【随筆】ゲームデザインで見る2021中村大賞

 2021年、ゲームといえば、はい中村です。

 さて、今年(旧年中に書いた記事なので…)は稀に見るレビューイヤーであった。私的な部分では、「こぼレビュー」という「レビューを書く欄がないモノをここに書き飛ばす」という奴をこのnoteで始めて、これはよかった。こぼレビューは冷ためでいくと決めてたのだがそれもよかったように思う。ツイッターを始めて十年、こんなものはなくなればいいとツイッターに対してアル中が抱える一升瓶のような扱いをしてきたが、ここにきて140字をようやく少し離れられたと思う。

 そうやって意識的なレビューをやっているせいか今年遊んだゲームについて頭の中でははっきりと序列はあるのだが、これを全部書くとこれまでのレビューを並べるだけになる。
 そこでなんかこう方向性を付けようと思ったところ、ゲームデザインとしての美しさで行こうと思ったわけである。
 あと、随筆を年末までに十本書くとツイッターでつぶやいたので、その一環でもある。ここは笑うところだ。つまり私中村のツイッター中毒はまだ抜けていない。この二段落はそういう旨のテキストである。
(ちなみに2021中に下書きは十個になったのでよしとする)

 最初に結論を申し上げると、今回挙げるのは全てが高水準すぎて、マジでよかった上皇に感謝2021である。2021、とんでもない年だった。規模を問わず失敗するプロジェクトが多い年だったがその一方で最高の試みがいくつも行われていた。今年出会ったどれもが、ゲームに対する正しい理解を元に作品を作り上げていた。トレンドに流されない「作品」だった。生きてるうちに遊べるゲームは少ない。本物の「作品」だけを相手にしたいものです。

1)Inscryption
 インスクリプションはArtifactをルールの下敷きとしたカードゲームと、そのカードゲームとシームレスに繋がる謎解きのゲームだ。
 それ以上でもそれ以下でもないんだが、勝手にそのナラティブに衝撃を受けて突然ポエムを歌いだす(カードゲーム遊ぶのすら難しいような学生生活送っていたような陰キャが育ちのような…)素人たちが何よりの恐怖体験だった。しかも有料のnoteでとか。ジャップの根性は終わっている。
 このゲームが優れているのは圧倒的にそのUIで、FPSでカードゲームをする前例がほとんどないのに、ただ一人称表示にしただけではなく画面上にウィンドウ等の別個の表示は完全に排している。自然と画面にプレイヤーが必要な全ての情報が入るように配置されているのだ。足りない部分はWASD操作だけでサクサクとアクセスできる。素晴らしすぎる。それだけでおまえは大賞だよ。もちろんこれはゲームデザインとしての話で、つまり、このゲームにおいてUIとゲームのデザインは不可分なところにある、とわざわざ指摘しておこう。
 しかもこの「形式」は自己複製される。ゲームは階層構造になっているが、すべての階層でこの操作は共通となっていて、カードゲームのルール自体も手前の階層を模倣し、参照している。そして、参照している構造の上位のルールを付加して整合性は全く崩れない。こんなことありえる?これがアクロバティックかつ納得の着地で、美しいんだよなあ。
 ナラティブ部分が階層構造になっているゲームは沢山あるが、例えばガラッと根本のルールを変えてしまったり、別のゲームをくっつけたりが多い。MOTHER2の「歌う」なんかはそうで元のゲーム放棄しちゃってるやん。なぐらせてーや。
 その孫のアンダーテイルもそうで、ゲーム構造を破壊した後に現れるラスボス戦は俺は好きだけどゲームとしては別に面白いものでもないし冷めちゃう人も多いんじゃないかな。比してインスクリプションの階層とは全てが嘘偽りない統一ルール(ここでいうルールというのはプログラムではなく、仕様というか…枠組みね)のもとに構成されていて、例外処理はない。ゲーム内でゲームのナラティブを含むすべてを説明でき、でも階層ごとに別個の側面を見せているという…。はあ~芸術じゃん!

