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メンタルモデルの理解から、相互承認は始まる

#コミュニケーション #システム思考 #デザイン

「なんか食い違っている気がする。。」人と話していて、こう感じることが私はよくあります。ほとんどの人はそうした微妙な差異に気づいていても、重大なものでない限りそのままにしておくのではないでしょうか。日本語はある意味でそうした微妙な語義の差異を肯定し、その中に美しさを見出す稀有で繊細な言語なのだと思います。だから「阿吽の呼吸」がよしとされるし、そうでなければ俳句も和歌もきっと生まれなかったでしょう。「古池や蛙飛び込む水の音」という俳句に対して、厳密さを求めた時点でその美しさはどこかに吹っ飛んでいってしまうはずです。笑

しかし、仕事上のチームワークや異文化コミュニケーションでは、話は全く別です。そこには丁寧な前提のすり合わせが求められます。「Apple」という言葉を聞いて、リンゴを思い浮かべるのか世界的なコンピュータ企業を思い浮かべるのか、その場の文脈や個々人のバックグラウンドによって解釈は異なるはずです。(日本人同士のコミュニケーションも異文化を前提とすべきだと思うのですが、今回の話の本筋から外れるので次回以降書きたいと思います。)

こうした「前提のすり合わせ」を、持って生まれた素質で自然と行える人がいます。いわゆる「天性のコミュ強」です。だとすると、そうでない人は対話に向いていないということになるのでしょうか?私の考えは全く違っていて、いくつかの概念とそのつながりをしっかりと理解し、楽しんで対話を続けていくことで相互理解力はみるみる向上していくと考えています。そしてそのカギは、メンタルモデルという言葉にあります。

メンタルモデルとはシステム思考やデザインの分野でよく使われている考え方で、「個々人が心の中で形成する、物事を抽象化したイメージ」のことを指しています。とっても分かりにくいと思うので、以下順を追って説明していきます。

①「モデル」とは

日常会話でも使うことが多い言葉だと思います。モデルの特徴とは何でしょうか?学術的には様々な定義がありますが、ここでは「現実の事象の余分な部分をそぎ落として、目に見える形で表現されたもの」としておきます。日本語で模型とも呼ばれることがあります。

いくつか例を挙げます。プラモデルは現実世界の事物(乗り物、アニメキャラなど)などを縮小して手に触れられる形に組み立てられるものですが、多くのものごとが抽象化されています。たとえば電車のプラモデルでは、実際の電車の車輪についている汚れや、窓のワイパーで雨水が拭かれた跡は再現されない場合がほとんどです。現実はプラモデルよりも複雑で、色々な要素が組み込まれています。

もう一つの好例が、鉄道の路線図です。画像は東京メトロの路線図(出典:https://www.tokyometro.jp/station/rosen_kani_201904.pdf, 2019年8月18日アクセス)ですが、現実の路線はカーブがあったり、線路に対する駅の大きさは異なるでしょう。情報がそぎ落とされているという意味で、モデル化されています。しかし、乗り換えを正確に行うという目的に対してはこのモデルで十分です。駅の大きさなどは枝葉の不要な情報で、かえって混乱を招きます。このように、複雑な現実を理解しやすくするという目的のためにモデルはよく用いられています。

②メンタルモデルとは

ここまでお話しすると、メンタルモデルという概念を理解するメンタルモデルとは、「手に触れることのできない(Intangibleな)、心の中に形成されるモデル」のことです。このメンタルモデルを媒介として、私たちは周りの世界を理解しています。

たとえば「魔女」を思い浮かべてください。どのようなイメージが浮かんできたでしょうか?世界史を勉強している受験生にとっては、中世の魔女狩りと紐づけた恐ろしいイメージ(中世モデル、と呼びましょう)が浮かんできたかもしれません。あるいは「魔女の宅急便」を観終わってすぐの人に聞けばキキのように黒いマントをかぶって、箒で空を飛ぶ可愛らしい女性(キキモデル、と呼びます)が浮かんできたことでしょう。

