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相対的な話と絶対的な話。


ぽっかりしている。

といっても、この期間に6分以内の一人芝居の動画を2本あげて、延期になった5月5日の脚本について諸々考え、先日は自分の所属している劇団のツイキャスラジオ内で30分一人で話すべく、原稿をまとめたりしていた(無事に終わった…ありがとうございました。聞き直したら「あの」と言いすぎていて大反省してます。)今できることを、良いも悪いも何かしらやれた期間だった。

考え事をしながら、周りがいて、相手がいるから今できることができるなと思った。一人芝居に対しても、演じてくれる人がいるので書けたし、5月5日の脚本公開するぞと発表したら、一緒に公開しませんかと劇団レトルト内閣福田さんから提案して頂けたり。ツイキャスラジオに関しては、聞いてくれる人がいて、先輩方がいたからなんとか30分持った。

疫病のおかげで、人に対する意識がよりくっきりしている感覚がある。

疫病での苦しみ。実際にかかったり、自粛をしたり(もちろん私もその一人だ)、実際お芝居ができなくなったり。

でも正直なところ、こうなる前と今、私は何も変わらない。「こうなる前の幸せに戻りたい」と言われても、悲しいことにピンとこない。もちろんぱたっと色んなことが制限されたことに対してのショックは大きかったし、悲しみに包まれていたけれど。そうか、元より幸せだった人も多いし、繋がっている人も多かったのか。

会えない人には世界がどんな状態だって会えないし、周りが幸せに包まれていても私は悲しいということだってある。いつだって生きていることは苦しいし一人だ。その中で、自分にとっての本当の細やかな幸せを掬えるか。自分のエゴで人が救えたらこの上ない幸せだと思う。私にとっては、生きている理由はいつだってそれだけ。

一人だなーと思いながらも、この機会にこうやって書いたり、連絡を取り合うことができることによって、よりくっきりと相手のことが見えてきて、私が今どう思っているかがわかってきて。だから、今は今で何も変わらないし、得るものもあるんだなと思う。

どんな状況でも、本当に大事なものはなんだろう。その大事なものが折れなければ、生きていける、と思っている。

目の前の花が美しいと思えるだけで人生きっと十分なはずなのにな。

でもやっぱり。舞台に携わらなくなって約1ヶ月。ぽっかりしている。何か日常で欠けることにより、明確に見えてきそうだなと思う。



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