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Anti-Avatar #XR創作大賞

以下は、GE社が次世代の自己デザインツール「Self-Library」を発表した際に開かれ、同社のセルフデザイナーであるKai氏が登壇した記者会見の記録である。

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記者:Self-Libraryとは、どのようなシステムなのですか?

Kai:自己の複数性を尊重しながら、統合的アイデンティティの構築を支援するアプリケーションです。膨大なライフログを分析することで、そのユーザーが持っているさまざまな分権的自己を可視化・整理するとともに、それぞれの「小さな自己」がお互いにどのように関係しているのか、全体としてどのような「大きな自己」を形成しているのかを提示します。アバターや拡張人格の整理をするだけでなく、役割間葛藤を解消するための方略を提案したり、「なりたい自分になる」ためのロードマップを描くヒントを提示したりするのにも有用です。

記者:なるほど、分権的自己が分析されるというのは、どういった仕組みになっているのですか?

Kai:まず、青年心理学が作り上げてきたアイデンティティ理論に基づいて、個人(personal)・関係(relational)・社会(social)・物質(material)の4側面からユーザーの自己概念を分析します。これには、生体・行動・環境などのトラッキングデータを用いて「自己」の定量的側面をまとめ上げる技術「The Quantified Self」を発展させた手法が使われています。膨大なライフログデータから、その人がどのような(さまざまな)人格を持っているのか、正確には、どんな人格を持っていると解釈すれば自己概念にとって良いまとまりが得られるのかを予測します。

もちろん、定量的なデータをトップダウン的に用意したアイデンティティモデルに適用するだけでは、分類に限界があるでしょう。ですから、質的研究によって開発されたナラティブ分析プログラムと、グラウンデッド・セオリーAIも組み込まれています。定量データによる解析は、質的データによってボトムアップ的に補完されるということです。

記者:ありがとうございます。続いて、このようなアプリケーションが開発された背景や理由を教えてください。

Kai:端的に言うと、拡散しすぎた自己概念を調停したり、自己に統一的な意味や価値を見出したりすることが出来なくなる人が増えてきたからです。Self-Libraryは、アイデンティティ超拡散の時代に、自己のあり方を主体的に決定し、自己存在に意義を見出すことを支援するために考案されました。

昨今では、ロボットや三次元ディスプレイなどのメディアを通じて、実空間においてもアバターを通じて社会活動をする人が増えました。これに合わせて、弊社もこれまでに2つのアバター技術をリリースしてきました。

一つは、アバターに合わせて体性感覚をもチューニングできる次世代の身体化(Embodiment)技術。これによって、アバターは単なる着ぐるみ以上の「変身」を達成し始めています。身体が大きくなる、重くなる、金属質になる、そういった身体特性の変化が、視聴覚以外のモダリティからも感じられます。目を閉じていても自分が変身しているのが「感じられる」のは、旧来のアバター技術とは大きく異なる点でしょう。体性感覚レベルでアバターに「なる」ことは、人の心理に大きな影響を与えます。

そしてもう一つは、アバターという身体のデザインを通じて自己概念の改変を促すことで、ユーザーが理想とする知性や行動を実現する技術である「ゴーストエンジニアリング」のオープンソース化です。これによって、本人が望むなら、自信、コミュニケーション能力、性格、冷静さ、発想力、偏見といった心の問題のうち、認知由来の個人差は数週間の「変身」トレーニングで簡単に克服できるようになりました。

こうした社会的背景は、社会生活におけるアバター活用を推進しました。アバターを通じて、自分の姿や能力、職場や会話相手、目的や仕事内容が1日の中で目まぐるしく瞬間的に変化し続けるような生活が当たり前になりました。そして人は、一人では抱え切れないほどのアバターを切り替え、駆使して生活することを余儀なくされました。

その結果、「自己とは何か?」「それにはどのような価値があるのか?」といった問は、人々の手に負えなくなり、世間にはある種の厭世観、倦怠感のような空気が立ち込めています。100年近くも前から「プロテウス的人間」として警鐘を鳴らされていた現代人のアイデンティティの在り方が、ここへきてついに立ち行かなくなっています。当然、弊社の技術もこの危機的状況の一端を担っています。

記者:Self-Libraryを使えば、そうしたアイデンティティの問題が解決されるということでしょうか?

Kai:私たちはそれを願っています。Self-Libraryは、「父親としての私」「サッカーが好きな私」「恋人と2人きりで話している時の私」「会社で働いている私」「子供の頃の私」といった様々な自己概念と、それに紐づいているアバターを、図書館のように記録して並べることが出来ます。

一つ一つの「私」という個別のポジションは、それぞれ独自の性格、価値観を持っています。ある特定の「私」にとって、別の「私」はある種の他者です。多種多様な「私」という物語の塊を、特定の心理的力学に基づいて空間的に配置することで、いま自分の中にどのような「私」が存在しており、複数の異なる「私」をどのように使い分けているのか、といった情報をユーザーに提示します。これは、この半世紀の間に成熟した対話的自己論に基づいた発想です。

「私A」は、「私B」から嫌われているかもしれない。「私A」は「私B」や「私C」からものすごく羨ましい目で見られているかもしれない。「私A」と「私B」は、それぞれの目的が相反しているために切替時の認知負荷がとても大きいかもしれない。

そういった「分人」間での衝突や親和がライフログから予測され、空間的な配置や力学的な相互作用として反映されます。そこでは、例えば、閾値を超えた仕事と家庭の役割間葛藤なんかがアラートされるかもしれません。

