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「ちょっと未来のお店」 横山 睦(むつみ)

 平日の午後。目的地の駅で地下鉄を降りた。知り合いに出会うことを極度に恐れた俺はニット帽をカバンから取り出すと耳が半分程度隠れるように深く被った。四十歳になって今さらファッションのことはわからないがスーツ姿にニット帽は似合っているだろうか。他人から見て俺は不審者に該当しないだろうか。午前中は会社で働き、午後は半休を取った。一度帰宅して着替えてから目的地に向かえば良かっただろうか。いや、私服は俺だと特定されてしまう可能性がある。僅かな可能性さえ排除したい。私服に比べてスーツ姿は街に溶け込むと聞いたことがある。挙動不審な態度が周囲にバレないようにしなければならない。そもそも、この時間に家に帰れない。なぜなら家には妻が居るからだ。「会社はどうしたの?」と必ず聞かれてしまうだろう。嘘を言って誤魔化すことも出来るかもしれないが、こういう時の女のカンは鋭い。
 スマホに表示された【四番出口から徒歩一分】の画面をこっそりと確認する。この検索画面でさえ他人には絶対に見られたくない。俺がお金を払いサービスを受けるのだから堂々としていれば良いのかもしれないが、やはり恥ずかしい。この恥ずかしいという気持ちが俺を興奮させる。普段は隠して抑えているこの興奮を今日は思う存分に発散したい。お預けをされている日常を過ごしてきたのだから。念願のお店に辿り着くまでもうあと少し。四番出口を出てしばらく歩く。すると、お店が入った古びたビルがあった。検索画面に外観も載っていたのですぐにわかった。だが、すぐに中に入ることはしない。あえて俺は一度ビルの前を素通りした。あくまでも自然に、それでいてゆっくりと歩きながらビルの入口をチラッと確認する為に。目的のお店はビルの三階にある。【エレベーターで三階へ】と書かれた案内が見えた。なるほど、三階まではエレベーターで昇れば良いのか。それを確認するとすぐにビルから視線を外し、しばらく歩いた。電話が掛かってきたフリをしてスマホを耳に当てながら周りを見渡した。通行人はほとんど居ない。我ながら平日の午後を選んだことは正解だと思った。しかし早くしないと、このままでは学生の下校時間になってしまう。若い子どもたちに四十歳のオッサンがこの店に行く姿を見られたくない。悠長に大盛りご飯の昼飯を食べている場合ではなかった。このお腹いっぱいになり膨れ上がった腹を見られるのは恥ずかしい。不摂生な体は責められるだろうか。あぁ、ますます俺を興奮させる。通行人が居ないタイミングを見計らい、勇気を出してビルの中に入った。俺は急いでエレベーターのボタンを押した。エレベーターは三階で停まっていた。三階はお店がある階だ。まさか先客が居るのだろうか。お店の待合室で他の客と鉢合わせすることはとても気まずい。だが、もうここまで来た。もう後戻りは出来ないし、したくない。一階でエレベーターが着くまでの時間が長く感じた。ドキドキが止まらない。心臓の音が聞こえそうだった。エレベーターに乗るとすぐに閉のボタンを連打した。

