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無能

 久しぶりに文章を書こうと思った。

 何時振りかと思えば、一年半ぶりくらいらしい。
 しかも当時はなんだか文体も敬語と混ざり気味である。
 まぁ、偉そうな感じにしたくないのでやっていたという何となくな記憶はある。この先も今回も揺らぐかもしれないがご勘弁願いたい。

 さて、改めて書こうと思ったの自体は何となくであるが、ぶっちゃけ言ってしまえば書きたくなるタイミングは俯瞰で見ると共通点がある。

 何かしら日常が辛くなったタイミング。

 半分愚痴投稿みたいなものか、それとも何かと諦めて残そうとする遺書みたいなものか。自分の場合後者が多い気がする。
 正直長生きには興味が無いし何か自分が殺されるくらいのことをしてしまったとしたら『いいよ』と素直に刺されても構わないと思うくらい、延命に興味が無い。明日かもしれないし、10年後かもしれないが終わるものは終わるもの、多分余程人に迷惑なり落胆を抱かせるような悪いタイミングでない限り素直にパッタリ逝くのだろう。そう思っている。

 で、じゃあ今どうしたと。

 まずは1年半も空いてしまえば知ってる人は知ってるし知らない人は知らないだろうということでざっくり近況報告をしよう。

 まぁ現職やら前職やらにバレるのも嫌なのでざっくり。
 社会人になって初めて入った会社、まぁ知る人ぞみんな知っていたあの会社をちょうど一年前ぐらいに辞め、そしてその後転職して入った音楽教室のバイトがパワハラによるとんでもないブラック、そしてわずか1ヵ月で逃げ去るように再転職して今の会社に至っている。

 それでもってその会社も5月で1年程経つのだが、まぁ仕事内容自体は概ね数か月前まではそこまで苦ではなかったものの、如何せん低賃金のため某社の時の社会人一年目より収入が低い。とどのつまりその職場の間裏にあったアダルトショップより遥かに低い。なんならそこらのコンビニや飲み屋より低い可能性もある。

 で、上記『数か月前まで』としたのは現状まぁ賃金以外も厳しくなったからである。社会人に出てからこれは何故か引き続けてしまうのだが、どうにも仕事の上で関わらざるを得ない範囲に絶対に相容れない人間がいる環境になってしまう。
 そんなもの勿論入社前や入社面接で推し量り切れるものではないが、それにしても自分が真っ当に何故か仕事をする上でとんでもない人と遭遇する羽目になってしまう。下を見るようなことを言えば今回がパワハラや法抵触まがいではないだけマシなのだろうか。とにかく現職で部署が変わったことにより生じたこのエンカウントも碌なものではない。

 もう正直仕事というものが分からなくなってきた。

 私は、現状所謂『現代社会』の皆々様から見れば肩書がない人間である。
 確かに今の会社は前職(音楽教室ではなくその前、もうあの1ヵ月に関してはなかったことにほぼしている)の名前で拾われたところもあるが、だからといって何か優遇があるわけでもなく、何かと専門知識という面で頼られるが数字に別に直結していないとのことで特にそれによって功績評価があるわけでもなく、傍から見れば『国立理系大卒が社会人5年目にして正社員でもなく手取り15万』というなかなか悲惨な字面が出来上がる。
 まぁ私も職をかなり狭く選んでいるのもあるし、そもそも正社員登用に関してはここまでどこでもそうだがその会社を本当に信用できるかどうか推し量れるまでは基本自分から拒否している。寧ろ正社員だったかどうかでしか採用時に判断しないような会社は私の方から信用していない。多分新社会人の皆々様も実情の判断なんてしていないと思うが、余程の福利厚生や制度が確立されていない限り、金銭面や自由度だけ見れば正社員になどならない方がマシなことが多々ある。業界にもよるとは思うが。

 現に今も正社員じゃないからこそ休みの日程の自由と時給制故1分単位で計上される残業で何とかまともな額まで給料を稼げているが、現状社内の様子を見るに正社員になるメリットがあまり見当たらない。上長程かなりのハードワークかつ裕福で自由な暮らしをしている風もない。休みも変わらないどころか自分より少ないのではないかとさえ思う。
 だから正直今の会社もこの先の計画や方向性に面白い部分はあるが、この先そういった面があまりに酷ければ見切りをつけるしかないなと思っている。

 前職に入った頃の社長が、退任するときに言った言葉がある。
 『生活のために仕事をしろ』と。

 自分のしたい生活があった上で、まずそのためにどうするか、そして自分は何を提供できてどう対価として収入を得るかを考えろ、という意味での言葉だったと記憶している。

 その言葉以来、私にとっての仕事のスタンスもそうなった。

 だから、前職を惜しまれつつも辞めたのは、そういった面もあった。
 別に音楽だけで収入を得ようとは思ってない。けれどちゃんと音楽を作っていけるだけの生活が欲しい、そう思って半年くらい悩んで辞める直前に別部署への異動でその時より働きやすくなる提案も頂いたが、その時は辞めたい理由も多々あったのもあるが、何処かちゃんと踏み出したい意味でも辞める決断をした。
 尤も、その直後が社長からのパワハラが常時のとんでもないブラックだったので今は辞めない方が良かった可能性も大きいと感じている。もっと言えばそこから逃げ延びるように入った現職が社会人になって以来一番時間もお金もない。それでさらに上述のエンカウントである。

