだけなら別にここでも構わないのだが、人が多いところはできれば避けたい。
「お前の家の近くに、勉強に適した施設やお店なんかはないか?」
 俺の提案は、学校なんかに縛られない、柔軟な発想だった。
「どうして私の家の近くで探すんですか? 何を企んでいるんですか?」
 ここに、より柔軟な発想の持ち主がいた。
 勉強会以外に企てていることなんてない……とは言い難いが。
「いやほら、毎回お前を下校時間ギリギリまで拘束することに、少なからず罪悪感があったからな。だったら、最初からお前の家の近くで勉強した方が、時間たっぷり使えるってもんだろ」
 もうだいぶ暑くなり、本格的に夏を感じるようになってきたこの時期──いくら日が長いとはいえ、清水を一人で帰らすことに、いい加減何か策を講じなければと思っていた。
「あらお優しい。そうですね〜」
 そして、清水が提案してくれた場所が、今いる喫茶店ってことだ。
マスターが注文した飲み物を運んできた。俺はアイスコーヒー、清水はウインナーコーヒーを注文した。
「お前、こんな暑い日に頼む飲み物か? 見てるだけで汗を掻く」
「店内は冷房が効いていますからね──さっき掻いた汗が冷えて、風邪をひいてしまうかもしれません」
 にしてはこいつ、道中涼しい顔して歩いていたがな。
「それに私、冷たい物ってあまり得意ではないんですよね──お腹が弱いらしくて」
「ほう、お前にも弱点があったんだな。これはいいことを聞いた」
「聞かれてしまいました」
「ふむふむ。つまり、お前は夏の風物詩を楽しめないってことか。哀れなり……」
 前に言われたこの言葉、いつかこいつに言ってやろうと、密かに目論んでいた。
「夏の風物詩ですか? 確かにかき氷はあまり食べられませんね〜。ですが、その他は大丈夫ですよ」
「ん? そんなことないだろ。かき氷の他にもまだ冷たい物は……」
 あれ? 無いかもしれ……いやいやまて! 早まるな!
 ここで手を止めてはならない。絞り出せ、俺の中の夏を!
「冷やし中華は食べられないだろ」
「確かにつゆは冷たいですが、麺は多少温かくても美味しく食べられます」
「スイカ」
「冷たいスイカってあまり美味しくありませんよね──常温より少し低いくらいが一番美味しいと、私は思います」
「えっと……流しそうめん」
「わざわざ流しません」
「……風鈴」
「食べられません」
「……」
「哀れなり……」
 あれ、なんか急に寒くなってきた……、俺も後でホットコーヒーを頼もう。
「さ、おしゃべりはここまで。勉強勉強!」
「ああ、お願いします」
 中間試験の反省を生かし、清水に言われた記憶術を駆使しながら、俺なりに勉強してきた。今まではあれこれ指摘されながらの勉強会だったが、今回は違う──一方的に教わる勉強会は今日で終わり、ここからは対等な関係になるだろう。
「そこ、間違えていますよ。あとそれ、漢字が違います。重要単語は憶えればいいってわけじゃありません──前後の結びつきが大事なんです」
 わかっていたことだ──日々努力してきた人間に、一朝一夕で追いつけるわけがない。
 はぁ〜、これからのことを考えると、頭が痛くなってくる……。
「勉強って何の意味があるんだろうな……」
 俺はふと、以前考えたことを清水に聞いてみたくなった。
「何ですか急に。弱音を吐いている余裕が、滝野さんにあるとは思えませんが」
「ん、でも考えてもみろ──義務教育で勉強した内容や、高校で勉強した内容、これから大学に行くとしてそこで学んだ内容を、今後生かしていく人なんてほとんどいないだろ」
 小中で五教科をメインに勉強するが、社会に出たとき、それは本当に必要なのか? 本当に必要なのは──ビジネスメールの書き方だったり、税の知識だったり、書類の書き方だったりするんじゃないのか。
「そうですね~。それを生かそうと思って勉強するから、モチベーションが沸かないのではないんですか? 先が見えないって、相当ストレスになりますもんね」
「そうだな。これを勉強したからこうなる、みたいな、そんな方程式があれば、幾分モチベーションも上がるんだけどな~」
「でしたら、結果には繋がらないと考えるのは如何でしょう」
