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自分の作曲歴をふりかえる

14歳、厨二病真っ盛りの時、テキスト音楽サクラという素晴らしいソフトに出会った僕は、それから15年以上作曲を続けています。そんな自分の作曲歴を突如振り返ってみたくなったので、まとめてみました。

小学生

特にピアノを習ったりしていた訳ではないのですが、小さい頃から家にYAMAHAのキーボードがあったせいか、鍵盤は多少弾けた気がします。そうだな、左手でベース音を抑えながら右手でメロディを弾くくらいかな。そして、家にろくなCDがなかったせいで、親の音楽の好みの影響をモロに受けました。サザンとELT、小室ファミリー、こればっかり聴いてた気がする。おかげで僕のポップスは今でも90年代風です。

小学生の頃は作曲らしい作曲なんてした記憶はないんだけど、でも、自分でメロディを考えて、紙に楽譜を起こしていた気がするなー。なんでそんなことを始めたかは分からないんだけど、オリジナルの歌謡曲を作っていたと思います。その頃からポップスが好きだったんだな、僕。

中学生

中学2年生の時、僕の人生に革命が起きました。PCとの出会いです。マンガやゲームをあまりしてこなかった僕にとって、PCは神の機械で、みるみるうちにのめり込みました。

最初はホームページを作ってウェブで公開していたんだけど、所詮中学生の作るホームページ、とにかくコンテンツがない。じゃあ曲を作ったらコンテンツにちょうど良いかな、と思った訳じゃないんだけど、その頃、テキスト音楽サクラというソフトに出会いました。「ドレミ」と書くと、書いたとおりに「ドレミ」と音が鳴る。なんだこれ、面白すぎる!

最初は手元にあった楽譜を写経するところから始まりました。楽譜通りのMIDIが出来て、好きな楽器で演奏される。すると今度は、楽器を変えたり、パートを増やすのが楽しくなる。パートを増やすためには、楽譜に載っていない新たな音を増やす。これはいわゆる編曲なんだけど、ある意味作曲の第一歩と読んでも良いかもしれない。

楽譜の写経に飽きると、ついに自分で曲を作り始める。ゼロから曲を作る方法なんて分からない、コードだってろくに知らない。最初は、頭で思いついたメロディを「ドレミ」に直すことすら大苦戦しました。そして、なんとか1曲を仕上げました。確かゲームのBGMで、しかもホラーもの。人生の記念すべき1曲目に、なんでそんな曲を作ったんだ。。。

でも1曲できると、2曲、3曲と湧き水のようにアイデアが溢れてきました。その頃ちょうどアコースティックギターも始めたおかげで、様々なコードやポップスの王道コード進行などを学べました。ベースやドラムは完全に独学ですが、メロディとコードさえ浮かべば次々と曲が出来ました。

ちなみに、当時作った曲のうちデータが残っているものは全て自分のウェブサイトに上げています。その中でも、かなり古い方の曲である「どこかの世界で」という曲には思い入れがあります。2005年、中学3年生の頃の曲なのですが、確か、はじめて自分の曲に豪快な転調を取り入れた曲でした。Aメロ、BメロがC majorで、サビがEb major、よくある転調なんだけど、自分の中ではなかなかの冒険。ここから、この転調をすっかり気に入って、いろいろな曲で使うようになった気がします。ちなみに、FIELD OF VIEW の「突然」という曲がこの転調パターンを使っていて(そっちは A major から C major だったと思うけど)、それをパク、、、参考にさせていただきました。

高校生

この頃が自分の中でも作曲絶頂期で、ポップスを月に1曲必ず作っていましたね。学校の選択授業で「作曲」が選べたのもあり、そちらでは和声を学び、自分の曲作りに活かそうと試行錯誤していました。テキスト音楽サクラには曲掲示板という、自分の作った曲を投稿できる掲示板があって、自信作をそこに投稿して、もらえるコメントにニヤニヤしていた気がします。

曲を作ってはホームページに上げていたことで素敵な出会いもありました。自分は作曲はするものの、作詞のセンスがまるでダメだったので、ホームページにはカラオケ音源のような物を上げていたのですが、それらの曲を気に入って歌詞を付けてくれる人がいました。大阪に住んでた1つ年下の子で、顔も本名も知らないけど、曲の相談だけじゃなく、メールでいろいろな話をしょっちゅうしていたような。大学に行ってからは全く疎遠になっちゃったけど、元気だといいな。

この頃の自分の代表作は何曲かあるんだけど、1番のお気に入りは「Snowy White」という曲。どのくらいお気に入りかというと、苦手な作詞をして、歌詞を付けちゃうくらいお気に入り。自画自賛もひどいんだけど、これを超える曲はまだ作れていないと思ってます。なんでだろうな、技巧に凝らずにメロディで真っ向勝負してるからかなー。

