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休みの日にやりたいことが枯渇している件について

これは最近の唯一の悩みといってもいいんだけど、仕事が終わった後や休みの日にやりたいことがなくなってきている。やりたいことを探すためにユーチューブやアマゾン プライム、Huluをそれぞれ何度も見にいくんだけど、もちろん見たことないものはたくさんあるのだが、見る気が起きない。小学校のときに毎週末のように見ていたジャッキーチェーンや、中学校のときに見ていたハリーポッターやロードオブリングのような面白さが、また体感できるとは思えず、どうも映画には手を出しづらい。でも、鬼滅の刃や僕のヒーローアカデミアのように久々に時間を忘れて楽しんだコンテンツもあった。「見たいから見るってようはこういうことだよな」という感覚を再認識しつつ、なんとなく動画を見るという感覚にはやっぱりなれない。とはいっても、そうやって「何見るか」探している間に、不毛に時間を消費しているわけだけども。

最近は、「本を読まなきゃ」という感覚もなくなってきた。人がおすすめする本は毎日のようにツイッターなどで流れてくる。前までは仕事で実績を残しているようなすごい人がおすすめする本は、絶対読まなきゃという意識が強くて、面白いかどうかに関係なく半ば義務みたいに本を読んでた。でも今はそれがない。ちょっと読んで面白くなかったら、すぐに読むのをやめる。本を読む損切りはできるようになった。でもそうすると、本を読む時間そのものが減ってくるから、やっぱり暇になる。でも暇もなかなか耐えられないので、仕事をしたり、こうやってブログも書いたりしようと思う。ようは暇をなんとかして埋めようとしている。

けっきょく、暇を埋めようとしたほうが良いのか、それとも暇に向き合うことでやりたいことが湧き出てくるのを待てば良いのか、いまだに答えはわからない。こうやって書きながら考えると、暇の先が見えてくるような気がしたのだけど、なかなか見えてこない。

これまで世の中で流行っている本や映画、漫画など、「読まなきゃ」「観なきゃ」という義務感でコンテンツを消費することが多かった。でもその感覚がなくなって、本当に自分が面白いと感じるものだけ「読もう」「観よう」と思うと、そこまで心動かされるものは少なくて急に暇ができてしまう。

その結果、過去に読んで面白いと感じた本を読み返したりして、原点に戻ってきている気がする。その本を読んだときは、これからこの本よりももっと面白い本に出会えるんだと、少しワクワクした。でも今になってみると、けっきょく面白い本に出会える機会は少なく、自分が過去直感的に手に取った本がけっきょく面白くて、今でも読んでいる。自分の本棚を見返しても、後で読み返そうと思って残っている本は、すべて大学のときに読んだ本。社会人になってからのほうが出会う本は多かったはずなのに、大学卒業後に読んだ本で今本棚に残っているものはわずかしかない。

新しいものに出会うことは、自分の内面を豊かにするために大事なことだと思う。でも自分が心を動かさせるものに出会う機会は、大人になると本当に少なくなるのかもしれない。ただ、これは大学生以前でも経験できる本や映画、漫画やテレビ番組に限ってのことだと思う。一方で大学を卒業してから本格的に経験できるのが、仕事だ。となると、これから訪れる心動かされる出会いというのは、仕事のなかにあるのかもしれない。

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