 それはそれできつくないか──目的なき努力の虚しさを、俺は知っている。
「取っ掛かりだと思えばいいんです」
「ん? つまり学校の勉強は、知識を増やすツールであって、そこから先は、その知識を使うも使わないも、その人次第ってことか?」
「と、いうよりも、そもそも何に興味を持つかなんてわからないじゃないですか。滝野さんは小学生の頃、自分の将来設計をしていましたか?」
「してないな。学校で将来の夢って題材で作文を作らされたことはあったが、当たり障りないことを書いた覚えがある」
「私も同じような経験があります──こんなものに何の意味があるのか、そう当時は思っていました。ですが、今思うにそれも、学校側が提示してくれた、取っ掛かりに過ぎなかったのだと思います」
「将来を考えさせることがか? どうだろうな〜。仮にそうだとして、小学生が考える将来なんて、たかが知れてるだろ」
「ですので教育があるんです。子供の頃、自分が何になりたいかなんてわかりません──本人が知らないことは、教師も知りえません。なので、教育で皆に選択肢を与えるんです──五教科はその取っ掛かりを最も広く抑えている科目なのです」
 別に五教科全てに興味を持つ必要はない。何か一つでも引っかかるものがあれば御の字、くらいなのだろう。
「国語に興味を持ったからって、国語の先生になる必要はありません。重要なのは、国語のどの部分に興味を持ったかです」
「日本語に興味を持つのか、字の成り立ちに興味を持つのか、はたまた活字そのものに興味を持つのかってことか」
「はい。日本語に興味を持った場合、その歴史を調べるかもしれません──その時役に立つのが日本史です。字の成り立ちに興味を持ったことで、別の言語にも興味が沸くかもしれません」
 一つの知的好奇心から様々なジャンルに枝分かれしていく。その枝分かれをたくさん引き起こせるジャンルが、五教科ってことか。
「ですが、五教科に興味を持てなかったとしても、それはそれでいいと思います。学校側もそれを考慮にいれて、副教科を導入しているわけです」
「技術・家庭科・美術・体育ってやつか。それで言うと、小学校の頃はクラブ活動、中学校では部活があったな。高校でも部活はあるが」
「何に興味を持ってくれるかわからない生徒に、学校側はちゃんと寄り添っていたんですね。それも、今となってわかることです……。当時の私は、ただ漫然と授業を受けていただけで、すごく勿体ないことをしていました」
「いなくなってからわかることも──また勉強だな」
「そうですね。でもまだ完全にいなくなったわけではありません──寄り添ってもらえている内が花ってことで。さぁ、勉強を頑張りましょう」
「……善処します」
 寄り添ってもらえている内が花──今の清水がまさにそうだな。
 まだそこにいてくれる、寄り添ってくれている。なら今度こそ、向き合わなくてはいけない。
 一度犯した過ちはもう繰り返さない。

 勉強が一段落付き、俺と清水は二杯目の飲み物を注文した。俺はまたアイスコーヒー、清水はホットラテ。
「これだけできれば大丈夫ですね。よく頑張りました──私」
「うん、まぁそうなんだが」
「滝野さんも事前に勉強をしていてくれたおかげで、進行がスムーズに行きました」
「そりゃどうも」
 マスターが二杯目の飲み物を運んできてくれた。ちょうどいいタイミング──切り出すならここだな。
 俺は運ばれてきたアイスコーヒーを一口飲み、口を潤す。
「聞きたいことがあるんだが」
「はい、まだわからない問題でもありましたか?」
 清水はホットラテを冷ましながら言う。
「お前は何故──俺が桜川から告白を受けることを知っていて、それを黙っていたんだ?」
 清水はホットラテの入った容器に唇を少しつけ、そしてすぐに離した。まだ熱かったようで、そのまま容器を机の上に戻す。
「志村さんから聞いたんですね」
「ああ。お前が部活を休んだ日に、流れで聞いた」
 またホットラテを手に取り、今度はふうーふうーと冷ましてから一口飲んだ。
 美味しい、と一言感想を言ってから
「私が滝野さんに話してしまったらきっと、滝野さんは呼び出しに応じない──それだけは避けたかったんです」
「どういう意味だ」
