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タイムトラベルの痕跡としての文章。

 最近何かしら毎日書けているので気分がいい。たとえその文章があまり大したことがないものでも、生み出されたものなので意味がある。その痕跡に意味がある。

 今はまだ、あまり意味のない文章かもしれない。けれど、何年後かに見直すとそこに意味が生まれている。何かを生み出したり、写真を撮ったり日記を書いたりしたものは消えない限り、滅びない限り未来に届く。ノスタルジーの魔力のかかったものはどんなものでもきらめいている。その瞬間には二度と戻れない。思い出せても、戻ることはできない。

 戻ることはできないとわかっているはずなのに、昨日を置き去りにしたし、今日も流れていった。毎日毎日失われていくことを忘れている。忘れていくことが正常なのかもしれないけれど、忘れないようにしたい。何度も何度も繰り返し、思い出して、生の喜びと死の恐怖を味わい直す。似たような喜びや哀しみを違う形で味わいながら日々が過ぎ去っていく。忘却の中で、繰り返しに慣れていくことに、慣れきれずに何度も何度も繰り返す。同一の具体的な喜びは存在しないけれど、抽象的に同質の喜びはあるはずだ。喜びの種類は分類できて、悲しみの種類だってきっとある。混ざり合ってもいいし、混ざり合わなくなっていい。そうやって繰り返していった先に死がいつか訪れるわけだけど、いまの段階では全然怖くない。恐れていないのは安心しているからだ。本当の恐怖を知らないからなのかもしれない。怖いことからは逃げるに限る。暗闇は覗きたくない。

 

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