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悲しい桜 ~パワハラ体験記〜

私のnoteのプロフィール画像は、昨年娘と拾った桜の花にしている。
私たちは、娘の希望で、幼稚園への行きと帰りに違う道を通っていて、帰りには小学校の裏道を通ることになっている。
小学校の裏手には、入学式であったり、進級したりしたときに、各クラスがその前で集合写真を撮るような、立派な桜の木があった。
桜は、花びらとなって散っているものが多いけれど、花ごとぼとッと落ちているものもあり、きれいに落ちているものを選んでは、毎日3つまで拾って帰る…ということをしていた。
この写真は、そのときに撮ったもの。

今年は、また新しいものを撮って、プロフィール写真を差し替えようと思っていた。
きっと、昨年と変わりばえのない写真にはなるだろうけれど。

最近になって気がついた。
その桜の木は、昨年、切り倒されてしまったのだ。
地元の小学校は、老朽化していて、一昨年から建て替え工事が行われている。
件の桜の木は、昨年の桜の花が散るのを待って、切り倒されてしまったのだ。
桜の木がなくなったあとも、毎日小学校の裏を通っていたのに、最近になって気がつく私、どれだけボーッをしているのか…。
プロフィール画面は、しばらくは、昨年撮ったもののままになりそうだ。


桜といえば……。
とても悲しい桜を見た春があった。


パワハラ、というものに遭ったことがある。
相手は直属の上司だった。
はじめの数年間は何の問題もなく仕事を進められていたのだけれど、ある年の仕事納めの日を境に、パワハラ、というものが始まった。

その上司は、その年度の社会福祉士の試験を受験する予定だった。
件の仕事納めの日は、試験の日まで1か月を切ったところ。
おそらく、勉強があまり捗っていなくて、本当は年末年始の休暇と合わせてまとまった有給休暇をとって、試験勉強がしたかったのだろう。
でも、仕事が忙しくて、できなかった。
それが、機嫌の悪さに直結していたのだろう。

その仕事納めの日、何についてかは忘れてしまったけれど、私は仕事の経過報告を行った。
そのとき、「少しよろしいですか?」と声をかけただけなのに、それまで見たこともないような嫌そうな顔をされた。
「眉を顰める」ということを、最大限に体現してみたら、きっとこうなるんだろうな…、というほどに眉が歪んでいた。
もちろん私は怯んだ。
でも、「なに?」と(不機嫌そうに)返答があったし、報告しないといけないものは報告しないと…なので、一応報告はした。
私、あの人に何かしてしまったかしら……と気になった。

同じ日、隣の課の人が、年末の挨拶に、ということで、チョコレートを持ってきてくれた。
その人は、当時、課で二番手くらいに若かった私に「配っといてくれる?」と、チョコレートの大袋を置いていった。
私は、とりあえず平等な数になるように分けて、課のみんなの机にそっと置いてまわった。
もちろん、件の不機嫌な上司にも…。
不機嫌な上司は、私が彼の邪魔にならないようにチョコレートを置いただけで、先ほどと同様の嫌そうな顔でこちらを見た。
私、本当に、何かしてしまったのかしら…。
チョコレート、それも私からのものでないと分かりきっているチョコレートを配っただけなのに、こんな顔をされるなんて。
でも、思い当たる原因は特になかった。

年末の「ああ、今年も終わるなあ」という仕事納めの日、予想だにしない出来事に遭った私は、帰り道にこっそり泣いてしまった。

年が明けても、上司の私に対する対応は変わらなかった。
相変わらず、眉を顰められる日々……。
それどころか、徐々にひどくもなっていった。

まず、私の隣の席に、私よりも1つ年上の同性の先輩がいたのだけれど、ある出来事に対して、同じ意見を述べたとしても、返って来る反応が違った。
私は、とりあえず、怒られる。
先輩は、怒られないし、ときには、笑顔で好意的な反応が返ってくることもあった。
私の言い方が悪いのだろうか。
たしかに、先輩はとても気遣いができて、愛想もとてもよかった。

上司が社会福祉士の試験を終えたあとも、対応は変わらなかった。
私は、3月~4月に、とても大きな仕事を抱えていた。
上司も、それが分かっていたにもかかわらず、愛想のいい1つ上の先輩の大きな仕事をまるごと私に振ってきたのだ。
忙しくなる時期は、どちらの仕事もだいたい同じ頃。
私は、「これでは困る」と何度も上司に訴えた。
上司は、「自分でスケジュール管理など何とかしろ」としか言わなかった。
この年度に入ってから、私の仕事ぶりが悪かったのだろうか。
だから、あえて忙しい仕事、それも忙しい時期が重なる仕事を2つ与えて、「ちょっとは苦労しろ。成長しろ。」ということなのか。
なぜか、元々抱えていた自分の大きな仕事のための残業は許されなかったので、私は仕方なく、締切2か月前の2月に、元々の自分の仕事を持ち帰りで進め、係内の調整も終えたうえで、上司に資料を提出した。

ところが。

上司は1か月以上、その資料を放置した。
4月の締切3日前になって、ようやく確認された資料が私の手元に戻ってきた。
指摘事項はたくさん、いや、それは必要なことなのだが、なかには、1ページにまるまる、大きく「×」と書かれて、具体的な指示がないページが数ページあった。
見かねたパワハラ上司の同僚にあたる上司が間に入ってくれて、係のみんなで修正について話し合う会議が行われた。
会議の結果、締切も近いため、係のみんなで手分けをして1日で修正作業を行い、翌1日でパワハラ上司に再度確認をしてもらい、そのまた翌日に再度調整会議を行おうということになった。