「そのままの意味です。滝野さんが呼び出しに応じなかったら、誰が一番不幸になると思いますか?」
「それは桜川だろ──張本人なんだから」
 清水は首を横に振った。
「違います。この件で、一番損な役回りをしていたのは一体誰だったか……」
 損な役回りをしていたのは、間違いなくあいつだ。
「志村香織」
 俺と接点を持ってしまったがゆえに、それを利用され活用され、挙句の果てには俺を呼び出すための道具として使用された。
「滝野さんが呼び出し応じなかった。桜川さんを諦めさせるに足る事実としては、少し弱いです。紹介も人任せ、手紙も人任せ──彼女が告白に至るまでに、一体何をしましたか?」
 それは全て、志村の血と汗の結晶だ。何一つ、誇れるものが桜川にはない。
「仮に、私が滝野さんに全てを話し、手紙作戦を失敗させたところで、別の作戦を考えていたでしょね」
「なるほど。その時はまた、志村にあれこれ頼むんだろうな」
 やりたくもないことを強要される──それを危惧して清水は手を打った。
「桜川さんは何もやってない。手紙を書き、下駄箱にそれを忍ばせ、来るか来ないかドキドキする──その感覚すら味わっていない。それでも彼女は行動に移してしまった。告白をすると友達に宣言してしまった。プライドが高いであろう彼女が、おずおず引き下がるわけがありません」
「だから、俺に何も伝えなかったと──志村を助けるために」
 志村にこれ以上、不幸になってほしくなかったから。
 欺瞞にまみれた告白を受ければ、俺がどんな対応をするかなんぞ、清水にはお見通しだろう。
「一つ失敗したことは、桜川さんの行動を読み切れなかったところです。さすがの私も、少々肝を冷やしました」
「あんな報復の仕方は思いつかなし、思いついても実行には移さないだろ、普通」
「私を慰めてくれているんですか? それとも自分を?」
「この場にいない、誰かさんをだ」
 ですね。と、清水は言う。
 今の話で確信した──正直勘だったが、清水の意図を理解し、勘は確信へと変わる。
「もう一つ──手紙を書いたのは清水、お前だな」
 これで三枚目だ。
「理由を聞いても?」
 素直に教えてはくれないよな、やっぱり。
 アイスコーヒーを一口飲む。氷が溶け、水が表面に浮いていた。水と混ざり合ったコーヒーは、決して美味しいものではなかった。
「今回の件が露呈した日、志村の入学式での失敗談を聞かされた。その中で、志村は度々お前に相談をしていた。紹介の仕方、そして──手紙の書き方。書き方のアドバイスとしてお前は、そのままの気持ちを書けばいい、と言ったんだよな」
 手紙の内容を頭の中で思い出す──印象的だった手紙の内容を。
「だが、手紙を読んで俺が感じた印象は、真逆だった。結論を濁しに濁した文章に、志村らしさは微塵もなかったよ」
 志村とは短い時間とはいえ一緒に部活をし、会話をそれなのに交わした。
 その経験から言って、志村にあの手紙は書けない。
「清水、お前は知ってたか? 志村は入学式当日、風邪をひき学校を休んだんだ。それが長引いて、登校できたのが週をまたいでの月曜日。つまり、部活の説明会には参加していないんだ」
 清水は黙って聞いている。一度口をつけて以来、放置されたホットラテは既に冷めてしまっているだろ。
「そして、部室で文集に乗せる文章を考えていた俺に志村は、先輩ってこんな感じの文章書くんだ、と言った。なぁ、わかるか? 手紙の内容にはこうあったんだぞ──あなたの紡ぐ言葉に惹かれ、そして諭されました、と」
 更に細かい点を指摘するなら、手紙には滝野さんと表記してあるが、志村は俺をさん付けでは呼ばない。
 呼ぶのは俺の知る限り──清水だけだ。
「手紙はお前がすり替えたんだろ。志村から相談を受けていたお前が、決行日を知らないはずがない。志村が喋らなくても、お前から聞けばいい」
 清水が細部を聞いたからと言って、志村が断れるわけがない──志村から相談している構図にも関わらず、こっちからの質問には答えないなんて失礼なこと、あいつがするはずがない。
「志村が書いた手紙を読んだのか? その手紙はどうした? 捨てたのか?」
 清水は冷え切ったホットラテを少し飲む──志村に対する贖罪のつもりか?
