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ひかりのうま

3年程前知人に、大久保の「ひかりのうま」というライブハウスでのイベントに誘われ、ダンスと朗読で構成した作品を上演しました。

その時の朗読作品と、展示した絵です。
作品タイトルもライブハウスと同じ「ひかりのうま」にしました。

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また、夢を、見た。
今でも一日たりと忘れることはない、あの日の夢だ。
俺はじっとりとした汗を拭い、寝返りをうった。
もう六年程前になるか。杜盡(トジン)・・・・・・今はもう無い、生まれ故郷の村。

あれは、短い夏の夜、夜半のことだった。
眠りの膜を引き裂くように、激しい半鐘の音が、村中に鳴り響いた。
「襲撃か?!」
鐘守の打ち鳴らす鐘の音のパターンは、ここ二十年余りなかった、外部からの襲撃者の存在を示していた。
素早く身支度を整え、俺は家の裏手に広がる飼育場へと走った。そこここに火の手が上がっている。
馬は、この寂しい寒村の唯一の財産だ。
早くに両親を亡くした俺を引き取ってくれた伯父の鳳捐(ホウエン)は、村でも五本の指に数えられる大馬主であり、品種改良の研究者でもあった。
俺が世話を任されていた特別厩舎には、取り分け希少な馬種が集められていた。
伯父が命よりも大事にしている馬たちを何としても襲撃者から守らなければ。
賢い彼らは、くびきを解けば自分たちで安全な所へ逃げのび、ほとぼりが冷めた頃に戻って来るだろう。襲撃者の手にさえ落ちなければ・・・・・・。
防壁や柵が破られつつあるのか、賊に捕らわれた悲しそうな馬のいななきが、村の至る所で聞こえ始めた。
「嗣晏、来たか!」
厩舎には既に伯父の姿があった。
伯父を手伝い、馬たちを解き放ってやると、敏感な彼らはすぐに耳を立て、風上の方角へと駆け出して行った。
端まで来た所で、飼育場の入口の方から怒声や乱れた靴音が聞こえてきた。馬たちの唸りやいななきも聞こえる。
一般厩舎が、略奪の目にあっているのだろうか・・・・・・。
と、その時だった。
「うっ・・・・・・」
最後の馬に取り掛かっていた伯父が低い呻き声を挙げ、体を折った。
残っていた数頭の馬が総立ちになり、狂ったように戸口から戸外へと躍り出た。
馬の陰になっていた伯父の姿が露になった。その背中から胸へと貫通している、一本の矢。
「月暈号、逃げろ!」
反対側の戸口から伯父を射た馬賊の姿を捉えるより前に、俺は厩舎の戸口へと走りながら叫んだ。
ただ一頭残った月暈号は、他の馬のように猛り狂って暴れることもなく、大人しく戸口の横に立っていた。
賊が自分を傷つけることはないと、分かっていたのかも知れない。
「待っていてくれたのか?」
次の瞬間、月暈号が跳ねた。
俺の目の前に、黒灰色の体が躍った。
月暈号は大きくいなないた。
俺は無我夢中で月暈号に飛び乗り、外へ走り出た。必死でしがみついたその首元には、矢が突き立っていた。
彼は身を挺して、この俺を庇ってくれたのだ。

炎に焦がされた空、人々の叫び声、馬のいななき、金属と血の匂い。

着のみ着のままで辛くも逃げおおせた村民たちは、周辺の集落に落ち延び、身寄りを頼ってそれぞれの地へと散っていった。
焼き払われた村へ一度は戻った者たちも、その惨状を目にして、村を再建しようという志も潰えてしまい、今なお住み続けるのは、数えるほどの老人たちだけだ。

月暈号の傷は幸い深くはなく、火矢や毒矢でなかったのも幸いして、順調に回復した。
俺はしばらくの間、伯父の家と飼育場の跡地へ留まり、馬たちが戻って来るのを待った。
特別厩舎の馬たちは大半が戻ってきたが、何故か"ルミエクウス"と名付けられた月暈号の仲間の数頭のみは、姿を見せることはなかった。
俺は馬たちを手放し、月暈号と共に、彼の仲間を探す旅に出た。
伯父の遺志を引き継ごう、などというつもりはない。
ただ、これが俺に考え付く限りの、伯父と月暈号への恩返しだ、というだけだ。

