消えたお客さま
通訳案内士の仕事をしているとアクシデントやトラブルに遭遇することもあります。今回は「お客さま」が突然消えてビックリ!警察沙汰かとオロオロ!の事例を紹介します。
今から約10年前のことです。
中国絵画、墨絵や書道の先生15人の文化交流団が来られました。
京都での行事や観光を終え、京都から名古屋へ新幹線で移動の時の話です。
ホテルから京都駅までのバスの中で、新幹線の発車時刻と何号車に乗るのかを伝え、指定席だったので、スムーズに着席できるようにと、「1-A」などと座席番号を書いたメモを用意して一人ひとりに配って用意万端!!
そして、「新幹線の停車時間はとっても短いので、私たち全員が1つの乗車口から乗ると時間がかかります。車両の前後に乗車口があるので分かれて乗ってください」とお願いしました。
京都駅に到着し改札で団体券を提示して、いざホームに。
はじめての新幹線で楽しみにしている、写真を撮りたいと言う方もいて、少し早めにホームに上がりました。
乗車する号車の所まで行き、もう一度発車時刻と渡したメモの座席に座るようを伝えました。
すると、乗ろうとする列車の一本前に到着する列車があるのを掲示版で見て、
「次に入ってくる列車ではありませんよ~、次のですよ」と言って回りました。
実際にその列車が到着すると、大きな声で「これではありませんよ~、次のですよ」と再度言って回りました。
そして乗るべき列車が到着すると、皆さんはちゃんと分かれて前後の乗車口から乗ってくれました。私はホームに残っている人がいないかを確認して、最後に乗りました。
車内ではそれぞれが手元のメモの番号を見て、「ああ、ここか」と言いながら自分の座席を探して着席しました。
すると、3、4人のお客様が何か話をしています。
私は近づいていって
「どうしました?何か問題ありますか?」と尋ねると、
その中の1人が「李さん(仮名)がいない」と言うのです。
「トイレじゃないの」
「タバコを吸いに行ったのではないの」
「電話してみたら?」「電話番号知らないよ」と、
騒ぎがだんだん大きくなってきました。
グループの数人がトイレやデッキに探しに行ってくれました。
私も焦ってあちこち探しに行きましたが、どうしても見つかりません。
グループの皆さんも口々に「さっきまでいたのにおかしいなぁ」。
私はとっさに「逃げた」と思いました。
中国人に対する観光ビザの解禁に伴い、日本でお金儲けをするために観光で日本に来た後、逃げる人が当時はたまにいたのです。私は通訳ガイド以外にも法廷通訳をしていて、実際に「逃げた」事件を担当したことがあったので余計にそう思いました。
私は走って探し回って息を切らしながら「警察沙汰」になるのかとの想いが頭の中を駆け巡りました。では、私は通訳ではなく「証人」として出廷することになる!?
やはり見つからないので、これは旅行会社に報告しなければならないとデッキで電話をかけて、事のいきさつを説明しているところに、車掌さんがやってきました。
「グループのガイドさんですか?お客さまの1人が1本前の新幹線に乗っていたようです。その列車の車掌からお客さまに名古屋で降りるように伝えました」
私はそれを聞いて、安堵し一気に緊張感が解けて、
もし漫画で描いたなら、へなへなと床に座り込んでしまうようなシーンでした。
私は車掌さんにお礼を言って、すぐにグループの皆さんのところに行ってその旨を伝えると「あーよかった」とやっとみんなほっとしました。
そんなこんなしていると、もうまもなく名古屋に到着です。
消えたお客さまを一刻も早く確認したいという想いで、ドアのところに立っていると、グループの皆さんも同じ想いで、ぎゅうぎゅう詰めです。
新幹線が次第にスピードを落としホームに入ると、ドアのガラス越しに、見覚えのある姿が見えました。
「あー、よかった」
グループの方と一緒に、その消えたお客さまに「一体どうしたのですか」と尋ねると、
お客さま:「京都駅のホームで、来た列車に乗ったんだ」
私:「これではありませんよ~、次のですよーと言ったでしょう」
お客さま:「新幹線は停車時間が短く、分かれて乗ってと聞いたので、もう一つ向こうの車両の乗車口から乗ろうと思って、少し離れていたので聞こえなかった」
私は心の中で、「逃げたと思い疑ってすみません」と謝りました。
その消えたお客さんは書道家でした。
日本を離れる最終日に、私の名前入りの、畳一枚位の大きさの書道の作品をプレゼントされました。
「新幹線では迷惑をかけてごめんね」と言いながら。
このことがあってから、新幹線に乗る前には、この事例を紹介します。
それ以降はこういう事は一度もありません。やはり注意してほしい事は、繰り返し伝え、その際に実際に経験した例を挙げると説得力があると思います。
そして、「日本はこうです、こうしてください。そういう決まりです。」というのではなく、「こういう理由でこうなっていますので、こうして下さいね」と、その理由を伝えると大抵のお客さまは納得してくれます。
これがトラブルを防ぐ一つの方法ではないでしょうか。