バケットリストを破いて燃やせ
僕は論理的に積み上げて考えるのが苦手だ。ひとつひとつゆっくりとジェンガを積み上げるみたいに順番通りに考えていると、脳がぷるぷる震えてきて発狂する。ジェンガをなぎ倒してブチ切れる。
一段ずつ登るよりステップを飛ばして直感から答えを求めようとする。答えが出る場合は何より速いけど、答えが出ないことや間違いが多い。これが速さを求めすぎた弊害だ。ニューロンが発火した直後に身体が動いて答えを出している。それが正しいどうかは別として、反射が凄まじく速いことを重要視していた。稲妻のように閃光のようになにより速い。(ダニエル・カーネマンのいうシステム1だ。バイアスがかかりまくりの主観入りまくり偏見まみれの人間の感じがでてていい。論理性のシステム2はなんか取り繕ったいい子ちゃんな感じがして嫌いなんだが、今はこれが必要!!!)
誰かより速いことを重視する場所はどこにでもある。オリンピックのタイムだとか、脱出ゲームだとか。速い遅いは人を比較し勝ち負けを決めるわかりやすい指標ではある。だが、僕はそこから脱出したいと思う。
速さなど、効率など求めるな、感受性が鈍り、日々の風景の変化すら気づかなくなるぞ。雪の冷たささえも、日差しのまばゆささえも、空の澄み切った青ささえも、どうでもいいものに思えてしまう。たくさんの量をこなさなければいけないという、大量消費社会的現実が瞬間を置き去りにさせる。空を見上げる目はこの瞬間を見ていない。やりたいことが多すぎることが負債になることもあるんだって早めに気づいたほうがいい。未来を見つめる瞳は空想で曇っている。
バケットリストを破いて燃やせ。
性急に答えを出そうと思っているときはたいてい何かに操られてる。
キャッチャー・イン・ザ・ライを毎日読んでる。毎日30頁ずつ読み270頁までたどり着いた。ホールデンは酔っ払って哀しくなって、妹に会いに実家に忍び込む。感じやすく真面目なやつなんだ。カトリックの女の人に煙草のけむりをかけてしまい謝りまくるところが印象に残った。申し訳ない感情が伝わっていた。
心に欠けている速度が補充される。文学は速度が遅い。それがなにより心地良い。二倍速のYou TubeザッピングされるSubscriptionContents。全部捨てて、文学だ。
ひとつのものごとをじっくりゆっくり考えるためには情報量は必要ない。自分の頭の中だけで十分だ。脳は無限。
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