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エディントンとチャンドラセカール:新しい風と古い権威〜新しい風の時代で大切なこと〜

風の時代に入った今、既成概念を取り払いありのままの現象を受け取ること、過去のルーティンに執着せず新しい可能性に目を向けることが改めて大切だなぁと思ったのでした。

今日は体調を崩して会社を休み、ゆったりと体を休めつつ、宇宙についてのんびり考えていました。

宇宙について思いを馳せた時、私にとってブラックホールは欠かせません。

ブラックホールは、物理学者によって命名されたのは1967年のことで、まだまだ新しい理論ですが今ではブラックホールの存在を否定する人はいません。

でも1930年代にはまだまだ天文学の世界では突拍子もない理論でした。

エディントンは星の最後は必ず白色矮星となると考え、一方チャンドラセカールはある質量を超えた巨大な星はつぶれ続けると考えました。星の見解についてふたりはまるで違う考えだったのです。

「無限につぶれ続けて小さな点になる」なんてありえないとエディントンは自分の理論が根本的に否定されるこの理論を潰し、チャンドラセカールを破滅させようとしました。

当時は量子力学についてまだまだ詳しくなく王立学会では当時権威があったエディントンを全面的に支持しました。チャンドラセカールはその後星の研究を封印してしまいました。

それから30年ほど経った後、水爆から超新星爆発の理論が裏付けられました。再び星の研究に戻ったチャンドラセカールの理論は、1967年物理学者ホイールによってブラックホールと命名、1970年NASAの人口衛生がブラックホールの存在を確認、とうとう理論が検証に追いつき、その業績から1983年ノーベル物理学賞を受賞しました。

その頃、エディントンは自分の理論に執着し、新しい理論と合わせるために強引に「1」を足しました。周りは「アーサー・アディングワン(+1)」と呼び、からかいました。既に理論ではなく知的創作物と扱われていました。

エディントンは偉大な天文学者でしたが新しい理論を認めず罵倒しました。それはチャンドラセカールの理論を認めていたからであり、一番最初のブラックホール理論の理解者でもあったわけです。

もし、自分の名誉に執着せず、チャンドラセカールと一緒に研究していたら、もっと早く、さらに偉大な業績者として後世に名を馳せていたに違いないのです。

チャンドラセカールは回想で、

「もしエディントンが私の結論を受け入れていれば、誰よりも早くブラックホールに辿り着いていただろう」と語っています。

エディントンにより、ブラックホールの研究は遅れに遅れ40年の月日を費やすことになったのです。

若きエディントンが先達の科学者の先をいき、チャンドラセカールがその先をいく。

自分の発見が次の発見の土台となること、これが喜びとなるのです。

そうありたいとわたしも思います。

今までの当たり前は、これからの当たり前ではありません。

ブラックホールのように自分自身さえ支えられなくなり無限につぶれ続けないように、

常に新しい風に乗り、執着を手放し、こうであらねばならない、という固定観念に縛られず、過ごしていきたいものです。

それこそが地の時代から風の時代へ移る流れだと思うのです。(*´∀`*)


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