病は恋のように


自劇団の本番2週間前を過ぎてこのタイミングで短編台本をなぜあげるかというと、物販作業でパソコンを開いていたらこの台本が出てきたからです。すっかり忘れていたし内容も読むまで全然思い出せなかった。



インフルエンザに小学校ぶりに(多分)かかって、その直後に書いた2年前。

最近自劇団のツイキャスラジオでラジオ台本を書く、読む、という習慣がなくなったので、強制的に書かなければならないということがなく、書きたいなぁと思ったり。いや自分で書けばいいんだけど。小説とか短歌とか詩とかは書いてハイ!とこうやってSNSにあげればいいけれど、脚本って読んでもらうやってもらう、という予定がないとモチベが上がらず書けないなと思います。あ、ほぼ嘘です。めんどくさがりなのと正直全然余裕がないので書けないなという感じです。




めちゃくちゃ正直にいうと、今年は役者というより、作演を!する!という年にする予定でした。去年12月初めて作演させてもらって、来年(2020年)は3本作演出をやる、と決めていました。珍しく周りに公言もしてて。そしたら疫病で予定がどんどん狂っていき。予定が狂っているのは私だけじゃなくて「大きな舞台から小さな舞台」「売れてる役者さんから売れてない役者さん」まで、きっとそれぞれですが、1つが崩れるとどんどんどんどん先が見えなくなる状態は、私の場合は「みんなそうだから」なんて言葉を誰にもかけたくないし誰にもかけて欲しくないほど負荷があるなと思います。(他人の地獄は触っちゃダメだ、と思います。それぞれ色々感じていて、それは理解することは不可能だろうと思います。)まあ、それでもこうやって自分の場では発言するわけですが。

今の目の前のことをやるだけだと思います。伸びた一人芝居も今年中にやる(予定)ので、役者としての活動が今後もあることはありがたい限りだし嬉しいことこの上ないけど、本当は身体の中で「??」ってなってるのは事実で。その役者として出る舞台だってぎりぎりまで出れるか出来るかわからなくて。昨日の通し稽古の動画を見ながら「ああいつ死のうかな」なんて考えてしまうわけで。頑張っても世間に自分に追いつけなくて。生きることは、苦しい。でも大事な人が生きているだけで喜びに満ちる。こんなことを考えるのは昨日祖母に電話をしたら元気に出てくれたからだと思う。

だから、まあ、健康でいることを根底の目標に今年は生きてもいいんじゃないかななんて思います。死なないことを目標にしても良いだろう。

大事な人よ。情けなくて死にたい夜を何度も過ごしても、恋人に振られてもセフレにガチ恋してもホストや風俗嬢にハマってもギャンブルやアルコールから抜け出せなくてもいいから、タバコを吸っても何をしてもいい。生きてください。最終的に今ここに存在してくれているのなら、私はこの上なく嬉しい。

そんな作品です。(違います。)

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