「滝野さんは、そんな手紙のどこに惹かれたんです?」
 清水は俺の説明を、否定するでも肯定するでもなく聞いてきた。
 何に惹かれたか──これは感覚の問題であって、上手く言語化できるわけではない。それでも無理やり言語化するのであれば……。
「さましてしまった執着心が、一体どんなものだったのかが気になった……」
「そうですか………ではまずそこから話しましょう」
 そう言い、ホットラテの入った容器を少しだけ前に出した。

          6

「滝野さんにとって、人間関係を構築する上で大事な要素は何ですか?」
 清水はそう話しはじめる。前置きはいらない、結論から話してほしいが、この方が話しやすいならしょうがない、従うまでだ。
「それは……俺に害を及ぼさないかどうか、かな」
「滝野さん……。真面目にやってください」
 至って真面目だったのだが……。
 そういえば、清水が書いた手紙にも、似たようなことが書いてあったな。
「……意思疎通が可能な人」
「ふふふ、それも滝野さんの考えではないですよね」
「そう、でもない。意思疎通は大事だ──相手の考えがわからないと、害を及ぼすかどうかすらわからない」
「そんな一般論を私は聞きたいわけではありません。それが本当に、滝野さんの考える要素なら、私は何も言いません。でも、違いますよね」
「なぜ違うなんて言える。お前は俺の何を知っている」
 少々きつい言い方になってしまったが、しょうがない。清水から吹っかけてきたんだから。
「知っているも何も──私と関係を築けている時点で、滝野さんの考えは破綻しています」
 ……それ、自分で言っちゃうの。
 確かに俺は、清水の考えていることがわからない。でも、全てがわからないわけではない──清水だって、喜怒哀楽はあるし、顔にだって出る……たまに。逆に言えば、普段ほとんど顔に出ない分、たまに出る変化には気づきやすい。
「そういうお前だって、俺と意思疎通できてないだろ」
「そうなんです……。でも不思議なことに、私と滝野さんとの間で、関係を構築できています。もっと言えば、四葉さんとも、大原さんともです」
 いや、あの二人に関しては、こちらに合わせてくれているって感じなんだよな~。
「俺が思うに、意思疎通ができないからこそ、関係を構築できているんだと思う」
「はぁ〜、その心は」
「別になぞかけじゃないんだがな……まぁいい。お互いのことを知り得ないからこそ、見たい部分だけ見れてるんじゃないのか」
「滝野さんから見た私は一体、どんな風に映っているんでしょうね」
 清水の問いかけに、俺は答えられない……。
 清水は一体、どんな風に、俺から見られたいのか。
「前振りが長くなってしまいましたね──本題本題っと」
 俺からの答えがないことを察してか、清水は話を進める。
「執着心の説明でしたね。大したことではありません。滝野さんは笑うかもです」
 俺が笑うようなこと──失笑・嘲笑・苦笑、どれだろう。
「私にとって、人間関係の構築は、さほど難しいものではありませんでした」
 ここが笑いポイントか? 清水の冗談にしては、レベルが低いように思う。
「ここで笑ってほしいわけではありませんよ」
 心の中を読むな──やりづらくなるだろ。
「で、いつから難になったんだ」
「いつから、というよりも……きっと、初めから私は、関係の構築なんてしていなかったんだと思います」
「……よくわからんな」
 素直な感想が口からこぼれる。
「私にとって関係の構築は、作業みたいなものだったんです──相手に同調し、相手を立て、相手を懐柔する」
 清水だったら、それくらいできるだろう。
 感情の汲み取り方が異常に上手く、機微に聡いことを、俺は身をもって体験している。
「ですが、私が皆を理解できても、皆が私を理解することはできません」
「そんなの……普通だ。俺にも中学時代、友達はいた。お互いを理解し合えなくても、それなりに楽しく過ごせていたもんさ」
「滝野さんは、その友達に対してどのくらい、自己開示をしましたか?」
「それは……」
 ほとんどしていない。相手の話に相槌を打つだけの会話──それで会話は成立していた。
「私は一度も、自分のことを語ろうとはしませんでした……。でもそれは、語りたくなかったわけではなく、それが誠意なんだと思っていました」
 相手の気持ちを察し、尊重することを、清水なりに考えた結果──何も語らないという結論に至ったってわけか。
 自己韜晦──それが清水なりの他人に対する誠意。
「滝野さんにとって、誠意とは一体なんですか?」
 俺の誠意……。
 過去と現在を思い返せば自ずと答えはでてくる。
「無干渉──それが俺の誠意だ」
「そうだと思いました」
 清水にとって、どこまでが予定調和なのだろう。
 俺がゴールデンウィーク前の一件をぶり返すことも、清水にはわかっていたのか?
