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#3 Minimal Selfと身体所有感

この記事は、ゴーストエンジニアリング Advent Calendar 2020の3日目の記事です。走りながら書き殴っているので、次の日に見たら記事が修正されているかもしれませんがご了承ください。年明けくらいにまた見てみてください。

前回の記事で、アバターという言葉がどんな使われ方をしているのか、アバターとプレイヤーがどのような関係にあるのかについて書きました。「Me」としてのアバター体験は自己の化身だと考えられるわけですが、それじゃあ一体、自己の何の要素が託されればアバターは「Me」になるのでしょうか?

これは一筋縄ではいかない問ですが、まずはその第一歩として、Minimal Selfという手がかりについて紹介します。

自己とは何か

自己とは何かについて考えた人は現代までにたくさんおり、いろんな立場があります。Gallagherはその一人。彼は、自己を構成する2つの要素として、minimal self(最小限の自己)とnarrative self(物語的自己)があると考えました[1]。

- the minimal self, a self devoid of temporal extension,
- the narrative self, which involves personal identity and continuity across time.

Minimal selfというのは、一切の自己知識を失ったとしても残る最小限の自己であり、
 - 身体所有感(Sense of Ownership, Body Ownership)
 - 行為主体感(Sense of Agency)
の二つによって支えられているとされています。

身体を保持している感覚、そしてそれを通じた行為がまさに自己によってなされている感覚というのが、自己感のベースになっているということです。触覚や体性感覚、内臓感覚など、自己以外には感じられない内在性の感覚が、自己の基盤として重要ということなのかも知れません。

ちなみに、最近見た出口康夫先生の自己論講義がめちゃめちゃ面白かった。ギャラガーの自己論もOne of them。自己とは何かという問に、科学はまだ正答を与えていません。哲学のフロンティアで、それぞれが問に対して決死の応答をしている、そんなドラマチックな現場です。いまはまだ、自己という存在をどのように語れば、より見通しが良くなるか、と考えるのが良さそうです。

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自己論については後日の記事でまた詳しく見ていきます。

[1] S. Gallagher (2000). Philosophical conceptions of the self: implications for cognitive science, Trends in Cognitive Sciences, Vol. 4(1), pp. 14-21,
https://doi.org/10.1016/S1364-6613(99)01417-5

身体の条件?

身体を所有している感覚、行為を主体的に行っている感覚、そんなのあって当たり前では?と思われるかもしれません。しかし世の中には、身体や脳の機能障害などにより、身体所有感や行為主体感が損なわれた事例が多く報告さています。そうした、「感覚」が喪失した事例を通じて、「感覚」が生じるための条件に迫ることができるかも知れません。

例えば。

ないのにある - 幻肢 [1]

事故や病気が原因で手や足を失ったり、
生まれながらにして持たない患者さんの中には、存在しない手足が
依然そこに存在するかのように感じる方がいます。なんと、いらすとやにも該当のイラストがある。
このことはつまり、身体所有感にとって、実際の(物理的な)肉体そのものは、
必ずしも今ここに存在する必要はないということを表しています。

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あるのにない - 身体失認 [2]

自分の身体を無視したり、その所有を否定したりする症例です。身体の麻痺を否定・無視する病態失認や、身体の所有を否定する身体パラフレニアが報告されています。身体は確かにそこにあり、自己の身体の一部であることが視認できている(周囲の人にはそう見える)にも関わらず、です。こうした症例は、身体所有感を獲得するには、視覚像だけでは不十分であることの証左だと考えられます。

いるのにいない - 体外離脱体験 [3][4]

さらには、自分の身体を外から眺めているような感覚に陥る症状も報告されています。この症例は、自己受容感覚、触覚、視覚間の他感覚情報の統合失敗と、
前庭感覚の機能障害が組み合わさって生じるという説が挙げられています。逆にいえば、それらが上手く機能することが、身体の中に「私」が住まう条件なのかもしれません。