 御陰様でここ最近心身ともに駄目だったらしく昨日は晩飯は食べきっていたらしいがいつ寝たか全く記憶がなく気付いたら布団に横たわっていて10:30だった。休みの日だったから良かったもののそうでなければ完全に遅刻である。
 ちなみに今の会社は遅刻に対してまぁまぁなペナルティがある。体調不良もほぼ考慮はされない。電車遅延も先日までは問答無用でカウントだった。

 そんな中せめてもの思いで自分が如何に『自分だからこそ出来る仕事や立ち位置』を、役割に応えていけるかという部分を真っ当にやっていたのだが、それも多々の事情で無碍にされたり不真面目な大人に塞がれたりしてここ数か月は散々な思いをすることが多々あって、まぁこんな文章を綴る程度には参ってしまったわけである。

 ふとまた肩書の話に戻るが、もう一度言うが私には肩書がない。
 新社会人になった人は本当に覚えておくといいがまず肩書は作った方がいい。

 もっと言えば、何かしらの他人からの能力の証明、実務経験である。

 人間だれしも余程怠惰で無ければ自分が出来ることというのは挙げられるものだと思う。
 しかし、現代において大切なのは、それが出来ることの『他人から見た証明』である。
 新卒採用をしているようなところは確かに教育もするだろうが、中途採用やその他ともなれば、『何をやれるか』ではなく『仕事として何をやってきたか』を問われる。

 私であれば、DAWはLogicで扱えて、ある程度音源の編集やミックス、マスタリングまで出来て、その他音響ケーブルも自作できればエフェクターも多少の修理も出来るし学生時代のサークルのころの経験も含めればPA機材の扱いや照明機材の扱いも多少できる。その他画像編集も自分の音源やロゴを作るときにやっている程度であれば出来る。

 と、『自分では列挙出来る』。

 ただそんなもの、言ったもん勝ちみたいなもので、他人から見ればそれが本当にできる証明などないに等しい。作品などあったところで数字や実績がないものは完全にノーカウントな世の中である。

 重要なのは、『そのスキルで仕事をしていたか』どうかである。

 そういう意味で行くと、私はきちんと提示できる肩書がほぼゼロである。なぜなら上記のそれらは明確に収入が発生する仕事ではなかったから。
 勿論直接話したり、知識を示したりすればそのうち人となりの能力は認められていくことになるが、世間から見たら前職の名前こそあれ私は『無能』である。

 じゃあ何をしてきたのか?と言われれば、私がしてきたのは人と話すこと、そしてその発言に必要なだけの知識を詰め込むことである。

 接客業だったから、というのもあるが、それ以上に自分は自分の発言に対して必要以上に責任という面を重く感じている。間違えて伝えたら問題になるような発言や言動はまず例え覚えていてもソースを見ずには絶対確定では発しない。
 その為色々な知識や試行を実際してきてはいるがそれが記録に残っているわけでもなし、数字があるわけでもなし、強いて言うならそれを使って誰かをいい方向に向かわせられたのならそれが証明なのだが、まぁ自分一人いざ面接になったところでそういった面はまず踏み込まれないし理解されないし、そもそも理解されるものだとも思っていないので結局『無能』で終わるのである。

 で、今の職をこのまま辞めてしまえば幹部クラスの方々と色々話し合いながら進めて形にはしていたことも結局はまだまだ結果が出ていないので特に何にもならず無実績、もっと言えば人によっては『非正規雇用は仕事に含めない』とかいう過激な人も未だたくさんいるのでこの一年まともなことを何もやってこなかった奴、と扱われて終わりなのだろう。
 今時非正規でも責任面での権限や決定権は無いにしろ仕事内容として大して変わらないことも、責任者の立場より最前線で効率上げて活躍している人も大勢いるのだが。残念ながら人間は偏見を取り払うのが困難な生き物である。

 故に、そんな公称『無能』が何かを発信したり、人に少しでも何かを分け与えられるとしたら、無償でのこういう場になる。
 もう少し専門的な知識の話をすれば有料記事にしていいのかもしれないが、正直な話自分の中ではそれぞれ何年もかかっているとはいえちょっと調べればちょっと考えれば誰でも確立できる程度のものという自覚があるので、それで有料にするのはあまりにおこがましいだろうということもあるので恐らく今後もあまりやらない。強いて言うなら、知識や議論のレベルが同等にいない人に届くと厄介なことになる場合に回避策として使うかもしれないが、そこでお金を取りたくなるくらいなら私は性格が悪いので、この知識や技術群は例え伝え方次第で何か広く貢献できるものがあったとしても人知れず私の死と共に闇に葬られてしまえばいいとさえ思っている。
 リアルで会ったり連絡を取り合ったりしている人の多少役に立っていればそれでいい。

 明確な証明がないということはそういうことである。

 ちなみにもう一個付け足すと私はこの程度の文字数綴ることに何ら抵抗がない。前職の某ブログを見てくださっていた方も何人かいるとは思うが、ああいった投稿をすることに殆ど苦がない。強いて言うなら綴る所要時間とネタ切れがきついくらいで、ネタさえあれば文章が正しくかけているかはさておきいくらでも書ける。じゃあそういう職に就けば?とお思いかもしれないが残念、ライター職もまた実務経験の世界の職である。こんなもの問答無用で『未経験』判定である。

 そうして今日も一つ、また一つと無能のまま自分に日々や経験が証明もなく、しかし確実に蓄積していくのである。
 そんなことは誰も知らない。私だけが自分の足跡を知っている。

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