 そんなはずはない。確かに勉強会は清水のありがたい申し出だったが、図書室を却下し、別の場所を要求したのは俺だ。
 ただの偶然。清水はこの偶然を利用しているだけだ。
「滝野さんに初めて出会った時、私と同じ匂いを感じました──滝野さんにとっては不本意かもしれませんが」
「不本意ではないが、ご期待に添えず申し訳ないな」
「思ってもいないことは、言わない方がいいですよ」
 ふふ、と笑う清水。
「ですが、スタンスは一緒でも、私と滝野さんとでは根本的に考え方が違いました」
 清水は寄り添うことで自分を隠し、俺は距離をとることで自分を隠してきた──近すぎるがゆえに、何も見えない清水と、遠すぎるからこそ、何も見せない俺。
「無干渉、まさに目から鱗……。そんな薄情なやり方、思いつきもしませんでした」
「冷たいだけが取り柄だからな」
 悪口に同意することで、相手に罪悪感を植え付ける──俺の得意技の一つだ。
「ええ、そう思います」
 注意事項として、効かない相手もいる──その場合、深く傷つくことになる。
「なるほどな……。お前の執着心の正体は、人間関係に対するエゴってわけか」
「そうですね。人との接し方に悩んでいた時、滝野さんを見て──こんな風になったら人間終わりだな、と思いました」
「……」
 あれ? 流れからして──俺の構築理念に感銘を受け、そのやり方に準拠した上で、一から人間関係を再構築しました、的な話が聞けると思ったのだが……。
 こんな風になったら人間終わりだなって……本人を前にそれが言えちゃうお前も相当終わってるだろ。
「ああ、勘違いしないで下さいね。私は決して、滝野さんのことを褒めているわけではありません」
「俺は今、大いに傷ついたぞ! てか、さっきまでのシリアス展開はどうした? 急に畳みかけてきやがって」
「私たちにシリアス展開は無理だと思いますよ」
 そんなことはないだろ……。
 それこそ俺の過去を紐解いた時は、相当シリアスだったと思うが。
「それに私、自分語りが不慣れで……。それを誤魔化すという意味でも、少し冗談を挟みたくなってしまいます」
「まぁ、自分語りは相当スキルがいるからな。そういう事なら大目にみよう」
 清水にとって、内心の吐露は、今回が初めてなのかもしれない。
 ふむ。これまでの話でわかったことがある。
「手紙の内容で、少し気になる箇所があった──執着心をさましたってところ。さましたの箇所は、つまり、冷ましたってことでいいのか?」
「言葉で言われてもわかりません。とはいえ、さますの表記は大体三通りでしょう──冷ます・覚ます・醒ます」
 ん? 何が何だかわからん。
「冷たいの冷、覚醒の上と下で覚と醒──この三つです」
 なるほど、わかりやすい。
「実際、清水はどれを言いたかったんだ?」
「全てです」
「全てって……欲張りさんだな~」
 清水の執着心の熱を冷まし、迷いから覚まし、酔いから醒ました。
「私が抱いた執着心とは、そんなものです。滝野さんなら、わかってくれますよね?」
「……わかるわけないだろ」
 わかるはずがないんだ……。
「確かに俺は、他人に対して無頓着だ。でも、お前が思っているほど、無干渉ってわけじゃない。やっぱり俺たちは、お互いの見たいところしか、見ていない」
 俺は清水を聡明で全能だと思っていた──でも実際、不器用なところもちゃんとあった。それでも俺は、これからも清水を聡明で全能な奴だって思う。
「今回の件だって、俺が志村の相談に乗ったのが始まりだしな」
「それでも、自分から相談に乗ったわけじゃない──そうですよね」
「ああ……成り行きっていうか、断り切れなかったっていうか。それでも、話くらいは聞いてやろうと思った」
「聞くだけで済みましたか?」
 何でもお見通しってことか。
「一応、言わなくてもいいことを言った……」
「何と言ったんですか? 教えて下さい」
「志村に聞け──俺の口からは二度と言わん」
 あんなこと……。
「それはきっと……滝野さん本人が、一番気にしていることだったのでしょうね」
気にしていること……。
「滝野さんは、どこまでいっても滝野さんのままですね」
「……俺は、それなりに頑張った──無気力に、ただ怠惰に送るはずだった学校生活に、少しはやる気? みたいなものを見出してきた」
 部活にも入った、疎遠だった幼馴染とも関係を修復した、過去にけじめもつけた、後輩の面倒も見た。
「そうですね。滝野さんの過去を教えてもらい、その過去と今現在を比較したとき、やはり滝野さんは変わったんだと思います」
 変わった……。成長ではない変化。
「行動には結果が結び付く──いくら行動に移せるようになっても、結果が変わらなくちゃ意味がありません」
「……意味のない変化」
「部活に入って何か変わりましたか? 大原さんと関係を修復して何か変わりました? 四葉さんとの誤解が解けて何か変わりましたか? 後輩が入って来て何か関わりましたか?」
「そんなの、まだ変化途中かもしれないだろ……。結果を求めるにはやや早計だ」
