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人を嫌いになってもいい。嫌いなものは嫌いなのだから

最近こちらの本を読みなおした。書きたいことがフツフツとわいてきたので、noteにまとめようと思う。

「ひとを嫌うということ」。なんともアグレッシブなタイトルである。

きっかけは忘れたが、私はこの本をかなり昔に買った。ときどき読み返しているのだが、読むたびに味わい深い気持ちになる。

この本には「人を嫌いになってはいけないと考えてる人、めちゃくちゃ多くない?そんなの無理だよね。もっと嫌っていこうぜ」という主旨の内容が書かれている。なかなか斬新なアイデアではないだろうか。

人を嫌いになってはいけない。

これはまさに私が思っていたことだ。

関わる人全員と仲良くしたい。みんなに好かれたい。誰とも不仲になりたくない。子どものときからそういう思想を持っていた。

でも当然全員に好かれるなんてことはムリで、何度も人間関係のトラブルに巻き込まれたし、嫌いな人間ももちろんいる。

大人になって、全員と仲良くできないことはよくわかった。フリーランスになったこともあり、「合わない人からは離れればいい」と思えるようになった。

でも、そううまくいかないのが人間関係である。離れようとしても、できない相手もいる。嫌いたくないのに、どうしても好きになれない相手もいる。

私は発信活動をしているので、なるべく人の気持ちを不愉快にするようなことは言いたくない。発信をするからには、人間力を磨きたい。

そのためには、嫌いな相手がいるなら、いいところに目を向けて好きになる努力をすればいい。相手と話し合って、お互いの理解を深めればきっとわかりあえる。そう思ってきた。

でも無理だった。

嫌いなものは嫌いである。私の中でプツンと糸が切れた。

もういいや。毒を吐き出そう。

そう思って、自分だけのメモに、相手への憎しみを書き殴った。言いたい放題好きなことを書いてやった。

そうしたら、とても晴れやかな気持ちになった。なんだか不思議な気分だった。少し高揚感すら覚えている自分がいた。

その直後に、この本の存在を思い出した。読み返したら、かつてハイライトした文章が目についた。

好きな人と嫌いな人がさまざまな色合いで彩る人生のほうが豊かなのではないか。ひとを嫌うこと、ひとから嫌われることを人間失格のように恐れなくてもいいのではないか。「好き」が発散する芳香に酔っているばかりではなく、「嫌い」が放出する猛烈な悪臭も十分に味わうことができる人生ってすばらしいのではないか。

「ひとを嫌うということ」中島義道 著

そして、食い入るようにもう一度本を読み返した。今回は、この文章をハイライトに追加した。

ひとを真剣に嫌うことはー真剣に愛することと同じくーー重いことです。だからこそ、貴重なことです。それから逃れることなく、追及すればいいのです。(中略)「嫌い」を大切にすること。こうした現実にしっかり向き合うことから、人生のたとえようもない味わいがわかってくる。

「ひとを嫌うということ」中島義道 著

私はきれいな人間でありたかった。誰も嫌いになりたくなかった。でも、嫌いなものは嫌いである。それがわかって、醜い自分を認められたから、今すこしスッキリしているのかもしれない。

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