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「よりよい生活」 渋皮ヨロイ

 夜のルーティンはぎりぎりになってしまった。寝巻姿には着替えていたものの、オムカレー30日チャレンジ動画を最後まで見通したせいだ。
 わたしはベッドに移動して、おやすみ体操を始める。スマートフォンから流れるガイド通りに身体を動かす。仰向けの状態で両膝をお腹に引き寄せる。手で抱え、左右にゆらりゆらりと揺れる。何度かくり返したあと、自転車こぎの要領で足を回転させる。全身がほんのり熱くなる。両手を広げて深呼吸で体操を終える。アプリを起動したまま、目を閉じる。動画と自転車のイメージが混ざり、自家発電機関としてのオムカレー、という謎の言葉が浮かんできた。

 たぶん、先に起きたのは意識よりも身体のほうだ。ともかく自然な目覚めが促される。マットレスの下にセットした装置が動き、ゆるやかな傾斜が生じた。このタイミングは就寝中のログを元に管理されている。
 スマートフォンを手に取り、どんな寝言をつぶやいたか確認する。意味をなさないものばかりだ。覚えている夢の内容を打ち込む。筋が通らなくてもキーワードだけ入れればいい。
「ヘリコプター プロペラがゼリー 空飛ぶ子供がかじる ソーダ味」

 それからおめざめ体操を始める。ベッドに寝転んだまま、両腕を左右にばたばたと振る。そのあと立ち上がり、身体を伸ばす。頭の上で両手を握り、大きく揺さぶる。大樹が風に揺れて葉を落とすように。いつも通りのセリフがなめらかな声で流れてくる。
 体操の間に、睡眠時の状況、つまり寝返りの回数やタイミング、いびきや寝言の記録、さらに夢の内容を統合して、一日の指針が計算される。
「本日、六月七日はなるべく早い時間に爪切りで気分をリフレッシュするといいでしょう。ラッキーアイテムはカカオたっぷりのチョコレートです」
 わたしは音声ガイドの言葉をくり返す。あとから文字でも確認できるけれど、口に出してしまう。空気が乾燥していたせいか、喉のあたりが強張っている。
 アドバイスは統計から割り出されたものだ。AIが膨大なデータから効果的なアイテムや行動を示してくれる。無理に実行しなくても構わない。それはそれでフィードバックされる。

「おめざめからおやすみまで健やかに。グッドチョイスでよりよい生活を」
 こんなうたい文句でPCPサポートサービスがスタートしたのは昨年の夏ごろだ。わたしは年明けから利用を始めた。今のところ、日々の生活は充実している。就寝と起床の時間を管理されているから身体に悪いはずがない。軽い運動も効果があるだろう。ラッキーアイテムがゴリラの指人形ってなに、とツッコミを入れたり、欲しくもないはずなのに仕事帰りに該当するグッズを探したり、占い的な指針も楽しんでいた。

 危険行為を指示すること、および特定企業の商品購入を促すことはない、と規約には書かれてあった。わたしはそれを半分以上は信じている。寝言以外の会話もすべて記録される、という噂をネットで見かけた。カルト的なものやマルチ商法的なものに引き寄せられる可能性もあり得る。そうした危うさを意識しながらも朝夜の体操を続ける。なるべくアドバイスに沿って過ごしたい、とも思う。部屋の一画に不要なラッキーアイテムが溜まっているけれど、それもあまり気にならない。
 何しろ、今のわたしは健康そのものなのだ。

 爪切りでリフレッシュ、というアドバイスだけれど、二日前に手入れしたばかりなので少しも伸びていない。一応、端の部分を軽くカットしてみる。ねっとりとしたカスがついていて、なかなか取れない。わずかにショックを受けるけれど、出勤前にケアできてよかった。予定外の作業に時間を取られた分、支度のペースを上げる。
 爪の処理が甘かったせいか、歩くと右足の親指のあたりが染みるように痛かったけれど、大事には至らなかった。昼間、出先でカカオ度数高め、GI値は低い高機能チョコレートを買った。それを一日かけて食べた。その旨はアプリで報告しておく。帰宅してからはまた別のチャレンジ動画を見る。この日は早めに切り上げて、おやすみ体操へスムーズに移行できた。

 朝のルーティン後、お湯で戻したハイパーフード豆ごはんミックスを食べているときに部屋が軽く揺れた。前兆を感じず、地震自体もすぐに収まった。落下物もなく、かつてのラッキーアイテムも無事だった。それでもテレビをつけて速報を確認する。やはり規模も大きさもたいしたことはなさそうだ。
 そのまま放っておいたら、占いコーナーが始まった。以前は習慣的にチェックしていたはずだけれど、そもそもテレビを見ることがなくなった。食事中もタブレットで動画を視聴するばかりだ。
 にぎやかな音に続き、ランキングが発表されていく。やぎ座は11位だった。ただ、ラッキーアイテムがキルト柄で、PCPサポートのアドバイスとかぶっていた。占いの順位が低いことに傷つきながらも、やたらとテンションが上がる。
 正確にはサポートのほうはクレイジーキルトの服、テレビではよりアバウトにキルト柄の素材、という指定だった。普段ならキルト柄は子供っぽくてまず選ばない。クレイジーキルトなんてどこに売っているのかもわからなかった。けれど、わたしは無性に興奮している。手に入れようと思うと胸が躍った。