雲が晴れてきた。
冴え冴えとした月光が、大地を明るく照らし出した。
月暈号がぶるっと体を震わせた。俺は身を起こした。
「少し早いが、出発するか?」
俺は相棒の首を軽くさすってやり、その背へ跨った。
朝日が昇る頃には、次の町へ入れるだろう。

× × × × × ×

金属性の打撃音と共に深紅の霧が巻き起こり、次の瞬間、周囲の地面には三人の男が倒れていた。
いずれも、見るからに人相の悪いごろつきだ。それぞれ手に山刀や青龍刀を握っている。
「全く、油断も隙もない」
そう呟くと、嗣晏(シアン)は長剣の抜き身を鞘に納めた。
致命傷ではないが、当分追ってくる元気はないだろう。しかし、血生臭い現場を早く離れるに越した事はない。
血の匂いを嗅ぎつけて、どんな獰猛な獣や無頼の輩が群がってこないとも限らないのだ。
風が、ひゅう、と音を立てた。砂嵐の兆候だ。
嗣晏は、首に巻いたスカーフで口元を覆った。
ほっそりとした身体は女性のようにしなやかだが、漆黒の瞳の射るような鋭さを見れば、決して気を抜いて接してはならない相手だと判る。
嗣晏は卒倒している三人の武器を掴んで鞍に取り付けた布袋に放り込むと、ひらりと愛馬・月暈号に飛び乗り、陽の沈む方角へと馬に鞭を当てた。

細かく区分けされた薬草園の端まで手入れを終えてしまうと、躬絡(ミラク)は晴れた空を見上げて大きくのびをした。
小鹿のようにすんなりと伸びた手足。象牙色の肌が、薄っすらと汗ばんでいる。
「もうお昼なのね。食事の支度をしなきゃ」
手足の泥を落として家へ入ると、母親の葛惺(カセイ)が刻んだ香草を俎板から鍋に移しているところだった。
「母さん、起きていていいの?」
「ええ、今日は調子がいいみたい。お前にばかり働かせるわけにはいかないしねえ」
「働くのは好きですもの。今日は天気がいいから、作業も捗るわ」
焼いたパンとスープ、果物の簡素な食卓へ向かうと、葛惺は思い出したように言った。
「そうそう、さっき泰記(タイキ)さんが顔を出して、お前に頼みがあるって。後で屋敷に寄ってくれ、と言っていたわ」
「あら、仕事かしら」
躬絡は目を輝かせた。
「あまり無理をしないでね。近頃は物騒なんだから」
「大丈夫よ。隣町まで荷物を運ぶだけでしょう。朝早く出れば、夕方までには戻って来られるわ」
「そう?・・・・・・すまないわね、私が体を壊してしまったばっかりに」
躬絡の家は町外れにある。
食事が済むと、躬絡は無造作に束ねていた長い黒髪を結い直し、刺繍の縫い取りのある外出着に着替えて、町の中心部にある、商人・泰記の屋敷へと向かった。

「二城巽(ニジョウソン)ですか?」
「ああ。取引相手はいつもの莱白(ライハク)氏だ。合言葉は分かるな。品物はサイロン1.5kgと、フェンティル2kg」
泰記はでっぷり太った体を大儀そうにかがめ、葉巻に火を点けた。
「極上品だ」
闇の仕事を手掛けているとはいっても、泰記は決して悪どい人物ではない。この新稜(シンリョウ)の町議会のメンバーで、人望もある。
だが、ここまでの成功を得るまでには、随分危ない橋を渡ってきたことだろう。
豪奢な調度が設えられた客室を見渡しながら、躬絡はそんなことを考えた。
「確か今は、奉納祭の最中ですよね」
「だから人目を欺けるんじゃないか。お前の出番がなければ、それに越した事はないがな。
今回は、こいつが道連れだ」
泰記は、部屋の隅に控えていた、まだ幼さの残る少年を顎で示した。
「絽丹(ロニ)、初仕事だ。頑張れよ」
「よろしく、絽丹」
少年はぺこりと頭を下げた。
商人は懐から、膨らんだ巾着袋を取り出した。
「明朝六時、厩へ来てくれ。これは手付けだ」