「それでも、途中経過くらいは、確認してもよろしいのでは?」
 それはまぁ、何かが変わりそうではあるが、今は現状維持ってところだ。
「別に、私は滝野さんを陥れようと思って、こんなこと言っているわけではありません」
「散々下げるに下げといて、これから持ち上げられるのか?」
「はい。最後の言葉を聞いたとき、滝野さんは何も言い返せなくなることでしょう」
 それは楽しみだ。
 俺は手を前に振ることで先を促す。
「滝野さんは時に、相手の気持ちも考えず、ストレートにものを伝えてしまいます」
 桜川の一件でそれは反省した。
「時に、手助けをすることに理由を求めてしまいます」
 多方面から散々嗜められた。
「時に、裏ばかり考え、本質を見誤ってしまいます」
 今、中原は何をやっているのだろうか。
「滝野さんは行動を起こしました。でも、結果だけ見ると、やはり昔と何ら変わってはいません」
 桜川からの告白を、俺は無下にした。中原からの告白を、俺は無視した。
 どちらも結果として、相手を蔑ろにしたことには違いない……。
 泉の問題は、主犯格を部活から遠ざけることで解決した。中原のいじめは、見てみぬふりをした。
 どちらも、根本的な解決には至っていない……。
 坂下に自己欺瞞、志村に自己嫌悪。
 どちらも傷ついたのは俺だった……。
「でも、そんな滝野さんを誰も責めたりはしません。大原さんだって、四葉さんだって、中原さんだって、志村さんだって──そして、私も」
 責められた方が、その方がずっと楽になれた。
「……誰も俺を責めないのは、優しさか?」
「いえ、残念ながら違います。そんな生優しいものではありません──もっと残酷なものです」
 想像がつく──俺の一番嫌いな言葉。
「期待……ですね」
「そうか、ありがとう……」
 清水に俺の声が届いたかはわからない。
「私はそれでいいと思います──過ちを犯したって、後悔に苛まれたって、懺悔を重ねたって。それでも、私は滝野さんの見たいところだけを見ていこうと思います」
「そうか、ありがとう」
 今度はちゃんと届いただろう。
「滝野さんは他人に対して冷淡で、物事に対して冷酷で、それでも──友人に対しては、冷徹になれる方です。私はそんな滝野さんが──」
 俺はどこまでいっても冷たい人間なんだな……。
 でもしょうがない。そんな俺だからこそ、俺だったからこそ──ここまで腐らずにやってこれた。
 清水が一拍おく。
 そして、清水は言う。もしかしたら、これが清水の言っていた笑いポイントなのかもしれないが、清水の笑いを理解するにはまだまだ時間がかかりそうだ。
 折角なら、笑って解散したかった……。
「──好きです」

          7

 いつもより教室が騒がしい。それもそのはず、今日で期末試験も終わり、残すは終業式だけとなったのだ──来週から夏休みが始まるとなれば、誰だって欣喜雀躍する。
 本来なら試験は午前中で終わり、そのまま帰宅の流れのはず……なのだが、来週から始まる夏休みについて、学校側はあれこれ言いたいらしい。大体内容はわかる──学生の本分を忘れるな、とか、夜遅くまで遊び歩くな、とか、夏休みでも本校の学生としての自覚を持って行動するように、とか。挙げれば枚挙にいとまがない。
 そんな定型文をわざわざ聞かされるためだけに、午後に備えて昼食を食べている。
 メンバーはいつもの四人──俺の席の前に泉、その隣に坂下。
 そして、俺の隣で坂下の正面に位置する席に清水。
 いつもの談笑──主に、坂下と泉が話を提供し、時折清水の声が混ざる。俺にリアクションを求めてくれば、それなりの対応をするが、基本は静観に徹している。今だって、俺がいなくても十分、会話に花が咲いている。
「私の家、お盆になったら母方の実家に帰省するんだけど、そこがちょー田舎なんだよね」
「へー、それは大変だ──なまじ都会に慣れてしまっていると、不便さが際立ちそうだ」
「そうなのよ! コンビニに行くだけで十分はかかる。あ、ちなみに車で」
「確かに不便に感じることも多いかとは思いますが、田舎ならではの楽しみ方もあるのでは?」
 清水の素朴な疑問に対し、
「ちっちっち」
 坂下は人差し指を揺らしながら舌を鳴らす。
「ゆりちゃんは考えが上品なのよね〜。まぁ、そこが魅力なんだけど」
「では、楽しみは何もないと?」
「そうね〜。自然に囲まれているところが、いいところ? なのかな」
 小首を傾げながら言われても。
「都内みたく、局地的に自然が広がっているってよりは、その土地全てが自然の恵──ってことでいいのかな?」
「そうそう! そんな感じ!」
 泉のフォローに、坂下は顔を明るくさせた。
「子供の頃はそりゃ、自然の中を走り回ったりもしたよ。でも、高校生になった今、自然の中を駆け回ってもね~」
 高校生でなくとも、自然の中で何か活動しようとは思わんだろ。
 しかし、坂下が自然の中を走り回っていた──想像するに、麦わら帽子に虫網と虫籠を持って、そこら中の茂みを掻き分けたり、木を無作為に蹴ったりしていたのだろうか?
