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ゴッホの絵

この事件について、「一部わかる」けど全体的に叩かれ気味のツイートを見つけたのですが、どうも「アート作品の意味とか価値」の意味する多義性が十分に提示されていないため分断が起きているように感じられました。ただ、問題提議としてはとても良いと思う次第。よって引用しつつ問題を掘り下げようと思います。直帰がベスト氏の擁護にもなろうかと思いますし、非難の矛先がどこに向いているのか、理解する助けになればと思います。



全体として、一部いいたいことはわかるのだけれど、なにぶんにも擁護対象がひどいので擁護した時点で色々言われるし、誤解が解けることもないだろうと思います。なぜこの活動がダメで擁護できないのか問題を整理し、直帰がベスト氏の擁護といたします。

アート作品を人質にとるような抗議活動が不適切な理由

アート作品は人類社会において様々な側面を持ち、その「社会的意味、文化的意味、その他個人にとっての意味」が極めて多義的です。その意味が多様なゆえに、「一貫性のある抗議活動・抗議メッセージ」には向いていないのです。人によってアートの捉え方が異なるゆえに、皆違ったものを人質にとられたと感じ、皆それぞれ個人にとってのアートで論じるので、深く話し合わない限り合意形成は不可能です。これは今回の抗議者と抗議団体が考慮すべき問題であり、アートを人質にとる抗議活動をするうえで常に問題になりえます。

アートの多義性

では、アートに対してどのような意味づけがありうるかを考えてみましょう。
A. 美しさ
B. 好き
C. 面白さ
D. 創作物そのものとしての価値
E. 誰かの財産としての価値
F. メッセージ性
G. 作品の物語などシチュエーションの価値
H. 歴史的価値
I. 作家そのものが好き、など個人的趣味
J. 投機対象とされたときの価値

Aは文字通りの意味、アート作品の多くがもつ作品属性です。Bは美しさとは必ずしもいえないが、作品それ自体を「好き」と感じる作品属性です。Bはなかなか全てを言葉で伝えることが難しいですが、アートを好む心の原点とも言えるもので、それ自体が価値です。Cは面白さ。面白さもまた人それぞれですが、面白い作品を次々生み出すことができる人がいる以上、作品に意図的に込めることができる属性でしょう。Dは創作物そのものとしての価値です。ヒトは「手作り」という言葉に惹かれやすいですが、これは他人が「ものづくり」をすること自体に対するリスペクトの表れといえるでしょう。例えば幼稚園児が描いたぐちゃぐちゃな絵に何万円もだす価値をは見出せないでしょうが、だからといって「人の作ったものを勝手に壊す」ことの人道的な罪深さはいまさら説明するまでもないことです。一般的に、自身があまり努力したことがない人ほど、他人の作品を軽視する傾向にはある気がしますけれども。Dの価値は法的にも著作権、同一性保持権として認められています。

Eは財産としての属性です。なんらかの商取引でもってアート作品を所持している人は、作品に対して財産権があり、その人にとっては財産としての価値があります。Fはメッセージ性です。作品そのものの価値がわからなくても、そのメッセージに惹かれる人もいます。例えばピカソのゲルニカはメッセージ性が強い作品といえるでしょう。Gは物語の属性です。これはゴッホ作品では作品と切り離せないもので、「殆ど誰にも価値を見出されず、心をすり減らしながらも創作を続けた作家」の物語は、若い芸術家達の心にどれだけ影響を与えているかとても言葉では言い表せぬものです。Hの歴史的価値は歴史資料としてはもとより、ヒトラーのような人間がどのような人生を歩んだかといった、歴史の「心象風景」としての価値でもあります。

IはBと関連しますが、いわゆる○○マニア的な属性です。とにかくこの作家作品ならどれでもいけます!といった執着にも近い属性で、その熱量は外部からすると理解に苦しむ場合もありますが、特にアート作品においては破産するほど入れ込む人がいる以上、マニアの存在は価値の底上げにも大きく貢献します。Jは近年桁違いに大きくなってきた価値で、作品そのものを投機対象としたときに見出される属性です。元々アート作品を投機対象や財産として入手する資本階級は存在していましたが、NFTなどその投機に利便性と可視性とリアルタイム性と電子的な証明が介入したことでA~Iまでの属性と乖離した価値判断が出るとの批判も出ています。