「おや」
嗣晏は前方の暗闇に目を凝らした。何かの影が蠢いている。
そこは切り立った岩山に挟まれた峡谷だった。
騎馬のまま擦れ違うには狭すぎる程の道なので、それが何であれ馬から降りなくてはならない。
だが、こんな場所で無防備な姿を晒すのは危険だ。もしかすると、また追剥や馬賊の類でないとも限らない。
「どうした」
嗣晏は声をかけた。
「近寄るな!」
ようやく闇に目が慣れてきた。栗毛の馬の背でぐったりしている少年と、その前で三日月刀を抜いて身構える娘の姿があった。
「病気なのか?容態は?」
馬に乗ったまま近寄った嗣晏の目の前に閃光が走り、手綱の端がはらりと地に落ちた。
「近寄るなと言った筈だ」
「やれやれ、そこまで警戒しなくてもよかろう。それとも何か後ろ暗いところでもあるのか?」
嗣晏の言葉に、娘は狼狽した様子を見せた。
「そんな訳があるか」
「そうか?その腕前、只者ではないと見受けるが」
「お前こそ何者だ」
「私の名は嗣晏。居住地はない。いわば流浪の徒だ」
「流浪の・・・・・・?」
「ああ。故郷は北方の寒村だが、馬賊に襲われて家々は焼き払われ、皆散り散りになってしまった」
娘は眉をひそめた。
「そう・・・・・・疑って悪かった。
私は躬絡、この子は絽丹。新稜の者だ。所用で二城巽へ向かう途中、賊に襲われてこの子を奪われた。
何とか追いついて取り返したが、逃げる賊に馬から投げ落とされてかなり酷い傷を負っている。その上道に迷ってしまって。
早く手当てをしなくては・・・・・・」
「見せてみろ」
嗣晏は馬を降り、手早く応急手当の施された少年の体をあらためた。
「この状態では、夜明けを待つ訳にはいかないな。このまま進もう」
「無理だ、この路面の悪さでは。馬が足でも取られたら・・・・・・」
嗣晏はおとなしく佇んでいる、夜の雲を思わせる黒灰色の馬に目をやった。
「この月暈号には、特別な力があってな。但し、精度の高いエリクサーが大分必要なんだが。確か、メスケルの小瓶があった筈・・・・・・」
そう呟きながら、嗣晏は布袋の中身を探り出した。
躬絡は暫くその様子を眺めていたが、やがて思い切ったように積荷の二重底から、小分けにされた袋の幾つかを取り出し、黙って嗣晏に差し出した。
「・・・・・・禁制品か!」
「そう。フェンティルとサイロンよ。それと気づかれないよう、わざと交易の時期を外し、子供に使いをやらせてるの。
私はその用心棒って訳」
「危険なことを」
「でも今日の賊は最初からこの子が目当てだったみたい。奴隷商人にでも売るつもりだったんでしょう。
私が一人で行けば良かった」
「一人では持ち逃げの恐れがあるからな」
嗣晏は馬の飼料を器にあけ、薬草の精製物である淡褐色の粉末を混ぜ込んだ。
「どうするの?」
興味深げに見詰める躬絡。月暈号は飼料の臭いを嗅ぎ、ゆっくりと口に入れて食みはじめた。
と、食べ進むにつれ、その体がまるで雲間から現れる月のように輝き始めた。
躬絡の栗毛の馬が、驚いていなないた。
「すごい・・・・・・!」
「これで足元を取られることもあるまい。ついて来い」
「なぜ命令する」
口を尖らせながらも、躬絡は絽丹の体を支えながら、注意深く栗毛の馬に乗り込んだ。

風に乗って、微かな打楽器と弦楽器の混ざり合った音が聞こえてきた。奉納祭は、夜を徹して行われるのだ。
張り詰めていた気が緩んで、少し頭がぼうっとしてきた躬絡の目裏に、幼い頃祭りで見た、煌びやかな衣装を纏った踊り子の姿が浮かび上がってきた。
踊り子の身体からは金の粉が舞い散り、闇の中に軌跡を描いた。
嗣晏の故郷にも、祭りはあっただろうか。
不思議な体質を持つ月暈号の仲間たちは、その後どうしてしまったのだろう。
無事生き延びて、今もどこかの草原を駆けたり、草を食んだりしているのだろうか。

峡谷を進む二頭の馬と、その周囲を包む朧な光。
その光景を目にした者がいたとすれば、まるで墨絵のようだと思ったに違いない。
いつの時代、どこの国の話とも知れぬ、蜃気楼のような出来事である。

#小説 #ファンタジー #ひかりのうま

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