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「どうせオシャレ映画でしょ」なんて思ってごめんなさい。

『きみの鳥はうたえる』という映画が、すこぶるおもしろかったので紹介したい。

あらすじは、公式サイトからコピペするとこうだ。

函館郊外の書店で働く「僕」(柄本佑)は、失業中の静雄(染谷将太)と小さなアパートで共同生活を送っていた。ある日、「僕」は同じ書店で働く佐知子(石橋静河)とふとしたきっかけで関係をもつ。彼女は店長の島田(萩原聖人)とも抜き差しならない関係にあるようだが、その日から、毎晩のようにアパートへ遊びに来るようになる。こうして、「僕」、佐知子、静雄の気ままな生活が始まった。夏の間、3 人は、毎晩のように酒を飲み、クラブへ出かけ、ビリヤードをする。佐知子と恋人同士のようにふるまいながら、お互いを束縛せず、静雄とふたりで出かけることを勧める「僕」。そんなひと夏が終わろうとしている頃、みんなでキャンプに行くことを提案する静雄。しかし「僕」は、その誘いを断り、キャンプには静雄と佐知子のふたりで行くことになる。次第に気持ちが近づく静雄と佐知子。函館でじっと暑さに耐える「僕」。3 人の幸福な日々も終わりの気配を見せていた……。

ぼくはこれを読んだとき、「好きになれないだろうな」と思った。あらすじだけ読んでもおもしろいような、強い物語を持つ作品が好きだからだ。信用する知人たちの強い推薦がなければ、タダでも観なかったであろう類いの映画だ。

なので、半分は期待して、半分は疑って映画館に向かった。

それなのに、すごくよかった。

まず、主役の三人の演技がすばらしい。セリフのやりとりはもちろん、ビリヤード中の態度もハイボールの飲み方も帰宅時の着替え方もどれもなんだかジメジメしていて、油断するとスクリーンから「人の家」のにおいがしてきそうなぐらいリアリティがある。

そんな三人の「顔」ばかりを追うカメラワークの妙も、この作品の特徴だ。友だちに「コンビニのシーンひとつとっても、なにを買ってるかわからない。それぐらい顔ばっかり映る」と聞いたのが観に行く動機のひとつだったのだけど、その手法は想像以上に多用され、効いていた。

スマホでメッセージの交換をしているときも、ダーツをしているときも、ただただ「それをやっている人」の顔ばかりが映る。ピントも顔に合わせっぱなし。背景ぼけっぱなし。それなのに退屈しないのは、出演者たちの広い意味での「顔芸」のなせる技だろう。

そして何より、脚本がすばらしかった。

冒頭。本屋でバイトしている「僕」は無断欠勤した日の夜に、勤務帰りで連れ立って帰っていた店長、そして同じくアルバイトの佐知子(「僕」とは顔見知り程度)と街角で出くわしてしまう。少しの小言(この店長の寛大な感じもいい)を言ったあと、歩き出す店長。だまって着いていく佐知子。その佐知子が、「僕」とすれ違う瞬間、ほんの少しだけ、でも明らかに意図を持って「僕」の肘に触れる。「僕」は「ちいさな賭け」として、120秒数えるあいだ佐知子を待つ。ちょうど数え終わったとき「通じたんだね」と戻ってくる佐知子——。

というようなところから物語が展開していくのだけど、ここだけでも、「勝手に120秒数える」に対する共感と、自分には起こり得なかった「同世代のバイト仲間にちょっと触られる」というようなことへの嫉妬がないまぜになって、心がふたつに別れてにらみ合っているような気持ちになる。そんな時間が、2時間弱ずっと続く。

この、どっかでした気がする経験に少しのフィクションを足して、想像はできるけど未体験のゾーンへといざなってくれる感じは、『桐島、部活やめるってよ』にも近い。観た直後、いろいろこみ上げてしばらく立てなかったのも同じだった。

いやはや、すばらしい映画でした。

すくなくとも今月中はやってると思うので、よかったらみなさん、ご覧になってみてください。夏の終わりにぴったりの一本です。


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