「いらっしゃいませ」
「あっ、はい」
「ご予約はされていますか?」
「いや、していないです」
「かしこまりました。こちらの席へどうぞ」
 黒服のスタッフに案内され待合室の席に着いた。俺の他に客は居なかった。
「ご予約をされていなくて、今すぐにご案内が出来るコースですと三つありまして。まず一つ目が手錠を使ったコース。二つ目が縄と蝋燭を使ったコース。最後に三つ目が当店での全てのサービスが使えるスペシャルコースでございます。それぞれ金額がこのように変わっていきますがどのコースがよろしいでしょうか?」
 金額が書かれたメニュー表を見た。予算の範囲内だ。いや、こういうお店は初めてで相場がわからない為、財布に大金を入れてきたから心配はしていない。もちろん、俺の欲求を満たすことが出来るのはスペシャルコースの一択だ。だが、常連でもないのにいきなり「スペシャルコースで」というのは恥ずかしい。だから、ひとまず俺は黒服のスタッフにこう言った。
「おすすめのコースはあるんですか?」
 我ながら良い質問だと思った。もし、黒服のスタッフが最初にスペシャルコースを勧めてきた場合は「じゃあ、それで」と言えば良いし、一つ目の手錠を使ったコースを勧めてきた場合は、「手錠も良いんですけど縄と蝋燭も良さそうで迷うんですよ」と言えば、きっと両方のサービスが受けられるスペシャルコースを勧めてくるはずだ。
 だが、黒服のスタッフは想定外の言葉を言った。
「そうですね、今おすすめのコースはSFコースです」
「SF?」
 思わず聞き返した。SMの言い間違いや、俺の聞き間違いだと思った。
「はい、SFコースです」
 たしかに黒服のスタッフはそう言っている。あー、なるほど。わかったぞ。
「それは、スペシャルフルコースの略でSFってことですよね?」
「いいえ違います。サイエンスフィクションのSFです」
「えっ?」
 俺の頭は混乱した。一体どういうことだろうか。あー、なるほど。わかったぞ。
「それは、SFのゲームやアニメのコスプレっていう意味ですよね?」
「いいえ違います。日常を忘れて非日常のSFを体験していただけます」
「えっ?」
 何を言っているか俺には理解が出来ない。黒服のスタッフは冗談を言っているのだろうか。いや、不思議と冗談を言っているようには思えない。たしかに、俺がスマホでこの店を検索をした時も【ちょっと未来のお店】という言葉がキャッチフレーズのように書かれていた。てっきり俺は最新のアイテムやサービスが受けられるものだと勝手に解釈していたが、それがサイエンスフィクションのSFだと言うのだろうか。
「そのSFコースはどういうコースなんですか?」
 自分でも驚いた。俺は黒服のスタッフにSFコースの詳細を聞いていた。言葉では言い表せない、自分ではコントロールが効かないほど俺の興奮した体はSFコースを求めていた。
 俺の要望を受けて、黒服のスタッフは丁寧に説明をしてくれた。
「まず、お客様にはバイクのフルフェイスのヘルメットみたいな装置を頭に付けていただきます。あとはリラックスして仰向けになってベッドで寝ていただくのですが、そこでお客様には一つだけお願いがあるのです。寝ている時に自分が将来こうなりたいとか成功したイメージを抱いたまま寝ていただきたいのです。決して、失敗したりネガティブなイメージを抱かないでください」
「あー、なるほど。そのヘルメットがいわゆるVRの装置みたいになっているんですね。それで自分が成功したイメージを抱いて寝ると。もし、ネガティブなイメージを抱いて寝た場合はどうなるんですか?」
「それは教えられません。ネガティブなイメージを抱いて寝ないと約束してください。そうでないとSFコースはおすすめすることが出来ません」
 黒服のスタッフは真剣な表情で俺に念を押してきた。その鬼気迫る迫力に負けて、それ以上は聞けなかった。
 そして、俺はSFコースを選んだ。
 黒服のスタッフに案内されて俺はSFコースの施術室に入った。頭にヘルメットのような装置を付けてベッドに横になると、すぐに気持ち良くなって自分が眠くなっていることに気が付いた。
「頭に付けた装置が気持ち良いです」
「その装置は振動で適度な刺激が得られるようになっています。あとは、何度も言いますがポジティブなイメージを抱いて安心して眠りについてください。お時間が来ましたら起こさせていただきます。それでは、SFコースをお楽しみください」

「お客様……、お客様起きてください。お時間になりました」
「もう時間が来たんですね。あっという間でした」
 俺は頭に付けた装置を取ってもらいベッドから起き上がった。
「ぐっすりと寝られていましたから。体調はいかがでしょうか?」
「頭がスッキリしています。体も軽いです。たしかに疲れが取れている。正直に言うと最初はSFコースと聞いて胡散臭くて半信半疑だったんですけど、これは凄い」
「胡散臭いですか、あははっ」
 その黒服のスタッフの笑い方に違和感があったが、それよりも本当に疲れが取れていることの方が驚きだった。
「お客様の表情を見ていると寝ている時にネガティブなイメージを抱かなかったことがわかります。本当に良かったです」
 俺はお金を払うと堂々と店を出た。
 結局、SFコースでネガティブなイメージを抱いて寝た場合にどうなってしまうのか俺にはわからないままだった。
 そして、黒服のスタッフが他のスタッフから「店長」と呼ばれていることも、この店のSFコースの本当の意味も俺には知るよしもなかった。

「店長、さっきのお客さんからお金をぼったくって良いんですか?」
「ん?」
「ぶっちゃけSFコースって、ぼったくりじゃないですか。ヘルメットの装置もVRなんかじゃなくてただ目隠しをして頭皮マッサージをする機械だし、あとはお客さんがベッドで寝ているだけだし」
「人間の三大欲求って何か知ってる?」
「えー、難しいことを聞かれてもわかんないですよ」
「どれだけ科学技術が進んで便利な世の中になったとしても人間の三大欲求は昔から変わらないと言われてるんだよ。それはこれからの未来も」
「そうなんですか」
「現代人は働き過ぎなんだと思うよ。だから、この店ではゆっくり休める場所を提供してその対価でお金を払ってもらってるだけ」
「ふーん。あっ、三大欲求を思い出しました。食欲とか性欲ですよね」
「この店では悪夢にうなされることなく寝てもらって、イメージトレーニングみたいに良いイメージを持って寝ることによって、起きた時にスッキリしてもらいたいから。三大欲求のもう一つは睡眠欲」
「店長はSFコースをサイエンスフィクションって説明してましたけど、本当は違うじゃないですか」
「Sleep Firstの略。どの時代も、睡眠が一番なんだよ」   〈了〉


『ちょっと未来のお店』横山 睦(むつみ)  4033字


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