見出し画像

中で闘う、外で闘う

新潮45に掲載された杉田水脈氏の発言を擁護する記事に対して、同じ新潮社の文芸部公式アカウントが声を上げたことが注目されているようです。

これに対して能町みね子氏が、この公式アカウントがRTで反対の意を示したことについてバッサリと切り捨てています。
一方で組織内部から批判の声を上げることを評価する声も多く見られます。

新潮社文芸部公式アカウントの“中の人”がどのような方なのか存じ上げませんが、かつて大組織に所属していた経験のある私はこの一連のRTおよびTweetをクリックする瞬間に思いを馳せていました。

組織が大きくなればなるほど歪みを修正するのは簡単ではありません。
ましてやその組織に属し禄を食む身となれば、現在の身分も保証されなくなる可能性があります。

もしかしたら“中の人”には支えなければいけない家族がいらっしゃるかもしれない。
健康で文化的な生活を送るために必要な収入が絶たれたり減少することもあるかもしれない。

まっとうなことを声に出せない組織がおかしいと言ってしまえばそれまでですが、おかしいと思いつつその中で歪みをあらためていくには時間が必要なこともあるのです。

一個人と同じように組織も内部から変革を求めることの方が外部から圧力をかけ「変えさせる」よりも効果的で永続性が高いと私は思います。
大切なのは歪んだ環境の中で勇気を持って声を上げた人々を外部から支援していく共闘体制の構築ではないでしょうか?

たしかに時間がかかることは大きな欠点です。
しかし、スピードを求めるがゆえに個人にリスクを負わせることが果たして正しいことなのかどうか。

SNSというのは社会対個人や企業対個人にスポットライトを当てがちで、こうした組織内部に属しながらも批判の声を上げ現状を変えていこうとする個人に対して極めて冷ややかであるように感じることが多々あります。
「そんな企業に就職したオマエが悪い。」という自己責任論が見え隠れしている。
強大なものに立ち向かう弱者に対する判官びいきにもいささか偏りがあるのではないかと感じます。

中で闘う人と外で闘う人が敵対していてはせっかくの芽吹いた改善への息吹を充分に活かすことができないのではないでしょうか?

おそらく声を上げた“中の人”はご自身の会社を愛していらっしゃるのではないかと私は思います。
だからこそ声を上げた。

能町氏のおっしゃる通りたとえ組織に属そうが個人が堂々と所属組織を批判し、改善を目指せる社会は素晴らしい。
だが、現状では決してそれが簡単に実現できる環境にはないことも事実です。
その前提を無視して批判し、「だから駄目なんだ」と切り捨てることに大きな違和感を覚えました。

小説の中のセリフでしかありませんが、私の頭の中には田中芳樹氏著 「銀河英雄伝説」におけるジェシカ・エドワーズの言葉が浮かびます。

『死ぬ覚悟があれば どんな酷いこともやっていいと言うの?信念さえあれば どんな酷いことも  どんな愚かなこともやっていいと言うの? 暴力によって自ら信じる正義を 他人に強制する人間は後を絶たないわ!』

クーデターを起こした反政府軍に対する女史の痛烈な批判ですが、『正義』や『信念』がやたらと飛び交うSNSにも当てはまる気がしてなりません。

追記
常見陽平氏もまずは社内で声を上げるべきだから応援しないというTweetをしていました。
たしかに社内で何もせずに社会に丸投げというのは賛成できかねます。
が、それほど組織が歪んでいるのであれば内外から声を上げることは極めて有効だと思うのです。
すべての人が閑職に追いやられたり、社外に放り出されたりしても生活が成り立つわけではないでしょう。
識者と言われる方は時に覚悟や信念を喉元に突きつけます。
意識や行動が変わるまで待たないというスタンスは、切り捨てを暗黙のうちに認めているように見えるのですが。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?