[1] V・S・ラマチャンドラン (著),サンドラ・ブレイクスリー (著),山下 篤子 (翻訳) 2011年.脳の中の幽霊.角川文庫.
[2] 森岡周、嶋田総太郎(2018)身体失認・失行症のリハビリテーション-身体意識の問題から捉える(第7章)、「身体性システムとリハビリテーションの科学2」近藤敏之、今水寛、森岡周(編)、東京大学出版会、pp.203-246.
[3] Blanke, O., Landis, T., Spinelli, L., & Seeck, M. (2004). Out-of-body experience and autoscopy of neurological origin. Brain : a journal of neurology, 127(Pt 2), 243258. https://doi.org/10.1093/brain/awh040
[4] Blanke, O., Ortigue, S., Landis, T., & Seeck, M. (2002). Stimulating illusory own-body perceptions. Nature, 419(6904), 269270. https://doi.org/10.1038/419269a

身体の可塑性と身体所有感

身体を所有しているという感覚を、実験的に操作・検証できるようにした一つのパラダイムに、ラバーハンド錯覚(The Rubber Hand Illusion)があります。Botvinick & Cohenが1998年にNatureに発表した論文「Rubber
hands ‘feel’ touch that eyes see」がその端緒です[1]。頭文字をとってRHIと呼ばれたりします。

被験者にゴムの手を観察してもらいつつ、そのゴムの手と実際の(被験者本人の)手の両方に対して、できるだけ同期させた触覚刺激(筆で撫でるとか)をすると、ゴムの手がまるで自分の手のように感じてくるという現象です。

日本語の解説論文もあります。

ラバーハンド錯覚が提案されて以降、この錯覚によって「自分の手の位置感覚」がラバーハンド側にドリフトすること(※)、そしてラバーハンドに脅威(ナイフ刺したりとか)を与えると皮膚電位をはじめとする生理的反応が見られることなどが報告されていて、それらは身体所有感の定量的評価の位置指標として使われています。

※ proprioceptive drift:実験の前後に、目を閉じた状態で、自分の手がどの位置にあるかをもう一方の手で机の下から指差してもらうと、錯覚が起こっているほど実験前よりも指差す位置がラバーハンドのほうにずれる。

かくして、人は「身体ならざるもの」(とは?)に身体所有感を生起できることが明らかになりました。

まあもともと人には(少なくともサルには)、道具を使うことで道具までも身体の一部のように感じる性質があると言われてますから、そこまで突飛な話ではありません。

でね、身体所有感をゴムの手に生起できるのならば、一体身体はどこまでいけるんでしょうか?

身体所有感の条件

ラバーハンド錯覚の提案以降、どういう条件で、同期を何秒遅延させても身体所有感を生起できるのかなど、身体所有感正規の条件が様々に調べられています(例えば[1])。

さらにはVR技術を用いて、物理環境では実現が難しいような「ラバーハンド」を実現することで、身体所有感生起に必要な条件が徐々に明らかになりつつあります。(VRを用いた身体所有感の探究は次の記事で紹介します。)

身体所有感錯覚は、ボトムアップの情報(感覚器官から脳に届く求心性の感覚情報、例えば、視覚、触覚、および触覚の入力)と、トップダウンの情報(感覚刺激の処理を調節する認知プロセス)の両方によって生じるとされています[4]。

Olaf Blanke先生によるまとめはこんな感じ[2]。

1. 体性感覚制約

その身体部位に関する体性感覚が存在すること
2. 身体的視覚情報制約

その身体部位に関する視覚情報(あるいは脳内のイメージ)が存在すること
3. PPS制約

それが身体周辺空間(PPS)に存在すること
4. エンボディメント制約

視覚ー体性感覚情報が長い期間にわたって同期して与えられていること

まとめると
→視覚と体性感覚の手がかりが、身体の近くで、整合性が取れた状態でずっと感じられること

また、他にもこんな制約条件のまとめ方もされています[3]。(こういう制約があることが、トップダウン処理が関わっていることの証左とされています。これについては次回詳しく見ましょう。)

