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2022/05/12 架空の記憶を思い出す。

 指が動くにまかせて文章を書いている時、頭の中で文章を語る声が聞こえる。声と書かれた文章とどっちが速いのかは曖昧で同時な気もする。書かれた文章を見て頭の中で読み上げているような、頭の中で聞こえる声を書き写しているような、不思議な感覚だ。速さを重視して文章を書こうとする時、その声を追いかける。指先を追いかける。

 頭の中のイメージを書き写すという方法もある。いまから思い浮かぶ映像を書き写してみる。大学生の時京都に住んでいたせいか、イメージの中に京都がでてくる可能性が高い。
 京都の智恵光院中立売通りのアパートに住んでいたから、そのアパートを降りてすぐの閑散とした道路がいつも頭の中に出てくる。坂道になっていて、坂道を登っていくと千本中立売通りがあり、その途中に公園と古本市場がありよく本を買った。アパートを出て正面には拉麺屋があって、牛肉を麺に練り込んでいる麺が売りの拉麺屋だった。拉麺は醤油味で大きな白髪ねぎが乗っていた。あの頃はお金を節約しまくっていて、一度しかいかなかった。自転車で5分ほどで今出川通りに出ることができた。その途中にある餃子の王将によく行った。昼間だとランチが500円で食べることができたから、毎週楽しみに行った。今出川通りの交差点に差し掛かるところに銀だこのたこ焼き屋があり、これもよく食べた。柔らかい系のたこ焼きってこの時初めて食べたかもしれない。
 思い出の中のイメージを思い出して、その情景を書き出していけば、内容あるなしに関わらず何かしらを書ける。
 頭の中にイメージを思い浮かべるっていうのは、思い出すをベースにしている。架空のものを思い浮かべるのも、思い出を思い出すのもどちらも一緒のように思えるから不思議だ。妄想は架空の記憶を思い出すようなものなんだろうか。

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