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ライムとミントから学ぶこと。

 

今日スーパーに行って、ライムとミントを買うだけで40分ほどかかった。

このご時世、「不要不急の外出は控えてね」と言われてる中、選ぶことが出来ず、ただスーパーの中を彷徨ってしまった。

私の中でスーパーに並んでいる品揃えはキャパオーバーで、選ぶという行為に非常に脳を使い、身体を使い、時間を使う。

欲求が足りない。

あれを食べたい!これをしたい!という欲求の具体性が足りない。しかし、全ての欲求が具体性を伴ってるかというと、そうでもないと思う。

メディアが増え、SNSの媒体が増え、選択する幅がどんどん増えた。なんとなく見ながら、ああ、自分はこれを見たかったんだ、あれをしたかったんだ、と気がつく行為が楽しかったり、時には疲弊してしまう。

私の場合は書店でウロウロして最後に気になる本を手にとる行為は2時間でも3時間でも良い時間を過ごした、という感覚になるが、スーパーでの40分はなんとなく時間をロスしてしまった、 という感覚に陥り心身共に疲弊する。

何事も、選択しなければ、と思うほど疲れる。無理に決めようとするから、疲れる。

ただ、時間がかかっても、なんとなくふわっと、輪郭が曖昧なまま、突き進んで、いつか輪郭が見えてもいいのではと思う。

結果、今日見えた輪郭は、ライムとミントで、ノンアルコールモヒートだった。そしてnoteを始めた。

「書きたい」欲求は昔からあった。

役者という、コミュニケーションをとる行為を私はしている。「彗星マジック」という劇団に所属し、去年の12月に「林檎の君へ。」というユニットを立ち上げ、「火曜日のゲキジョウ」というイベントに実行委員の一人として参加し、先輩同期後輩まで、または毎回初めましてのお客さままで、老若男女とコミュニケーションを現実でも物語上でもしている。

しかし、はっきり言う。人と話すことが苦手だ。これも、人数が多ければ多いほど、苦手だ。今、何かを話さなければ、と思えば思うほど何も言えなくなる。逃げたくなる。一人になりたい。やっぱり選択肢が多く、時間内に決めなければいけないことは苦手だ。

しかしだからこそ、憧れもある。逃げたいと思いつつ、みんなと話したい。現実でも、舞台上でもコミュニケーションを取っている人は、私にとって輝いている。だから、舞台に携わっている。

私にとって、反射的に答えるお喋り、よりも、文章を書く方が じっくり考えてアウトプットしやすい。まだ時間を急かされている感覚がない。昔から手紙を書くことはお話するよりも好きだった。書いては消し、書いては消し、たまに足して。そしてなにかを書いてたらあなたに伝えたい何かに辿り着き、どんどん湧き上がっていく感覚があった。

書きたい、でも書くことがない、と思っていたのだが。noteを始めるにあたって、何かを決めてから書こうと思ったのだが。何も決めなくても書けば「ライムとミントを買ってモヒートを作りたい」という欲求のように、湧き上がる気がした。

まずは書くという練習から。

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