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ぼくと黒猫

実家に、ネコがいる。3匹。

物怖じしないおっとりな性格のラグドールと、小さくてやんちゃなキジトラ、そしていつも隠れている黒猫。


黒猫は、うちに馴染まなかった。大きくなってからうちに来たためか、はたまた、うちに来る前に何かあったのか。

黒猫のキモチは誰にもわからないけれど、事実として、彼女はふだん、家の二階、すみっこの部屋の、これまたすみっこの机で、ひたすらに隠れて姿を見せない。


一番仲がいいぼくにすら、帰省してすぐは顔を見せないほど。帰省の期間は短いから、いつもちょっと触らせてくれるようになってまたバイバイ、の繰り返しだった。


3月。出来たてホヤホヤの免許証を携えて、おもに運転の練習のために、ぼくは実家に帰った。

黒猫との再会。他のネコたちのほうが可愛げのある性格なのに、ぼくにはどうしても、この黒猫が一番可愛く思えて、帰省したらすぐに声をかけに行く。


今回は、はじめから撫でさせてくれた。上々の発進じゃないか、と息巻くぼく。



帰省して、4日目の夜。

いつものように黒猫が常駐してる部屋で、ぼくは、いつものようにTwitterを見ていた。少しして、飽きて、黒猫に声をかけた。


黒猫、のっそりと顔を出し、ウーンと右手で伸びをして、眠そうに近寄ってきた。


なんだ、今日は気前がいいな。

眠いけど、機嫌いいからきてやった。

膝、乗る?

ん、乗ってやらんこともない。


黒猫は、自分からは膝に飛びのらない。ぼくの足元を、しっぽを立てて8の字に歩く。それが「乗ってやらんこともない」のサイン。


よっこいしょ、と黒猫を持ち上げて、膝に座らせる。


またすぐに逃げられるんだろうな、そしたら下に行っておやつ取ってこよう、なんて考えてたら、黒猫、前足をたたんで、ぼくの膝のうえでくつろぎ始めたのだ。


これまで、こんなにくつろいでくれたことがなかったから、嬉しくて嬉しくて。ついつい触りすぎちゃうじゃない、なんて困ったような顔をしていたのもそれまでで、すぐにぼくは彼女との時間に夢中になった。


椅子に座って、覆いかぶさるような姿勢で膝のうえの黒猫の顔を撫でるぼくと、それに応じるように顔を動かして、目をシパシパする黒猫。


膝に、あったかさがじんわりと伝わってくる。向こうを向いている表情はよく見えないけど、その背中は「ん、気持ちよくないこともない」と言っているようで、それはぼくの妄想かもしれないんだけど、顔のまわりを撫でるぼくの手には一層、あたたかさがこもる。


顔の下、ちょっと斜めにずれたあたりを撫でると、スーッと首を伸ばす。ちょっと撫でる範囲を広げながら、より一層、優しくゆっくりと首のまわりを撫でる。今度は、首をまっすぐに戻して目を閉じる。それじゃあ、と、ほっぺたのあたりを両手でちょっと強めに撫でる。


こういうことが永遠にくり返されて、それはたぶんくり返しだったのだけど、どの瞬間もいつかの反復のように感じられなくて、そうしてるうちに、かなりの時間が過ぎた。気がした。


左足と、背中がいたい。変な姿勢がずっと固定されてたせいだ。

黒猫に、ごめん、背中いたいから終わり、どいてくれ、って言うと、しばらくの間耳を立てて静止した彼女は、ゆっくりと立ち上がり、床の上に降りた。



膝のあったかさが残っていた。


膝のあったかさが残っている。これを書いている今も。

首がスーッと動いて、ぼくの手もつられて動く。そういう感触も残っている。あの時の触れ合いが、ぜんぶ、ぼくの手に、いやぼくの心に、感触が、その全部が残っていた。


あの日、ぼくと黒猫は、ぼくの手の皮と、彼女の黒い毛皮というそれぞれの表面をとおして、お互いのその向こうにある「なにか」に触れた気がした。その「なにか」の正体はわからないけど、あの時あの瞬間に、その「なにか」たちは確実に、お互いを向いていた。向き合っていた。その向き合いは、視野に入る、なんて生半可なものじゃなくて、砂浜から見える無限に広がる海のような、あのちょっとした抱擁も伴った向き合い。

その向き合いが、ぼくの心にずっと、今も残っている。


そして望ましくは、黒猫の心にも。次、会う日まで。


また、乗ってくれるといいな、膝のうえ。

もう、あの感触が、ちょっと恋しい。

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