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なんとなく心がざわざわ、落ち着かない。曇り空のようにすっきりしない、そんな日があるものだ。

特にこれといった理由は浮かばないのだけど、あれかしらこれかしらと小さなもやもやを思い起こす。

小さな水蒸気が集まると大きな雲になるように、小さなもやもやも大きな落ち着かない何かになるらしい。

そんな日は「諸行無常の日」と呼んで、1日そんな日もあるさ、と深刻に考えないようにして過ごす。

物事は常に変化していて、同じ一瞬など二度と来ないのだから、この”もやもや”もちょっとしたことで、パーッと晴れたりするだろう、という感じ。

晴れの日も雨の日も曇りの日も風の日も、それはそれで、まぁこんなこともあろうわな、と深刻にしない。

とはいえ、なんだか物悲しくなったり、ひどく疲れを感じたりして、心身ともにぐったりである。

原因は不明である。

不明でも実際そうなのだから原因はあるはずだ。

そっと心を覗いてみる。やはり少し萎びて表面に張りがない感じ。心に問いかけてみると

「なんか人間関係に疲れちゃった。気を遣い過ぎてヘトヘト。」じわーっと送られてくる思い。

うむ、全くその通りだ。気を遣って色々面倒くさい。私が気遣う程、周りから大事にされていないのを感じてガッカリし、怒りもあったのだ。そしてそれが悲しかったのだ。

水蒸気が雲になって、たくさん水分を蓄えると雨になる。ザーザー降る時もあればしとしと降るときもある。

心も小さなざわざわが発達して耐えきれなくなると涙になる。号泣したい時もあればぽろりと涙が溢れるときもある。

空と心はとても似ている。

空に漂う雲の形は決して同じものはない。常に変化して姿を変える。

青空の日も嵐の日も、やっぱり全く同じ空はないのだ。

常に変化する世界の中にいる時は自分の感覚や心だけが頼りになる。

もやもやしたら、それはサイン。心が呼んでいるのだ。

もやもやするのは納得していなくて、とても怒っていて、悲しいからであった。心が消耗しているから身体もガックリ疲れているのだった。

やはり「心」が大切なのだった。

心が疲弊すると何をやってもやりきれなくなる。

そんな時は心を癒しつつも、身体を先に休ませてみる。

心と身体はつながっているから、心が疲れたら身体、身体が疲れたら心。

とりあえずどっちかの疲れを少しでも取れば軽くなる。

というわけで、

諸行無常の日は「心」をちゃんと覗いて、会話して過ごそうと、今日も思ったのであった。






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