2)SNKRX
 SNKRXはスネークゲームにオートチェスを足したゲームで、この説明から何も引かない何も足さない。それだけで素晴らしいゲームです。普通は足したくなる。例えばショットボタンとか…。そうじゃない。あるがままの造形美を見せている。もちろんゲームジャムとかでこういった思いつきを試してみることはあるだろうけど、この完成度になるとちょっとできることじゃないね。
 見た目はシンプルで、機能しかない。この点は前項インスクリプションとは違うね。演出は混じらないしナラティブもない。だが、過不足なく遊びやすい。この辺りは最初に登場したAutochessというゲームがそもそもわかりやすさ自体をUI引いてはゲームデザインに内包しているからだが…。(それを無意識に感じ取ってアナログゲーム(麻雀)ぽいという意見はあった。)
 国内だと今年ならダンジョンエンカウンターズとかカードがドラゴンでどうのとかシンプルめいた何かをやっとるけど、これをやればあれはファットな企画の癖が抜けないのか予算ないのを誤魔化してるだけやなとはっきりわかるよ。ゲームの機能や進行にシンプルにアクセスできることは、見た目が簡素というわけではないとね。
 これは何よりゲームデザインの話だった。ここまでは要するに既存のものを借りているだけで、ここからが特徴。この作者の難易度曲線の描き方は独特で、他に関しては何も足していないし何も引いていない中でここだけがこの作者の創作といっていいくらい味がある。「うーもう無理かも・・・」と、「うおおおおお成長したああああ」との間くらい、スッとクリアできるように作られている。つまり、ジンがオートチェスならウィルキンソン炭酸のような存在のゲームデザインによるアシストだ。透明で磨き抜かれているわけ。
 さて、ここからはこの「ゲームの駆動を支えるアシストとしてのゲームデザイン」について説明したい。
 このゲームの自機であるスネークは体の一つ一つが抽象化されたユニットで、そのユニットの売買でオートチェスをする。つまり、自分のボディの一つ一つのユニット同士にはクラスによる強力なシナジーがあるわけだ。これが7つのボディから始まる。
 ゲームは一周が25ステージで構成され、クリアするとNG+として難易度が上がって再び周回を行えるわけだが、この時難易度が上がるだけでなくスネークのボディも一つ増える。
 たったこれだけ。
 たったこれだけなのに、そのデザインが絶妙に「効いて」いる。
 スネークのボディが増えるということは、つまり単純にシナジーの可能性が増えるわけだ。オートチェスにて1体多く雇えるというメリットはとんでもなく大きい。可能性は比喩ではなく倍増する。
 ただ、スネークのボディが増えるということはスネークゲームとしては取り回しが難しいということでもある。被弾が増えるのだ。つまり、ボディが増えるだけで勝手に難易度も上がるようになっている。なんてこと!
 普通なら、普通ならこれはアンロックとかで調整するものである。現代、アンロックでバランス取らないものだけが石を投げなさい。ルールチェンジはソロゲームに許されたデザイナーのズル(Cheat)である。クラスの数が増えるとか、色々なアイテムやルールのアンロックで難易度の調整をするのは現代ゲームの常識だ。それをこんな、たった1パラメータを変えるだけで全てを調整するなど…。
 ゲームデザインのみでいえば今年一番美しいゲームといってもいい。構想されたゲームデザインをスパっと抜き出して一夜で平原に城を築城したかのようなこのサッと出しのカッコよさ、たった300円。ゲームとしての有り様みたいなのがよすぎる。ゲームを作った経験がある人間ならわかると思うが、ゲーム製作そううまくはいかない。足すしかなくなったり、後から引いたりするだろう。この作者にはそれがないんだよな。最近ではこういうのはアトモスフィアというのか。なんだっていい、力の抜けた空気感がそこにある。
 いや、この美しさがわからないならもうゲームデザインの才能はないからあきらめたほうがいいね。まーじーで