 想像しただけで少し面白い。
「ん、何笑ってんのよ! さては、私が麦わら帽子に虫網と虫籠を持って、自然の中を走り回ってる姿を想像したわね! ほんと、サイテー」
 無意識ではあったが、口角が上がっていたのだろう。それに気がつく坂下はほんと恐ろしい……。
 にしても、心の中を読むな。俺の想像した風体そのままじゃないか……。
 清水も以前、同じことしてきたような……。俺ってそんなにわかりやすいか?
「滝野さんの心を読むことなんて、至って簡単ですよ」
 いやだから、何で心の声と会話できるんだよ、お前たちは……。
「それはね、葉月が声に出しているからだよ」
「え? 声に出てる? 今までのこと全部?」
 三者三様、笑い声が俺に向けられる──泉は周りを気にしない豪快な笑いを、坂下は口を隠してはいるが声は大きい、清水は口に手を当て肩を上下さしている。
 なんだ……揶揄われたのか。
「試しに鎌をかけてみたけど、まさかこんないいリアクションを取ってくれるなんて思わなかった」
「お前の母親に言いつけてやるからな」
 お〜怖い怖い。泉は身震いするジェスチャーをした。
 本当に言いつけてやる。
「普段から私たちの会話に入ってこないけど、今日は特に入ってこないわね」
「ん? いつもこんなんじゃ……」
どうだろう? あまり意識したことはないが、でも、言われてみればそんな気もする。
「そうですね。普段なら一言二言余計なことを言って、四葉さんと私にこっぴどく叱られているはずです」
「叱るってお前、子供じゃないんだから……」
 しかし、叱るという行為は確かに、この二人には合っている──腰に手を当てて叱る坂下に、正座させて叱る清水。うん、似合う。
 会話が一旦途切れ、次は誰が話し始めるのかと思っていたら
「そうでした! 皆さんにご相談があります!」
 と、清水が堰を切ったように話し出す。泉も坂下も、なになに? と相槌を打っている。
 相談? なんだろう。
「折角の夏休み、どこか遊びに行きませんか? 思い出作りに!」
 なんだ、そんなことか……。
 パスパス。折角の夏休みだからこそ、家で休むのが世の常だ。
 てか、坂下はまず来ない──学校でならまだしも、プライベートでまで俺と行動を共にすることをよしとしない。俺と坂下が来ないとなれば、泉と清水の二人ってことになる。さすがの泉も清水と二人、外で遊ぼうとは思わないだろう。
 計画の段階で既に破綻してるな、これは。清水には申し訳ないが、俺たちはそういう奴らなんだ。
「いいわねそれ!」
 え? 何がいいんですか? 坂下さん。
 ……ああー。また俺の心を読んだのか。ビックリさせやがって。
「そうだね。来年受験生──遊んでる暇なんてない。羽目を外せるのは今回が最後になるかもしれない──うん、賛成するよ」
 賛成? ああ、清水と二人きりの夏を満喫することにだな。そうかそうか、それはご苦労様だ。さっきの鎌かけの件は黙っといてやるか、しょうがない……。
「で、葉月はどうする?」
「で、あんたはどうなのよ?」
「それで、滝野さんはどうですか?」
 泉は目を輝かせ、坂下は睨み、清水は微笑んでいる。
 これはもう……言うしかないよな。
「……ぜひ、参加させてください」
 まぁ、一日だけだったこいつらに付き合うのも悪くない。
「決まりですね! では、行き先はどうしましょう?」
「そうだね、宿の確保も考えなくちゃいけない」
「今から取れる所あるかしら?」
「いや、一日だけだろ? 普通に考えて」
「ならさ、明日の終業式終わり、話し合うってのはどうだい? 昼食を取りながら」
「俺は明日、用事があったような……」
「はい、私は大丈夫です。四葉さんはどうですか?」
「うん、大丈夫。でも、ある程度大枠は固めておきたいかな」
 どうやら俺の声は届かないらしい……。
 しかし、もう言質は取られてしまった──あとは流れに身を任せる他ない。
「そうだ、いい案があるよ。八月はなんと、葉月の誕生月なんだ──これを使わない手はないね」
 おい! 余計な事言うな!