アートを人質にすることの矛盾

環境・人道問題など喫緊の課題が山積する中で、アート作品に金を使っていることに矛盾を感じる、という点、特に投機対象として扱っていることに対する違和感はわかります。しかし、多くの人がアート作品に「A. 美しさ」「B. 好き」「C. 面白さ」「D. 創作物そのものとしての価値」「F. メッセージ性」「G. 作品の物語などシチュエーションの価値」「H. 歴史的価値」を見出している中で、環境・人道問題に対するアンチテーゼとしてアート作品人質パフォーマンスにどれほどのメッセージ性が認められるでしょうか? 僕が見出すだけでも10個もある価値のうち、批判できるのはせいぜい「E. 誰かの財産としての価値」「J. 投機対象とされたときの価値」ではないでしょうか?

ましてや対象はゴッホのひまわりです。FとGの価値があまりにも大きい分、多くの人にとっては「投機対象なんかこうだ!」という主張はあまりにもちぐはぐに映り、主張を知らない人からはただのテロリストとして見れるのがオチです。

アート作品は、投機とか資本主義に対するアンチテーゼを表現するには向いていないのです

いや、厳密に言えば、「芸術家本人がその気になれば」可能です。例えば作成されたばかりの新作には上記属性の多くはまだありません。バンクシーのように自分の作品に億単位の値がついた後に破壊する、これだけの実力と気概があれば間違いなく人の心に「まともな抗議活動」として残るでしょう。

結局のところ、トマトスープの犯人は「実力も根性も努力もなく、ただ安易に結果だけを得るために有名作品をダシにした」わけで、これこそ虚飾に満ちた抗議活動です。正直、彼らの安易さは投機行為の中身の薄さ以上に薄っぺらいと感じました。

故人の作品を人質にすることの卑怯さ

さて、もうひとつ問題があります。それは、ゴッホが既に故人であること。故人は自作品を世に残してこの世を去っているわけですが、これは2つの意味があります。
・作品は故人が生きた証、人生の集大成、分身である
・故人は決して訴訟を起こしたり反撃したりできない

まったく言うまでもないことですが、亡くなった方はもう新作を生み出すことはありません。肉筆はそれぞれ一点しかないのです。そして創作者にとって創作物は自分の生きた証。ゴッホで言えば、ゴッホという人が生きた証、彼の人生の意味が作品です。いったいどういう神経で汚損しようとしたのでしょうか?

また、生きた人間と違って著作物の同一性保持権で訴訟されることがないのも胸糞の悪い話です。普通に考えて、自分の作品を壊されたりした場合には反撃の権利があります。それは肉弾戦でなくても訴訟や声明文での非難も含まれます。ゴッホ作品ではそれがない、逆にだからこそ外野からずっと言われ続けることでしょう。

アート作品を人質にすることに対する懸念

さて、ガラスケースに入っているから大丈夫だとわかっていた、そういう見方をしている人もいます。まあ、そうかもしれません。ですが、決してこれは安心できる話ではありません。そもそも、美術館の展示品を汚損しようとする行為自体が既に大事件であり、一線を越えているのです。

はっきりいってこれらの事件を起こした人間達が、もう一線を乗り越える、あるいはこれを見た人間がさらに目立とうと一線を越えるリスクは極めて高いといっていいと思います。はっきりいって今回の事件はメッセージを伝えることよりも犯人達の「虚栄心」が感じられます。目立つことが大好きなSNS中毒者が、次の一線を越えることを心から心配します。

個人的には、こういう「自分が目立ちたい」が行動原理になっている人間は組織から切るべきと指摘しておきます。慢心や嫉妬の元になる心理が根本にあり、かつそれを達成する能力もなく努力もしない人間はいずれ魂から腐るので活動の邪魔になるだけです。

どうすればよいか

とはいえ、環境保護や人道支援についての抗議活動自体は大切だと思います。どのような形にすればよいか、具体案を示して終わります。

・バンクシーのような影響力があって思い切りの良い芸術家に協力を依頼する
・こつこつと資本家の協力者を増やしていく
・抗議活動を大衆に認められやすい形、特に自分達が努力する形で提示する


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