そして、再度の調整会議の日。
また、そのパワハラ上司は、修正箇所を書き込んだ資料を、会議の開始時刻ギリギリになってから私に返してきた。
会議まで時間もなく、かといって、そのパワハラ上司を含めた複数人が会議後に予定があるので会議を先延ばしにすることもできなかった。
仕方なく、人数分の資料をコピーして会議に臨んだわけだが…。
「なんや、焼いた(コピーした)だけかい。」と。
「こんな会議俺が出る意味ない。みんなで話し合って、道筋できたらまた呼んでくれ。」と。
パワハラ上司は、会議室から出て行ってしまった。

年末以降、「明日からは、また仕切り直して、上司に認めてもらえるよう頑張ろう!」と、気を奮い立たせてきた。
毎日、惨敗だったけれど。
それでも、毎日、仕事に、職場に、しがみついてきたのだ。
会議室から上司が出て行ったあと、私のなかで気がプツンと切れた。

何が、ダメだったのだろう。
何が、足りていなかったのだろう。
どこから、間違えていたんだろう。
私は、もうダメだ。
私は、とてつもない出来損ないだ。
こうやって係の人の足を引っ張っている。
直属の上司にも、何ひとつ認めてもらえない。
係どころか、課の人の足も引っ張っている。
部の人の足も引っ張っている。
いっそ、会社の人みんなの足を引っ張っている。
出来損ないの私は、夫をはじめ、家族の足も引っ張っている。
出来損ないの私は、世の中の人の足も引っ張っている。
そう、今この記事を読んでいるあなた、当時のあなたの足も……。

会議室で、係のみんなを前に、私は泣いてしまった。
あとほんの数年で、30歳になる頃だった。


さて、ここまでの内容で、違和感を感じた人がいるかもしれない。

自分ばかりが悪い、と思っている……。

当時の私は、圧倒的に私の不手際が原因で、このような事態になったと信じて疑わなかったのだ。
「パワハラ」の「パ」の字も浮かんでこなかった。

パワハラ上司は、仕事ができる人だった。
トラブルが起きれば、落としどころまでの筋道が描ける人だった。
新しい何かを始める場合は、進んで白紙にイチから絵を描き出せる人だった。
当時の私にとっては、どれも苦手とするところだった。
その「立派な、仕事のデキる上司」が私につらく当たる。
これは、自分に落ち度があるに違いない……。


私が会議室で泣いた日、間に入ってくれていた上司が、私が席を外している間に、さらに上の上司となる課長に一連の出来事を話してくれた。
私が席に戻るときに、ちょうど、課長とその上司が別室から出てきたので、すぐに、今日の出来事の話をしていたんだ、と気がついた。
聞けば、その1週間ほど前に、別の先輩も課長に報告をしてくれていたようだ。
課長に報告をしてくれた上司に、謝罪とお礼を伝えにいったとき。
「yuraさん。これは立派なパワハラです。」
と、ハッキリと言われた。
課長に報告してくれた別の先輩からも
「これは、いじめやで。」と。
「yuraさんは負けずに、真面目に立ち向かってくれていた。」
とまで言われたときに、はじめて、そうか、コレがパワハラか…とようやくうっすら気づきはじめたのである。

DVに遭っても恋人をかばう人の気持ちが分かる気がする。
私は、数か月かけて洗脳されていたような状態だったのである。

ほかの会社では、こんなのパワハラのうちに入らない、ウチはもっとひどいぞ、というところも、いまだにあるかもしれない。
(まあ、パワハラ自慢をしたところで、それは何の意味もなさないのだけれど。)
ただ、10年近くの年月がたち、あの頃のことを振り返ってみても、アレは立派なパワハラだった、と今の私ならハッキリと言える。

決裁その他仕事を理由なく放置すること。
具体的な指示もなく叱責すること。
部下への態度をあからさまに変えること。
膨大な仕事を与えておいて、残業を許可しないこと。
会議中に出て行ってしまうこと。

彼は、たしかに「仕事のデキる人」ではあったかもしれないけれど、上司として「マネジメントがデキる人」ではなかった。
あとから、社会福祉士の試験勉強との両立が大変だったということや、男性更年期の時期にさしかかっていたことが分かったにしても、もうすでにズタボロになってしまった私の心には何も響かなかった。

その後、パワハラ上司は課長からの注意を受けた。
その後もパワハラが続くようであれば、私もヘルプデスクのようなところに訴えようかと思っていたが、一応マシになったことと、対応してくれた課長や上司、先輩の顔にむやみに泥を塗るまいと、訴えでることはしなかった。
翌年には、そのパワハラ上司は事実上の降格となり、それを不服とした彼は、その年の末に退職していった。


振り返ると、一番苦しんでいたのが、今の季節。
毎日、通勤途中にある桜並木を見ては、「今日こそは!」と、意気込んでいた朝。
惨敗したあと、同じ桜並木を見ては、「何が至らないのか」と、悲しくなった夜。

あんなに悲しい桜は見たのは、後にも先にも、あの春だけ。
そしてなぜか、悲しいのに、今思い出すと、美しくもあった。
恋に敗れた女性が、なぜか美しく見える瞬間があるように。
桜は、いつもこの季節、ただいつも、そこに咲いている。
花に印象をつけるのは、いつもこちら側。
あの春の桜は、悲しくて美しい桜だった。
悲しい分、余計に美しくすら見えた。


でも。
私は二度とあんな桜は見たくない。


あの春以降、桜は毎年、ただ、そこにあって、ただ、咲いている。
今年はまだまだ寒くて、見られる時期はもう少し先になりそうだけれど、ただの桜、を、今年も見たいと思う。


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