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「肌色の着ぐるみ」 梶原一郎

 正直どうかと思う商売だ。そう思いつつも、世間的には許されているのだから仕方がないと自分自身を説得する。手元のタブレットで私は受け取ったデータを改めて読み返して、会話の特徴や語尾のアクセント、時たま出る癖などを頭に叩き込む。そうして脳内でウォーミングアップして、呼吸を整える。頭と顎をスッポリと覆う様に専用の機器を装着して、目の前のパソコンのモニターを点ける。すると瞬く間にモニター上には、私とは似ても似つかない、優しい目つきで沢山の皺が刻まれたお爺さんの顔が姿を現した。このお爺さんは私がウインクをすれば同じ目でウインクするし、私がベロを出せば同じくベロを出す。喋りだせば一句一音違わず同じ言葉を喋るが、声だけは全く違う、年老いてしがわれた声になる。

 既に古風な技術になってしまったけど、アニメに出てくる様なキャラクターの3Dに自分の姿を被せて、好きな様に表情や台詞を発せられる技術が開発された。これはその超発展版。つまり、リアルに実在する人間に被せて会話が行えるようになった、長々しいネーミングは忘れてしまったけど、マスクと呼ばれている。ド直球に。マスクは限りなく精巧に、それこそデータが細かいほど目鼻立ちから皺の数、ホクロや痣、声帯までも要望に応じてどんな人間でも忠実に再現できる。こんな技術が一般企業にまで浸透しているから技術の進歩って恐ろしい。唯一の欠点と言えば、証明写真みたいな感じでバストアップまでしか再現できない事かな。私の仕事はこのマスクで亡くなった人を演じる事だ。

 勿論これは合法的なビジネス。数年前から急速に躍進していて、もうすぐ天に召されるかもしれないお爺さんお婆さんが、最後を迎える前に最愛の人ともう一度話したい、出会いたい、という思いを汲んで、このマスクで再現した故人とお話しできるサービスだ。売れてない役者としては、このバイトは我が意を得たりだった。在宅勤務出来るし、日給は飲食や清掃や工場で働くよりもずっと高い。何より演じる、という行為をこんな形ではあるが仕事で活かせるのが嬉しい。

 嬉々として昔話をし始めたり、涙を流して喜んでいるご老人達が故人じゃなく、話しているのは私という事に対する良心の呵責が度々起きているのを除けば。

 まぁ、もう三十人以上も相手していて呵責もクソもあるかって話だけど。上司の山口さんからは再三、役柄に入れ込むのは大事だし重要だけど、感情移入はほどほどに、あくまで仕事の一環で行っていると自覚しろと注意されているのもある。始めたての時は本当に大変だった。こんな形でも最愛の人と会えたお爺ちゃんお婆ちゃんが感涙するのを見るとこっちも感極まってしまって演技を忘れそうになる。

今はある程度、事務的に処理できるようになったから大丈夫だけど、まぁ……死んだ人の魂を弄っている気はするから良くはないわな。けど、もう大分稼がせてもらったし、この先未だ辞める気もないけど。と、モニター上部に山口さんからメッセージ。そろそろお客さんと接続するから準備して、と指示が入る。私は煩悩を断ち切るため頬を両手で叩いて気合を入れなおし、山口さんの合図と共に、今日のお客さんと向き合う。

接続して相手方のモニターに映ったのは、老眼鏡を掛けた知的な雰囲気を感じさせるお婆さんだ。薄い唇にすっと通った鼻立ち。見た所化粧もしてないけど奇麗な顔立ちで、多分若い頃は美人で皆から注目される様な人、に思える。外見の印象で想像するのも失礼だけど。いけない、仕事に集中しないと。私は頭の中で演じる役柄を復唱する。

依頼は、昔生き別れた旦那さんを、今の状態、もしも一緒に年を重ねていたとしたら、という体で話してみたい、という物だ。これは結構演じるのは難しそうだけど、実の所それほど大変でもない。相手方は私の演技云々以上に、最新技術でもう会えないと思っていた人に出会える時点である程度満足してしまうから、後はじっくり話を聞いてあげたり、適切なタイミングで相槌を打ってあげれば大抵上手くいく。だから悲しい話、私自身の技量ってより、この技術に、マスクに金が発生している訳だ。自虐していて空しいけど。実際、お婆さんは私の顔を見てポカンと口を開けている。そうそう、皆話には聞いていてその再現度に半信半疑だったりしても、実際に利用してみたらそのクオリティにこんな反応するんだよね。拝んでくる人さえいた。まぁ、言うなれば遺影が元気に話しかけてくるみたいなものだし。