3)Rift wizard
 ローグライクからランダム性を取り去る…そんなことが出来るのか?出来るのだ!その為に用意したのは属性ゲーム。そこまではまだわかる。だが実際の仕様は狂気の沙汰である。
 なんとその為に100種以上のユニークな魔法を用意したのだ。プレイヤーはポケモンではないので特定のペナルティなしにどの属性にもアクセスできる。全ての魔法を統べる魔法使いになってもいいし、ファイアボールしか打てないファイアバカになってもいい。クマ牧場もある。なんでもできる。
 この魔法の調整がお見事としか言いようがない。どれもすごい強さを秘めてるようで、どれもうまく使いづらい。ゲームをぶっ壊しそうな魔法も、敵に耐性を持たれては意味がない。そう、このゲームはプレイヤー側の武器「魔法」と敵対する環境である「敵キャラ」が対になっている。100種の魔法に対して、敵キャラは400以上いるのだ。こっちがシナジーを組み合わせて特定環境に特化すれば、敵はそういった環境に適応できる強さを持ってくる。このいたちごっこよ。いや、属性ゲームというのは常にいたちごっこであるべきだが。
 もちろん全く完全な情報ゲームではなく、神は少しだけサイコロを振る。その塩梅も見事なんだよな。それでも見通しの面ではやはりほぼ完全な情報をプレイヤーは入手しており、言い訳は出来ない。言い訳が出来ないローグライク。楽しいに決まっている。
 そのコア部分もいいけど、周りを含む全体がやっぱりうまい。行動は移動・魔法・アイテムの三択だから迷ってもやれることは少ないし、後半なんて移動はクリアした時だけでほぼ魔法を使いっぱなしだ。最初にその階のどこに出るかを選べるが、その一手目で全てが決まる。情報量の制御がうまいんだよな。これで十手読めと言われたら人間がやるゲームではなくなるもの。
 また魔法回数を回復させるほぼ唯一の方法である青ポーションがアイテムの軸になっていて、それのおかげで次の指針が立てやすい。
 シビアなゲームに対して「人類には早すぎるゲーム」という例えがよくされるが、このゲームは人類に収まるような調整がデザイン上意図的になされていてその感覚が作者の匙加減のよさなんだよなあ。
 デザイン

 残念ながらここまで書いて、もう少し挙げるはずが2022年になったためわからなくなってしまった。
 適宜足していくのでよろしく。

4)アズール:サマーパビリオン
 AZULの手番ルールは変えずに他を変えただけのゲームなんだがこんなによくなるとは。もちろん元のAZULはドイツゲーム賞にふさわしい傑作である。だが、傑作ゆえ手を入れづらいものだとは思わんかね。まぁ自分でやるなら止めないけど…。で、止めなかったらコレが出たわけだ。
 正直すごい。手番でやることは変わってないのでAZULを冠するに相応しいままに、そこからの処理が、そして盤面が、良すぎる。
 あんまりゲームをステータス風に表すことが好きではないんだけど、元のAZULが「インタラクション4、パズル3」としたら「パズル5、インタラクション3」という感じにデザインされている。
 AZULは手番が2フェーズあり、1取り合い、2配置となっていて、2がこのパズルに相当するわけだが、ここの比重をガッと上げてる。そしてこのパズルが美しいことよ。こんなに美しい盤面見たことない。
 この盤面のデザインが本作ゲームデザインの本懐とも呼べるもので、ただ機能がありその機能に美がある。すべての配置場所に有機的な絡み合いがあるデザインで、全く無駄がない。
 この情報量が多い盤面も説明は2の配置フェーズの唯一ルール「1-6の置き場があり、置き場に応じて1-6のコストがかかるので1の取り合いで用意しとけよ」だけで事足りる。あとは置いた時のご褒美だけ!うれちー!
 覚えれば覚えるほどうれちい枝葉ルールもポイントで、元のAZULと比較するとうれちいばかりなわけだ。アッパー調整というかね。元のAZULは当時にして渋すぎな感じは確かにあったが、今作の気持ちよくパズらせてくれるアッパー調整とそれに伴うインタラクションの弱体化は現代向けだな~と感心する。それに無理な付けたしや元ネタの毀損がなくてとてもスマート。
 いやー、いわゆる変奏というものはあんまりよく思わないことが多いんだけど、これはすごいと思ったな。

 5)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?