重要なのは、いずれの場合も複雑で雑多な情報が多く切り落とされていること、また「残ったモデル内の情報が正確かどうか」に関する根拠がないという点です。つまり、事象がモデル化される過程が個々人で異なるために認識のずれが生じるのです。キキモデルを思い浮かべた人にとっては、可愛らしさや箒が強調されてモデルに残り、中世モデルでは恐ろしさという要素が残りました。多視点から批判的に吟味することで形成したメンタルモデルが正確かどうかを検証することは可能ですが、それを実行することは通常ほとんどないでしょう。恋愛でも、一度好きになった人を多視点で批判的に検証することでメンタルモデルを更新していく人はほとんどいないはずです。笑

このように、私たちは「○○というのは、こういうものだ」といくつかの特徴量を自動で引き出し、組み合わせることでモデルを形成しています。そしてその組み合わせ方や引き込みやすい特徴量には個人ごとに癖があり、認識の仕方はその癖に大きく引っ張られます。では、なぜこのメカニズムを理解することが重要なのでしょうか。

③なぜメンタルモデルの理解が大切なのか

メンタルモデルの理解が重要なのは、その人の言動や行動といった表面上の出来事をより深く理解し、解釈できるようになるからです。言動や行動などの目に見える部分は、多くの場合は目に見えないメンタルモデルに影響を受けています。キキモデルを持っている人は魔女という言葉に対してどちらかというとポジティブで明るい心象を抱く傾向があるでしょうし、中世モデルを持っている人はどちらかというとネガティブで暗い感情と結び付けやすくなるはずです。こうしたところから、「キキモデル派」と「中世モデル派」の間で相互不理解が生じてきます。

ここで生じる一つ目の問題は、メンタルモデルは他人にとって目に見えないということです。もっと重要な二つ目の問題は、自らが自身のメンタルモデルとその形成パターンを理解することが異常なまでに難しいということです。「世界がもし100人の村だったら」や「ローマクラブ」レポートで知られるシステム思考家のドネラ=メドウズは、システム思考を実践する際に、自らのメンタルモデルを白日の下に晒すことを勧めています。「私は魔女を○○なものだと思っているよ」と自身の理解の仕方を明らかにすることで、行動や言動の多くを他者にとって解釈可能なものにすることができます。そのためにはまず自らのメンタルモデルの傾向や形成パターンを理解することが必要で、その先に初めて他者との相互承認にむけた可能性が開けてきます。

④結びに

ここまで、メンタルモデルを様々な角度から紹介してきました。一人でも多くの人に広めたい大切な概念だからこうして記事を書いているのですが、果たして(自分と他人の)メンタルモデルの理解が相互理解、ひいては相互承認のための特効薬となるのでしょうか。私の考えは、Absolutely noです。メンタルモデルの違いが白日の下にさらされたというだけでは、違いが強調されるのみでしょう。むしろメンタルモデルの理解は対話のための重要な前提情報で、本質的に重要なのは目の前にいる理解できない人を理解したいという切実な欲望ではないでしょうか。システム思考家やデザイナーにとってメンタルモデルの理解が決定的に重要である理由は、ここにあります。つまり「作ろうとしているシステムや仕組みがユーザーのメンタルモデルに合致しているかどうか」、「ユーザーが○○というニーズを持っているのは何故か」といった深い理解は、システムのデザインには欠くことのできない貴重な情報であるためです。彼らは「相手を理解したい」というインセンティブが十分あるため、メンタルモデルの理解が相互承認に結び付きやすい構造を持っています。理解したい、というモチベーションがまず始めにない限り、メンタルモデルの理解が威力を発揮することは恐らくないでしょう。

ただ一つ最後に書きたいのは、メンタルモデルの理解が進んだ途端に対話が楽しくなる、ということです。卵が先か鶏が先かという話ですが、理解が進むと「もっと知りたい」と思うのも人情だと思います。「今までよくわからなかったあの人」のメンタルモデルを理解しに、明日一言話しかけてみてはいかがでしょうか? 

【参考文献】

・ドネラ=メドウズ「世界はシステムで動く」

・平田オリザ「わかりあえないことから」

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