高校3年になって、受験勉強のために1年間作曲は封印したのですが、高1・高2の2年間だけで実に26曲を作りました。作曲するときは、ご飯も食べずに朝から晩までずーっとパソコンとにらめっこをして、とにかく短期集中型で曲を仕上げました。そのスタイルは今も変わっていません(最近はご飯はちゃんと食べます笑)。

大学生

大学生になって作曲サークルに入りました。バイトで多少お金も入り、作曲のためにPCを新調したり、DAWソフトを導入したりと、音楽の環境がガラリと変わったのがこの頃。テキスト音楽サクラを卒業し、SONARを使うようになりました。世間ではボーカロイドが流行り、自分は歌がダメでも、初音ミクに歌わせることで誰でも歌モノの曲を作れる時代になったのが衝撃的。

作曲サークルではCDを作って、M3やボーカロイドのイベントで販売していました。今まではネットでしか音楽をしたことのなかった僕が、はじめてリアルワールドの音楽と出会ったのです。そんなサークル活動のCDリリースに合わせて、数ヶ月に1曲くらいは曲を作り続けていました。

大学2年の冬、大きな転機がありました。当時僕は居酒屋でバイトをしていたのですが、ある時バイト仲間とカラオケに行った時、同い年の女の子がめちゃくちゃ歌がうまいことに気づいたのです。これはまたとないチャンスだと思い、一緒に音楽をやらないかと声をかけました、勇気ある僕。彼女は僕の誘いを快諾してくれ、音楽デュオとしての活動を行うようになりました。

ラッキーなことに、彼女は歌がうまいだけでなく、ダンスサークルに入っていて踊りもイケる、絵も描けるマルチタレントな人材でした。音楽デュオとしてはじめて作った曲をレコーディングし、曲のMVを作ってもらい、ニコニコ動画へ投稿したのがこちらです。

音圧はバラバラだし、伴奏の音色は安っぽいし、曲としてのクオリティは散々だけど、自分が今までで作った中で一番綺麗な曲だと思います。なんだろう、メロディ、世界観、伴奏、歌詞、その組み合わせが綺麗なんだろうな。

僕が大学での研究が忙しくなってしまい、デュオ自体は1年弱で解散しちゃったんだけど、10曲を作り、2枚のミニアルバムを発売、2回のライブを実現出来たのは本当に良い経験だったと思います。ちなみに彼女は今も本業として音楽活動を続けています、継続は力なり。

社会人

その後もポツポツと曲作りはしていたのですが、研究やプログラミングなど、他に関心が移ったこともあり、しばらく曲作りは低迷していました。そんな僕にとって新たな転機となったのは、大学院の2年生の時のバンドへの加入です。音楽デュオで活動したことで、曲は作るだけじゃなくて、演奏して誰かに届けるのが面白いんだと気づき、メンバー募集の掲示板から単身で乗り込みました。

女性ボーカル+男4人のポップバンドへ参加した僕は、再び曲を作りはじめました。バンドに入ってはじめて書いた曲がこちら。作詞を担当しているボーカルさんの趣味で曲名こそネガティブなんだけど、なんか自分の原点を感じさせるポップスに仕上がっているなーと思います。何だか90年代っぽい素朴さがあるよね。

バンドに入ってからは、3〜4年の間に15曲ほどのオリジナル曲ができ、ライブも10回くらいやりました。最初のライブではガチガチに緊張していたんだけど、場数を重ねてだんだん人前での演奏も楽しめるようになりました。

バンドでの活動のかたわら、ゲーム曲のアレンジで何度かオムニバスのCDに参加したりもしました。オリジナルもいいけど、自分の好きな曲を自分流にアレンジするのもまた面白い。バンド曲はパートに縛りがあるけど、ゲーム曲のアレンジは全てが自由、どんな楽器もどんなトラックも入れられて違った楽しさがあります。

そして今、バンドはメンバーの転勤などもあり活動停滞中なんだけど、僕は相変わらず時々曲を作っています。仕事が忙しいからまとまった休みにしか作曲の時間が取れないんだけど、それでもなんとか年に3曲が目標。今年は正月とGWと盆を使って無事達成しました笑

さいごに

作曲は本当に面白い。メロディと伴奏が組み合わさって、イントロからサビへの流れがあって、素敵なピースを作っていかにそれらを組み立てるか、そんな感じ。年齢を重ねても衰えることもなく、むしろ身につけた技術でアイデアを形にしやすくなる。作って終わっても良い、CDやウェブでリリースしても良い、自分で弾いても人に歌ってもらっても良い。楽しみ方は自分次第だなー、と。

今までに作った曲をプレイリストにまとめてみたら、曲数は100曲を超え、合計時間も6時間以上になっていました。死ぬまでにあと何曲作れるかな。過去の曲を超える傑作は生まれるかな、生まれるといいな。

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