- 視触覚刺激の整合性
上で見たエンボディメント制約。
- 解剖学的制約
本格的なSoO体験は、典型的には体の形をした物体に対してのみ誘発される
- 木のブロックのような体の形をしていない物体に対しては誘発されにくい
- 空間的制約
RHIの強さはゴム手と参加者の実際の手の間の距離に依存する。(水平・垂直の両方向に数十センチの制限があるが、その数値に関しては議論が分かれている)
- 姿勢的制約
人工手が参加者の実際の手に対して解剖学的に整列している必要がある。
例えばラバーハンドが180度回転した状態で置かれていると、錯覚は減衰する
- 質感的制約
ゴム手の皮膚のテクスチャーが、不自然に見える場合、あるいは自分の皮膚の色と一致しない場合は、自然に見える場合と比べてRHIが弱まる。

身体所有感がどういうメカニズムで生じているのかは、まだ議論がなされているところです。そのメカニズムの一つの説として、身体所有感のNeurocognitive model (NCM)が提案されています[4]。

第一の比較器:観察対象物の視覚的な外観を、既存の経時的に安定した身体イメージと対比する。

十分な知覚的類似性を持つと判断された場合

第二の比較器:観察された物体の解剖学的、構造的、および姿勢特性と、現在の身体スキーマ状態(すなわち、身体の現在推定されている姿勢構成)を対比する。

十分な知覚的類似性を持つと判断された場合

第三の比較器:観察された物体に関する異なる感覚情報(例えば、触覚の視覚と触感の視覚)の整合性がとれているか

とれているなら、観察された物体に身体所有感が発生する。
 
[1] Sotaro Shimada, Tatsuya Suzuki, Naohiko Yoda, Tomoya Hayashi (2014) Relationship between sensitivity to visuotactile temporal discrepancy and the rubber hand illusion. Neuroscience Research, 85, 33-38. 
doi:10.1016/j.neures.2014.04.009.
[2] O. Blanke, M. Slater, A. Serino. 2015. Behavioral, Neural, and Computational Principles of Bodily Self-Consciousness. Vol. 88(1), pp. 145-166
doi: 10.1016/j.neuron.2015.09.029.
[3] Niclas Braun, Stefan Debener, Nadine Spychala, Edith Bongartz, Peter Sörös, Helge H. O. Müller and Alexandra Philipsen (2018). The Senses of Agency and Ownership: A Review 
https://doi.org/10.3389/fpsyg.2018.00535
[4] Tsakiris, M. (2010). My body in the brain: a neurocognitive model of bodyownership. Neuropsychologia 48, 703712.  
doi: 10.1016/j.neuropsychologia.2009.09.034


参考文献

身体所有感(Body Ownership)と行為主体感(Agency)のレビュー論文には下記などがあります。​

Niclas Braun, Stefan Debener, Nadine Spychala, Edith Bongartz, Peter Sörös, Helge H. O. Müller and Alexandra Philipsen (2018). The Senses of Agency and Ownership: A Review
https://doi.org/10.3389/fpsyg.2018.00535
Tsakiris, M. (2016). The multisensory basis of the self: from body to identity to others. Q. J. Exp. Psychol. 70, 597609. 
doi: 10.1080/17470218.2016.1181768
De Vignemont, F. (2011). Embodiment, ownership and disownership. Conscious. Cogn. 20, 8293. 
doi: 10.1016/j.concog.2010.09.004

関連書籍

嶋田先生のこの本がありえん面白い

脳のなかの自己と他者: 身体性・社会性の認知脳科学と哲学 (越境する認知科学) 嶋田 総太郎

ラマチャンドラン先生の『脳の中の幽霊』では、上で見てきたような身体の不思議な症例について、身体と脳の関係から面白く報告されていますよね。


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