水澤心吾「決断 命のビザ "SEMPO" 杉原千畝物語」
映画監督の賀川良氏にお誘いを受け、3月19日、お茶の水クリスチャンセンターにて開催された水澤心吾氏の一人芝居「決断 命のビザ "SEMPO" 杉原千畝物語」を拝見してきました。
去年の夏、神奈川県立地球市民かながわプラザにて開催された「生と死の間で ホロコーストとユダヤ人救済の物語」という展示を見にいったのですが、その展示でも、外交官として大勢のユダヤ人の命を救った杉原千畝のことはクローズアップされていました。
彼がビザを発行したユダヤ人一家の証言も、紹介されていたのです。
高校生くらいからナチス・ドイツについての本は読み漁っていたのですが、最近新たに何冊かのホロコースト関連の本を読んでいたので、賀川氏からのお誘いは願ってもないタイミングでした。
偶然にもつい数日前、千畝の出身である早稲田大学の前を通りかかり、校舎を写真に収めたところでした。
しかも千畝は晩年、私の実家のある鎌倉に住んでいたと知り、ますます身近に感じました。
さて当日。
クリスチャンセンター8階のチャペルに入ると、賀川さんがお知り合いの方々と談笑されていました。
私もご紹介にあずかりご挨拶したりしているうち、開演時間に。
舞台中央に机と椅子、上手に革のトランク。
スクリーンに、ヒトラーの演説シーンが映し出され、ナチス政権樹立から、ユダヤ人迫害に至る流れが紹介されます。
映像が終わり、スクリーンが巻き上げられると、正面の壁に十字架が現れました。
そして、水澤心吾氏演じる杉原千畝が登場。
天国の千畝が回想を交えながら当時を語る、という趣向です。
ナレーションに近い説明部分と、パントマイムで見せる一人芝居の部分と、動きや語りの強弱での見せ方が巧みでした。
千畝は医者にさせようとした父親に逆らい、試験のなかった早稲田大学に入学。
アルバイトを掛け持ちしながら英語教師を目指すも、働き口が無くなり、たまたま新聞で目にした外務省の留学生試験に、たった一か月の勉強で見事合格。
満州のハルビンに、ロシア語留学することになります。
ハルビンではロシア人の斯界に飛び込み、たちまちロシア語を習得。
ロシアの事情にも通じるようになります。
そのお陰で諜報活動に従事させられたり、ソ連の日本大使館に赴任することになったにもかかわらず入国を拒否されたりした挙句、フィンランドのヘルシンキに赴任。
ドイツ・ポーランド間の情勢が緊迫するに従い、ドイツ、ポーランド、ロシアと近接するリトアニアの首都カウナスに、情報収集を主たる目的として、領事として赴任します。
ある朝、日本領事館の前に、ひどい恰好をした100人を超えるほどの群衆が押し寄せます。
彼らの中から5人の代表を招いて話を聞くと、彼らはポーランドから逃げてきたユダヤ人たちで、日本への通過ビザを求めていたのです。
難民たちがナチスの迫害の手を逃れるには、もはや日本へ向かう極東ルートしか残されていなかったのでした。
千畝はすぐに外務省に電報を打ち、ビザ発給の許可を求めます。
しかし返答は、発給は認めないとのことでした。
諦めず2度、3度の電報を打つも、返答は変わらず。
懊悩する千畝の目に、群がる群衆の中にいる?せ細ったユダヤ人の子供が、地面に倒れる姿が映りました。
すると幼い息子が「あの子を助けてあげるんだよね」と、千畝に問い掛けたのです。
その時、千畝の心に、旧約聖書の「エレミアの哀歌」の一節が思い浮かびました。
そして妻・幸子に向かい「本国の命令に反して、ビザを発給する」と伝えます。
幸子は「そうしてあげて下さい」と答えました。
難民たちに向かい、ビザの発給を伝えると、彼らの表情が一瞬にして、希望に輝きます。
それからひたすら、本国からの退去命令を無視して、ビザを書き続けました。
夜になると手が動かなくなり、幸子にマッサージをしてもらい、翌朝も早くから書き続け……。
時間がない。一枚でも多く書かなくては、と手を動かし続けたのです。
とうとう最終通告が来て、領事館を離れなくてはいけなくなります。
機密書類を焼き捨て、車でまずはホテルに向かい、そこでもビザを書き続けます。
翌日、駅に向かう車の中でも、列車に乗り込んでも、最後の最後まで書き続けました。
去ってゆく列車に向かい、ユダヤ人たちは「ミスタースギハラ、私たちはあなたを忘れません。いつか、もう一度あなたにお会いします」と叫びます。
千畝は何故かビザ発給の責を問われることなく、ベルリンへ向かい、その後ヨーロッパを転々とし、終戦後は収容所生活を経て帰国。
鵠沼に居を構えますが、ほどなくして外務省を罷免されます。
不遇の生活を送る中、一人の外国人が訪ねてきます。
彼は、ボロボロになった一枚の紙を差し出します。
それは、千畝の書いたビザでした。
交渉に当たった5人のうちの一人であった彼は、千畝を必死で探したものの、大使館に問い合わせても「該当者なし」との返事で、探し当てるのに時間がかかってしまったのです。
終戦から20年以上が経っていました。
天国で、千畝は自分が助けた少女の書いた手紙を読みます。
「あなたのおかげで、私たちは生きています」
公演の後、水澤氏によるトークや、リトアニアで公演をされた時の映像などが上映されました。
駅や千畝が最後に宿泊したホテルなど、至る所に千畝を讃える記念碑や銅像があります。
千畝が執務を行った日本領事館は現在、杉原記念館となっていて、使用した机や備品もそのままに残っています。
水澤氏がその机に座ってビザを書いているシーンもあり、お芝居のリアリティに納得がいきました。
幸子夫人がイスラエルに招かれ、千畝が救った人たちからお礼を述べられている写真もありました。
千畝の助けたユダヤ人は4000人とも言われています。
その子孫は、今や22万人にも上るそうです。(聞き違いだったらごめんなさい)
イスラエルで上演した時には、ユダヤ人たちの心情に配慮し、冒頭のヒトラーの映るシーンはカットされたそうです。
彼らは今でも、ヒトラーの姿を見るとちゃぶ台をひっくり返すような激情に駆られるそうで、無理もないことだと思いました。
また、お芝居を観た日の夜、一睡もできなかったという人もいたのだとか。
迫害の記憶があまりにも辛く、蓋をして見ないようにしてしまっている人も多いのだそうです。
お芝居を観たことでその蓋が揺さぶられ、抑えていた感情が噴出してしまったということなのです。
今起きている、ロシアによるウクライナ侵攻に、ナチスによるポーランド侵攻を重ねて見る方も多いでしょう。
第二次大戦後のニュルンベルク裁判では、平和に対する罪、人道に対する罪、戦争犯罪が国際犯罪として規定されました。
人間の尊厳を脅かすこれらの行為は、全力で阻止していかなくてはなりません。