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「シンギュラリティ~特異点・にゃんこの日~」 きくちしんいち

2022年2月22日22時22分。アメリカ合衆国カリフォルニア州、シリコンバレー。

ホモ・サピエンスはシンギュラリティを達成した。

暗転の会場、巨大なモニター。ジーパンに真っ白なポロシャツと言ういでたちのアルフォンス・コンピュータCEOエリオット・バンはその瞬間を待っていた。

「ついにこの『時』が来ました」

静かに語るエリオット。モニターのスクリーンには何やらカプセルが映し出されている。見たところ錠剤のようだ。しかし、色はついていなくて真っ白。モニターが映し出す映像はエリオットの手元の錠剤に変わった。それは何やら怪しく光り輝いているように見える。

「今日人類は『ホモ・ゼウス』に進化いたします!この端末の力を借りて!私がその先駆けです!!」

エリオットは右手親指と人差し指でつまんでいたその錠剤を高らかと頭上に掲げた。大昔、族長が仕える神々に生贄を掲げたように。そして、おもむろにそれを口元に持って行き呑み込んだ。報道陣のフラッシュが眩しい。

大歓声!人類がスマートフォンと初めて融合した瞬間だった・・・。

~10年後~

―日本のとある地方都市。

シンギュラリティを達成して早10年。人類とスマートフォンとの融合は一気に加速した。そのカプセルを呑み込めば「意思の力」だけで、スマートフォンを操作する事が出来た。しかも、カプセルを呑み込むだけ。どういう仕組みかはよく知らないがそうすると「思うだけ」で、スマートフォンを指で操作する手間なしにスマートフォンでできることならなんでもできる。目を閉じるとそこはとんでもなくリアルな空間が広がっていて実際の体験のような感覚を味わう事ができる。寝転びながらどこにだって行ける。VRゴーグルすら不要だ。

しかし、スマートフォンとの融合を頑なに拒み続ける人たちも少なからずいた。いちかはそんな一家の元に生まれた高校生の1人だった。ただ、いちか自身はスマートフォンと融合したかった。しかし、父親が認めてくれない。

「お父さん、かなえもアルフォンスのカプセルスマホ買ってもらったって。あたしにも買ってよ!」

いちかの父はその机に山高く積まれた本の中から一冊の分厚いものを取り出し目を細めながら眺めて、ノートに何やらメモを取っていた。今時こんなに紙の本を持っている人などどこにもいない。ほとんどの人がカプセルスマートフォンと融合しているので、テレビ・パソコン・オーディオ機器と言った端末すら10年前に急速に衰退し、今ではそんなものを持っている人はマニアと認定され珍しがられた。紙の本はもっと珍しく、融合が法律で認められていない12歳未満のこども向けの本以外はほぼすべてが電子書籍だ。そのため紙の本は高額で取引されていた。しかし、一定の需要があったためなくなる事はなかった。

父はため息をついた。本当に鬱陶しいという感じで。

「何度も言っているだろう。カプセルスマホは悪魔の道具だ。あんなものに頼っていたら本当に人間は堕落してしまう。今にわかる。10年も神が裁きを下さなかったのが不思議なくらいだ」

父は首を振りながら頭を抱えた。ジャーナリストだ。時代遅れのPCで記事を書いていた。今時そんなことをして記事を書く人などいない。頭で「思う」だけで、アルフォンス社の巨大コンピュータシステムにアクセスでき、なんでも好きな情報を手に入れる事ができるのだ。

 父は焦っていた。日本でももうすぐAIに人権が付与される第一歩となる法案「コンピュータの唯一性等に関する法律」が可決される方向なのだ。一部識者の間で、肉体を捨て自らの脳内情報をすべてコンピュータに移行させて、ネットワーク空間の中だけですべてを完結させようという動きが加速していた。そんなに高くない費用を払えばメタ空間内でひとりの「人間」として生きていく事を保証されるのだ。

 ある者はそれを天国と呼んだ。ある者はそれを滅びのはじまりと捉えた。そして、今、天国と呼んでいる者の数の方が圧倒的に多い。

スマホとの融合に反対する父のジャーナリストとしての活動はアリがゾウにケンカを売るのと同じ事だった。しかし、父は諦めなかった。

 一方、娘のいちかは不便を感じていた。友達は皆カプセルスマホを買ってもらって「融合」を果たしていた。

「めちゃ便利だよ♪」

かなえは笑顔で言った。そういえばカプセルスマホで「融合」を果たしてからかなえとはしばらく会っていない。「融合者」は高校の履修内容がすべて詰まったデータを脳にDLすれば授業の受講が免除されるのだ。今クラスには融合していないのは私とあの家が貧乏な鈴木君だけだ。彼とふたりだけでの授業を思い出していちかも憂鬱なため息をついた。

 いちかは黙って部屋を飛び出し、自室のベッドに寝転がって「カプセルでない」不格好なスマホを見つめた。シンギュラリティ、シンギュラリティ。この10年何かいい事あっただろうか?いちかは目を閉じた。知らぬ間に眠ってしまった。