 気分の昂ぶりは会社でも治まらなかった。頭の中では絶えずさまざまなキルト模様がちらつく。形状や色味を変えて浮かんでくる。午後から休みを取ることにした。周りの目とか後々の気まずさなども無視して、有給を使う。これほどの大胆さを発揮したのは社会人になって初めてだった。
 会社近くのショッピングモールへ向かう。職場からなるべく離れよう、という意識はあったのに我慢できなかった。駅に隣接した施設でまず目についたショップへ入った。店内をうろつき、キルト柄を求める。けれど、どこにもなかった。それっぽい生地も見かけなかった。同じように何軒か回ったところで、キルト柄の服がないか店員に尋ねる。
「それがものすごい人気で、なくなっちゃったんですよ」
 紫色のシャツを着た髪の短い女がひきつった笑顔で答える。テレビの影響力は今でもこんなに強いのか。多くのやぎ座の人が買い求めたのだろうか。占いとは別に、インフルエンサーがたまたま紹介したのだろうか。あるいは、PCPサポートの利用者がこぞって買い漁ったのか。

 誰があのサービスを利用しているのか、わたしはまるで知らない。周囲の人との会話にのぼることもなかった。どれくらい会員がいるんだろう。どれほどあのサービスを頼りにしているんだろう。自分と同じようにおやすみ体操で眠り、朝も身体を動かし、アドバイスに囚われているリアルな人の姿が想像できなかった。
 わたしは必死でキルト柄を探す。メンズ専門のショップにも入った。けれど成果は上がらない。あきらめて別の場所に移る。駅から駅を渡るように、ショッピングモールや百貨店を回る。それでも一つとして見つからなかった。世界からあらゆるキルトが消えてしまったみたいだった。

 日が暮れるまで動き回り、気力も体力も同時に尽きようとしていた。落胆しつつ最寄り駅まで戻る。構内にある期間限定のテナントショップのディスプレイにキルト柄を見つけたとき、胸がどきんと跳ねた。ただ、衣類や小物ではなくチョコレート菓子だ。派手にコーティングされたダイヤの形が箱の中に広がる。パッチワークのように、さまざまな色が敷き詰めてられていた。
 買うかどうか迷いが生じる。高機能チョコレートがラッキーアイテムだったばかりで、それが変に引っかかってしまう。痺れを切らした店員が商品の説明を始めてからも、わたしはしばらく固まっていた。店員は一言もキルトという単語を用いない。
 結局、一番種類が多いものを選んだ。店員と視線を合わせることができなかった。ギフト用だと装いたくて、ラッピングをお願いする。

 家に帰って、引きちぎるようにリボンをほどく。箱の中のチョコレートは照明の違いのせいか、店に並んでいたときよりも地味に見える。バターとカカオ、フルーツをたっぷり使った甘い香りが漂ってきた。真っ赤なダイヤを一つ手に取り、口へ運ぶ。甘さよりも先に酸っぱさを感じた。唾があふれ、舌で角を丸くするようにチョコレートを溶かしていく。すでにチャレンジ動画の続きを再生している。

 一切れだけではキルトもなにもないもんな。そんな思いをはっきりと声に出してから、二つ目のオレンジ色に手を伸ばす。先ほどのチョコよりも苦い。色と味が合っていないように感じるけれど、おいしさが少しずつ広がっていく。わたしはそれをゆっくりと味わう。
 テレビをつけた。チャンネルをいろいろ変えたけれど、夜の占いなんてやっていない。雪山をただ映すだけの画面と配信動画を交互に眺めながら、チョコレートを舌の上に乗せる。三つ目の深緑色はさらに苦い。味わう余裕もなく、すぐに飲み込む。

 テレビもタブレットも消して、寝るための準備を始める。薄手のパジャマを着ている途中、その場で軽く飛ぶ。やたらと時間をかけて着替える。それからおやすみ体操の一部をでたらめにやってみる。正式なルーティンの時間はあともう少しで、それが待ち遠しくてたまらなかった。
 音声ガイドもなく、適当に身体を揺らす。三半規管がおかしくなったような、定まらない動きになる。左右の肩の高さが狂っている。首も大きく傾いている。ターコイズ色の液体歯磨きを多めに口に含む。歯と舌を丁寧に磨きながらも体操を続ける。濡れた唇を何度も手の甲で拭う。ものさみしい気持ちが呼び起こされ、それはあっという間にわたしの身体から抜けていく。
 チョコの甘さと苦みが口の中以外のどこかに残ったまま、ようやく夜のルーティンに移る。背筋を伸ばし、ベッドに向かう。明日はもっとよい一日になりますように。祈りのような言葉をわたしは口にする。夢を見て、朝になれば、また新しいアドバイスが届く。

〈了〉


『よりよい生活』渋皮ヨロイ(4074字)




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