『LGBT を読みとく ― クィア・スタディーズ入門』 を読んだ

先日読んだ 『クィア・アクティビズム』 (「『クィア・アクティビズム』 を読んだ」 参照) に続き、『LGBT を読みとく』 を読んだ。 著者は社会学者の森山至貴氏。

どんな本?

セクシャルマイノリティについて全く知識がなくても読めて、セクシャルマイノリティについての最先端の知見や現代的な諸問題に対応できることを目指した書籍である。 発行年が 2017 年なので、ここ数年の動きには対応していないが、本書を読むことで一通りのセクシャルマイノリティにまつわる知識を得ることができる。

肝として、性の多様性を扱うクィア・スタディーズという学問領域を置いている。

本書の前半では、クィア・スタディーズを理解するための準備として、LGBT、同性愛、トランスジェンダーといった概念が説明される。 『クィア・アクティビズム』 でも出てきたような歴史的な話の要点もまとめられている。

後半では、クィア・スタディーズの大枠が提示される。 クィア・スタディーズが成立した背景や、クィア・スタディーズの基本的な視座や基本的な概念を理解することができる。 さらに、クィア・スタディーズを応用する方法も示される。

感想など

前回読んだ 『クィア・アクティビズム』 は、セクシャルマイノリティの歴史の話が主で、クィア・スタディーズが成立したという歴史は知ることができたものの、「クィア・スタディーズって結局どういうもの?」 ということがわからなかった。 本書は、クィア・スタディーズとはどういうものかについて説明されているので、クィア・スタディーズについて理解することができて良かった。

一方で、記述内容に気になる箇所がちょこちょこあり、(もちろん自分の無理解が原因の可能性もあるのだが) その点は気になった。

とはいえ全体として理解しやすく、良い本だった。

以下、特に学びになったことや気になったことについて書いておく。

クィア・スタディーズの背景

クィア・スタディーズ成立の背景に HIV/AIDS の社会運動があったことは 『クィア・アクティビズム』 にも書かれていたが、本書ではポスト・構造主義の影響があることも示されており、なるほど、となった。

ジャック・デリダの脱構築という概念や、ミシェル・フーコーの性の装置や権力概念がクィア・スタディーズに影響を与えているとのこと。

ジャック・デリダの脱構築については千葉雅也氏の 『現代思想入門』 である程度理解しているつもりだが、ミシェル・フーコーの概念は全然知らなかったのでまた調べてみたい。

クィア・スタディーズとは結局なんなのか?

クィア・スタディーズとは、テレサ・ド・ローレティスの 「クィア・セオリー」 以降 (1990 年代以降) に立ち上がった、性 (特にセクシャルマイノリティ) に関する一定の視座を共有する諸研究である、とのこと。

クィア・スタディーズの視座とは、以下のものである。

  • 差異に基づく連帯の志向 : 多様なセクシャルマイノリティの差異を隠蔽せずに考察する

  • 否定的な価値づけの積極的な引き受けによる価値転倒 : 否定的なニュアンスの言葉をあえて用いることで、その内実やイメージを定義する力を取り戻そうとする (「クィア」 という言葉もその一種)

  • アイデンティティの両義性や流動性に対する着目

クィア・スタディーズの明確な定義はなく、それ自体流動的であるとのこと。

クィア・スタディーズの基本的な概念

クィア・スタディーズの基本的な概念として、次の 5 つが紹介されていた。

  • パフォーマティブ (パフォーマティビティ)

  • ホモソーシャル (ホモソーシャリティ) : 同性間の絆を指す言葉

  • ヘテロノーマティビティ : ヘテロセクシャル (異性愛中心主義) をより進めた形で、異性愛が正で、それ以外の在り方は間違っているとする思想

  • 新しいホモノーマティビティ : 既存のヘテロノーマティブな社会に迎合する同性愛者の在り方

  • ホモナショナリズム : 同性愛者がナショナリズムを支持する見返りに自らを認めてもらおうとすることで、既存の国家の在り方を維持、補強してしまうこと

パフォーマティビティとホモソーシャルはフェミニズムからの影響を受けている。 ヘテロノーマティビティは、セクシャルマイノリティ間の連携の模索から。 新しいホモノーマティビティとホモナショナリズムは、セクシャルマイノリティの中での格差や、既存の差別的な構造をセクシャルマイノリティが強化してしまうことへの批判が込められている。

パフォーマティビティ以外の概念はある程度自分でも説明できるようになったが、パフォーマティビティの概念だけイマイチよくわかっていない。 「セックスは、つねにすでにジェンダーである」 という言葉もまだよくわかっていないので、ジュディス・バトラーについて学ぶ必要がありそう。

本書で気になったところ

大昔から同性愛者が存在した、とする論は間違い、というのが妥当なのかどうかよくわからなかった。 「大昔から同性愛者が存在したかどうかはわかっていない」 ということであれば納得するんだけど、本書の論調だと 「いなかった」 という感じなので、そこまで言い切れる理由がいまいちわからん。

次に、部活の男同士で 「女子マネージャーと付き合ってはならない」 と取り決めるような伝統は (女性の恋愛を男性が制御して良いと思っていて) 性差別的である、とする話。 これは女性の恋愛が制御されているのではなくて男性側が制御されていると思うのだけど、そういう考え方ではないのか?

例えば、クラスで人気の男子が居たとして、女子同士で 「抜け駆けするなよ」 みたいな牽制を掛け合う (牽制しあうのだとちょっと弱いかもだけど) のは男子の恋愛を制御していると言えるのか?

男性ホモソーシャルコミュニティにおける女性の扱いは批判される部分ではあれど、この例はどうなんかな、というのが気になった。

あとは日本の労働市場は強いヘテロセクシズムが働いており、同性愛者が同性愛者として働くのが困難、という話。

例えば 「職場の同僚と連れ立って性風俗に行く」 というような文化がある職場もあると聞いたことはあるので、そういう場に馴染めないとかそういうことは無いとは言い切れないけど、そういうのは現代的な価値観だとセクハラ扱いされるもので無くなっていっているものだという認識なので、いまいち労働において性的指向が原因で働くことが困難になる状況が想像できない。 当たり前のように 「強いヘテロセクシズムが働く日本の労働市場」 って言っているけど、ちゃんとした説明が欲しい。

あ、あとは、本文中に 『人の性別は、(略) 性自認に基づいて判断すべきだと私は考えています』 って書かれていたのでその理由も知りたかったんだけど、それも、結局説明がなかったな。 気になる。

おわり

というわけで、気になりどころは少しあれど、全体としてクィア・スタディーズを学ぶために良い本でした!

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