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嘘をつくことの話1 ~嘘つきはなぜ悪いか~

今回は「嘘」の話です。

「嘘はよくない」ことは、家庭でも教えられますし、幼稚園保育園小学校を経るうちに「嘘のつきかた」を学んでいきます。人生でいうと、早い子は2才半くらいから嘘をつく(意図的ではない)ことが知られています。

嘘の中にはたわいないものもあり、例えば、「おまんじゅうを食べたか?」という問いに「食べてないよ!」とつい答えてしまうのは誰にでもありうることです。また、嘘の中には方便というものもありますね。重病で苦しんでいる友人から「私、死ぬのかな・・・?」と聞かれて、ストレートに医者の診断を伝えるのは問題があります。

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でも、言論の自由という意味では、嘘をつく自由もあります。ですから、嘘をつくことそのものが悪かというと微妙なところです。そもそもファンタジーなどは嘘と言えば嘘ですからね。でも、人に被害を与える嘘は法律で規制されていることもあります。

ここでは、明らかに罪になる嘘について、嘘をつくことは何が良くないか、論理学の観点から書いていきます。

結論

結論の方を先に書きます。論理学とか得意な人は、もうこの項目だけでわかるかもしれません。

物事の状況判断には演繹(えんえき)を使う
演繹は材料がひとつでも間違っていると使い物にならない
ひとつでも嘘があると全部破綻することがある


物事の状況判断は演繹を使う

演繹(えんえき)は、字面は難しそうに見えますが、みんな使っています。「AだからB」という論理が演繹です。例えば「賞味期限が切れてない、だから、この缶詰は食べられる」が演繹です。

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人は物事を判断するときにはだいたい演繹を使います。

演繹は材料がひとつでも間違っていると使い物にならない

演繹には弱点があって、その弱点とは嘘に弱いことです。先ほどの、「賞味期限が切れてない、だから、この缶詰は食べられる」は賞味期限が嘘だったり、ミスプリントされていたら成り立ちません。当たり前だって?  でも、ここが大事なのです。

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人は常に演繹を使いますから、もしも嘘があると判断も間違ってしまいます。厄介なことに、嘘はひとつでも重大な問題です。先ほど賞味期限を例に挙げましたが、賞味期限の演繹は他にも多くの事実を前提としています。日本で暮らしているとこんな捏造はありえないと思うかもしれませんが、外国ではありうる話です。

・賞味期限の表記は正しい
・会社が嘘をついていない
・商品名は正しい
・パッケージを入れ替えてはいない
・正しい調理・衛生管理をしている
・運送会社が正しい保管をして輸送している
etc...

他にも、消費者庁が買収されていないとか、考え出したらキリがありません。我々は、たった一つの「缶詰が食べられるかどうか」という判断において、極めて多くの正しさを前提としているのです

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もしも、一個でも嘘があれば、この「缶詰は食べられる」という推論はもろくも崩れ去り、数時間後にはあなたのおなかに致命的なダメージを与えている可能性があるのです。

ひとつでも嘘があると全部破綻することがある

さて、演繹はひとつでも嘘があると正しい判断ができない可能性があることを示しました。この性質は、もっと多くのことに波及します。ひとつの判断だけではなく、ある種の主張がすべてひっくり返ってしまうのです。

例を挙げましょう。

ある人が、車椅子ユーザーで、

・JRで車いすユーザー乗車拒否にあった
・階段しかない駅なので案内はできないといわれた
・今の時代でもよくある
・バリアフリーは全然進んでいない

だから、車椅子にもっと配慮した社会にするべきである。

といった主張をしたとします。この演繹の前提は4つです。このとき、これら全てが本当であれば、当然ながらJRは責められるべきでしょう。

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しかし、実際には乗車拒否でなく、別の方法を提案していたとすると、この演繹は間違いです。これは、「本当は乗車拒否されていないのに乗車拒否されたと嘘をついた」ことによる論理の崩壊です。

さて、こうすると、先の主張「車椅子にもっと配慮した社会にするべきである」という主張も、この論理では成り立たなくなります。悲しいことに、本来は車椅子に配慮した社会にするべきという主張自体は、程度問題もありますが間違った主張ではありません。

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車椅子ユーザーという、とても大きな主語で主張してしまったがために、他の車椅子ユーザーの主張全体に論理的な破綻を加えてしまいました。今後、この主張を入れている限り、車椅子ユーザーに配慮すべきという主張は成り立ちません。おまけに、同様の車椅子ユーザーの主張についても「嘘じゃないか」という疑義が生じるというおまけつきです。

もしも、このような主張をしている人がいたら、車椅子ユーザー全体にとって極めて有害です。即刻撤回して、「嘘でした。主張は取り消します」としなければ、論理破綻は収まらないでしょう。

まとめ

以上、論理を破綻させる嘘について書きました。嘘は思った以上に迷惑をかけることになります。私利私欲で他人を貶めて私服を肥やす人間は、社会に対する害悪です。嘘をつくきそうになったときは、「誰に」「どの程度迷惑がかかるか」「邪悪なうそでないか」考えましょう。


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