「へ〜、そうなんだ。ああ、だから葉月って名前なんだ──安直ね」
 おい! 親が付けてくれた名前に安直とはなんだ!
「では、滝野さんの誕生日会も並行して行いましょう」
 おい! 余計な提案をするな! 断り難くなるだろ……。
「日時はどうしましょう? お盆は皆さん帰省されるんですよね?」
「うん。あと私、夏休み初めの週は、部活の合宿があるの」
「そうでしたか。では、お盆明けということでよろしいですか?」
「うん、それで大丈夫」
「平気だよ~」
 最初からわかっていたことだ──俺の意見が通るわけがないと。
「滝野さんもこれでよろしいですよね」
 そして事後報告と共に言質取り……。
「ああ……もう好きにしろ」
「そうさせてもらいます」
 ニコッと笑い、また話し始める──海がいいだの、山がいいだの、川がいいだの、いろんな候補が飛び交っている。俺はその光景をただ見守る。事の成り行きに身を任せるのはいつものことだ。
 結果が同じなら、行動してもしなくても一緒。だったら、無駄に動くよりは動かない方がよっぽど生産的だ。俺が動いて周りが変わる保証もなければ、俺が不動でも周りが勝手に変わることもある。
 可能性にひた走るストレスよりも、現状維持のストレスに浸っていたい。
「……スイカ割りとかしたいな」
 ただ……、ストレスに晒され続けるのも飽きたな。
 志村に対し、次こそは先輩として胸を張り、アドバイスできるよう俺も一歩前に進もう。何百、何千と続く階段だったとしても、終わりはあるんだ。 目的なき努力は自己満足にもならないが、自己肯定くらいにはなるだろう。
「また古風なことしたがるね〜、葉月は。あ、流しそうめんも面白そうだね」
「花火もしたい」
「全部やりましょう!」
 昼休みを終えるチャイムが鳴った。話はまとまらなかったが、まぁいいさ──明日もあることだし。
 泉と坂下はそれぞれ自分の席に戻る。
 二人が席に着いたのを確認してから、清水は身を乗り出し、俺に耳打ちする。
「告白の返事も、その時お願いしますね」
 やはり、あの日のあれは、冗談ではなかったか……。
 清水に勉強を教えてもらったあの日。最後の最後に言われたあの言葉──好きです。
 清水の予想通り、俺は何も言葉が出なかった──上手い返しが思い浮かばないくらい動揺した。
 その後、清水は俺の返事を待たずに伝票を取り、会計を済ませ喫茶店から出て行った。残された俺は、少し考え、あれは清水の悪い冗談だと解釈したが、自分に都合よく事実を曲解しても意味がない。
 今年、一年生から告白を受けた。中学の頃、俺のことを好きだった奴がいたと、泉から聞いた。見捨てた奴からおきみあげを貰った。
 そして今回、クラスメイトから告白された。
 一年生には思惑があり、中学の奴には好意があり、見捨てた奴には悪意があった。
で は今回、どんな意図あっての告白か……。
 裏ばかり見てはいけない──俺の悪い癖だが、清水からの告白なのだ、こればっかりは見ざるを得ない。
 ……いや、違うな。こんな時こそ、自分のモットーに忠実であるべきだ──考えてもわからないことは考えない主義。
 ──自分の軸を曲げてはいけない。
 そうだな、これもいい機会だ! もう二度とすることはないと思っていたが、またやってみるか──自分を見つめ直すという意味で、今一度、自己紹介を。
 名前──滝野葉月
 出身校──東京
 趣味──人生相談・過去への探求・自己理解
 意気込み──臥薪嘗胆
 なるほど、だいぶ見つめ直せてきているな。
 しかし、また考え直さなくてはならない。
 自分を、そして──俺に告白してきた彼女のことを。

意図ある告白 完

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