一つ一つの「私」は均等に並んでいるわけではありません。図書館というより宇宙に喩えた方が正確かもしれませんね。大事なのは、自己という銀河がどのような「私」群から構成され、どのような重みづけによって成立しているのかを知ることです。

「私」群のポジショニングを読み解くことで、自己実現のために何が必要なのかも検討しやすくなるはずです。Self-Libraryを用いて、いま自分が持っている数多の「私」を整理し、全体として調和の取れる方向へと個々の「私」を修正していく。そうした自己との対話を通じて、人生に意味や意義を見出していただけるのではないかと思っています。

記者:近年では、安易で記号的なアバターの台頭が問題視されています。大量生産されている安価なゴーストエンジニアリングプログラムでは、「理想的な人間像」は象徴的なアバターに画一化され、大勢の人が流行のようにそれをまとっています。これはステレオタイプなどを促進するなどの批判が挙げられています。

こうした状況であっても、Self-Libraryは有効に機能するのでしょうか?自己というものをキャラクター化して離散的に整理していく行為は、アイデンティティの多様性を損なうことに繋がりませんか

Kai:ある研究者は、そういったアバターの過剰な記号化こそ、人が自己概念の調停や自己の意味づけに苦戦した結果であると説明しています。アイデンティティの超拡散時代にあって、記号的なアバターに好みを四捨五入させ、インスタントに自己を規定することは、ある種の生存戦略なのかもしれません。

画一的で記号的なアバターが好まれる現象を、私は「世界のライトノベル化」と呼んでおり、皆さんと同じように憂慮しています。そしてSelf-Libraryは、その解決を支援することができるとも思っています。

Self-Libraryでは、理想自己・可能自己・当為自己といった実現していない自己の側面も解析することが出来ます。また、それぞれの「私」を特定の心理パラメーターに従ってソートすることも出来ます。これらを組み合わせることで、ユーザーの自己宇宙において、どんな理想に向かって引力が生じており、そこにどんな偏りがあるのかを発見することが容易になるでしょう。Self-Libraryはアカデミック版の販売も行う予定ですので、学校教育などの現場に導入し、自己デザインの授業をサポートできればと考えています。

記者:近年、アバターという言葉が、「偽の自己」と「本当の自己」という相反する二つの意味を指し示すことが生み出すディスコミュニケーションが問題になっています。ロボットアバターで就労する人を軽蔑する肉体主義者もいる一方で、逆に肉体で就労する人を軽蔑する脱肉体主義者も存在します。

ある姿を取っている相手がいま、どのように自分で自分を規定しているのかを読み取る能力は、円滑なコミュニケーションのために必須のスキルと言えるでしょう。こういった問題は、Self-Libraryの登場によってどのように変わるでしょうか?

Kai:Self-Libraryを起動した際、身体という原点から遠く離れている「私」は、その人にとっては「偽物」なアバターかもしれません。逆に原点付近を公転する大きな「私」は、その人にとって重要な自己概念の一部なはずです。このような自己の中に存在している個々の「私」の重みづけを他者にも可視化することで、コミュニケーションの円滑化が図れると考えています。

Self-Libraryでは、いまの「私」は、お気に入りの身体を使っているとか、外見にこだわりはないけれど使命感を持って有意義に仕事をしているとか、そういったアバターと紐づいている自己概念の状態をディスプレイすることが出来ます。

記者:最後に、Self-Libraryを使って、我々はどのような自己のあり方を開拓していくべきだとお考えか、教えてください。

Kai:「世界」は、身体を中心とした極座標系だと考えてみてください。

原点の付近に「私」があり、他者に向かって場が広がっている。もちろん、理想の原点(0,0,0)に我々の現実が到達できるのかは分かりません。量子論的な世界観では、自己という現象も確率でしかないのかもしれない。原点(0,0,0)は、観測する度に空であったり無かったりするでしょう。ただ、少なくとも原点の「近く」には、「自己」なる何らかの星が漂っているに違いない。

我々は、この原点周辺に漂っている、本来は空間的な広がりを持った星の集合場のことを、近似的に一つの点=自己であると思い込んでいるに過ぎません。言わば古典力学的な自己です。なぜなら、Self-as-Weの立場に立てば、世界に存在するあらゆるエージェントが「私」の一端を担っているのだとも言えるのだから。

この広大な極座標の宇宙、個々人の身体=原点から見た各々の盤面宇宙において、どのような星座=自己を描き出すのか。各人がこの途方もない多体問題に精一杯頭を悩ませながら、自分だけの正解を目指して星の海をデザインしていく、その営みこそが、「自己」を生きることなのだと思います。Self-Libraryは、この星海のデザインを手助けするツールであって欲しいのです。

人生という特異な時間区間において、どれだけ美しい盤面宇宙=自己を観測することができるのか。人は、そんな星のように微かな、それでいて無限の射程を持つ壮大な問題に取り組み続けることを運命づけられています。いや、ひょっとしたら我々は、問い続けているそのプロセスのことを「人間」と呼んでいるに過ぎないのかもしれません

そして、各ユーザーがSelf-Libraryで描き出したそれぞれの盤面宇宙が所狭しと並べられた系こそ、銀河であり、社会であり、それもまた自己なのです。どうかみなさん、たとえそれが一瞬であったとしても、美しい星の配置を自身に見出してください。それぞれに固有のやり方で自己を克服し、稲妻のように鮮やかな光で、「なりたい自分とは何か」に応答しましょう。

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