 次の日。いちかは只ならぬ重苦しい雰囲気を感じながら目を醒ました。なにかいつもと空気が違う。自室を出てリビングでいつもなら朝から記事の執筆をしているはずの父に「おはよう」とあいさつを交わそうとした。いちかは昨日父と言い争った事を忘れていたのだ。

 いつもなら父はコーヒーを飲みながらPCに文字を入力しているはずだった。その日は違った。ガタガタ震えながらPCの画面を眺めている。

「おそかった・・・」

父は何度も何度もそう呟いていた。PCの画面には衝撃的なインターネットのニュース記事が映し出されていた。

「速報!アルフォンス社製カプセルスマートフォンに不具合発生!全国で確認されているだけで1万人の意識不明者!!」

いちかはすぐにかなえにメッセージを送った。返事は当然、ない。

どうしたらいいのだろう?父はこれを予測していたというのか?いや、父でなくても何度も予測されていた事態だ。しかし、全国にはすでに融合者が7000万人いると言われている。こどもを除けば、人口の約90%。みんな死んじゃうの?いちかは急に恐ろしくなった。どうすればいいのだろうか?いちかも必死で自分のスマホでニュースの続報を追った・・・。

 かなえは不思議な感覚に陥っていた。フワフワとした意識。なんだ?これは。

「おめでとうございます!皆さんは選ばれた人たちだ」

 そこにはあのエリオット・バンがパチパチと拍手をしながら立っていた。人たち?よく見ると周りにはかなえの他にもたくさんの人がいた。

「なんだ?どうなってるんだ!」

 誰かが大きな声を上げた。エリオットはそれを無視して続けた。

「皆さんは先ほども言いましたが選ばれたのです。もう肉体の制約を受けない自由な身となったのです。脳内情報完全移行実験のモニターに選ばれたのです!」

え?じゃあ、私の身体は死んでしまうって事?かなえは直感でそう理解した。エリオットはニコッと笑ってかなえの方を見た。しかしその目は笑っていない。

「ご安心ください。お嬢さん。身体は『まだ』死んでいません」

『まだ』のフレーズを大げさに強調するエリオット。こいつ、性格悪いなって思おうと考えた瞬間にそう思うのを辞めた。どうやら、この空間では想念はすべてあのエリオットに筒抜けらしい。

「おいおい、困るぜ、エリオットさんよ!勝手にそんな事されちゃ!」

また、先ほどの誰かが大声で叫んだ。エリオットは虫か何かを見つるような蔑んだ目でその人を見つめながらニヤリと笑った。今度はちゃんと目が笑っている。

「あなた、カプセルスマートフォンを契約する時にちゃんと利用規約を読みましたか?あなたはそれに同意しましたよね?これはとても重要な事なので我が社の取り決めでは利用規約の同意を3回取り付ける決まりとなっておりますが・・・」

「ふざけるな!あんな長い文章読めるか!」

心の底からヤレヤレという表情でエリオットはその反論に反応した。

「なんのためのカプセルスマートフォンですかね?」

みな黙り込んだ。想念だけの世界で黙り込むというのは変だが黙り込んでしまったのだ。

「あなたたちはいったい何のために『融合』を果たしたのですか?その目的をよく考えてください」

エリオットは姿を消した。どうすればいいの私。いちか、助けて・・・。だが、かなえにはいちかに連絡を取るすべが無かった。

 居ても立っても居られず、いちかはかなえの家に走って向かった。父に車で送ってもらおうと思ったが放心していて無理だった。そりゃそうだ。自分が今まで目指していたことが一瞬にして水泡と化してしまったのだから。かなえの家は結構遠い。途中何度か休みながらぜーぜーと息を切り、30分かけて隣町のかなえの自宅にやっとの思いでたどり着いた。そこは大きなマンションだった。

 しかし、マンションの中にすら入ることは叶わなかった。おそらく管理人もマンションの住人もすべて意識を失っていると思われる。セキュリティレベルマックスのロック解除は不可能だった。

 いちかはマンション併設の公園のベンチに腰掛けて呼吸を整えた。そして不意に不安で涙が頬を伝った。シンギュラリティ、シンギュラリティ。いったいどうなっちゃうんだろうか?

祈るような思いでいちかはスマホの画面を見た。しかし、あいかわらずかなえからの返信メッセージは届いていなかった。このどうしようもなく救いようのない状況をどうすればいいのだろうか?あたしのように何もないちっぽけな女子高生に出来ることはなんだろうか?いちかは自問自答を続けた。しかし、頭は虚しく空回りするだけで何も思いつかなかった。仕方なく、いちかは帰宅する事にした。

 道すがら、往路も復路も誰にも出会わなかった。

 家のドアを開けた。そういえば父はどうしているだろうか?リビングには姿がなかった。あと家にある部屋はあたしの部屋と父の寝室。あたしは妙な胸騒ぎがした。

 シンギュラリティ、シンギュラリティ。あたしは父の寝室のドアノブに手をかけた。そのステンレススチール製のドアノブから手にひんやりと冷たい感覚が脳に伝わった。


『シンギュラリティ~特異点・にゃんこの日~』きくちしんいち(4075字)




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