お婆さんは感激で言葉が詰まっているのか、それとも慄いているのか言葉を発しない。安い値段じゃないから一分一秒でも会話しないともったいないのに。しばらく何とも言えない空気が流れて、私から話しかけようと名前を呼ぼうとした瞬間。

「……私、こんな顔だったのね」

えっ? お婆さんは目を細めて、少し声を震わせながらそう言った。あ、これもしかしたら結構闇深い案件? 私に伝えられているのは依頼された内容通りに演じ切るだけで、お客さんの過去だとかは守秘義務もあり教えられていない。だから、こっちから何があったか、どうして会いたかったのかを聞き出したりしたらまずい事になる。だけど。

「あぁ、良かった……。ありがとう、もういいの」

いや、良くない。大体、対面して三分も経っていない。本当に安い値段じゃないのに。だけどお婆さんはもう、良く分からないけど私、いや私じゃなくて私を通じた昔の自分の老いた姿? を見て満足そうに通話を切ろうとする。このままじゃ山口さんにさえ何言われるかわからない。私は慌てて、と言っても動揺を悟られないようにしつつ名前を呼ぶ。

「聡子、元気だったかい。また会えて嬉しいよ」

私の割と渾身の演技に、お婆さんはキョトンとした顔つきになると、何がおかしいのか笑いを堪えている様だった。何なのよこの人、急に意表を突くような事言ったり、と思えば笑いだしたり。今まで色んなお客さんを相手してきたけど、こんな愉快犯みたいな人初めてでこっちが翻弄されてしまう。悔しい。

「私、こんなに演技固いかしら……恥ずかしいわね」

みたいな、じゃない。この人……もしかして見抜いている? 言葉は悪いけど、ずっと対面してきたご老人が素直な、私が演じているなんて事を疑いもしない人たちだったから心底驚く。この人はボケてない。し、この商売がどういう物かを知ったうえで利用してるのかもしれない。

なら、私が今演じているこのお爺さんって、どんな事情かは窺い知れないけど、この人が若い頃に演じていた麗人か、それか元々男性だったのをわざわざ老けさせている姿だ。でも不思議だ。それなら普通、若い頃で再現したくなるのが人情なんじゃないのかな。なんにせよ変わった人だ。いつまでも気圧されているのも癪だから、きちんと仕事しないと。

「すまない、どうしても君の顔を見ていると上がってしまってね」

「もっとゆっくり、噛みしめる様に」

「手厳しいな……。けれど君らしいよ」

「昔の私ならもっと厳しいわ」

何なの、この人……。これ、自分で自分を説教してんのかな。まぁ、別にマスクをどう使おうが人の勝手ではあるけど、こんな風に利用する人は本当に初めてだから戸惑ってばかりだ。でも、良い経験なのかもしれない。これからもこの手の変な人に遭うかもしれないし。

お婆さん、というか聡子さんは私の顔を、いや、変に混乱してきたけど年を取った自分の顔をまたじっと見ながら、まだ利用時間は残っているのに満足げな口調でこう言った。

「……でも、良かった。忘れていたから。昔の、私の事。思い出せたから」

そうなんだ……。本当は、とても知りたい。なんでこの人がこんな事をしているのか。

昔、何があったのか。だけど聞けない。聞いちゃいけない決まりだ。山口さんからもっと通話伸ばせとメッセージが飛んできたけど、私は思案している。正直これ以上、会話を広げる自信がない。妙な薮を突いてしまいそうで。それに――――自分でも変な感情なんだけど聡子さんの前で下手な演技をし続けても、逆に失礼な気がしてきて。

「だから、ありがとう。満足した」

「いや、聡子。僕はもっと君と話したいよ。君が良ければ」

私がそう言うと、聡子さんは小さく首を横に振る。あぁ、やっぱり。やっぱり、全部見抜かれている。半人前未満な役者の私だけど、分かる。この人の前で、半端な演技は……出来ない。

「ごめんなさいね、試すような真似して。もしかして貴方の職業が違っていたら赤っ恥なんだけど……」

最後に伝えたい言葉、という趣で聡子さんは私の、いや、違う。モニター越しにいる『私』の目をまっすぐに見据えながらこう、言った。

「私の分まで貫いてください。演じる事を。お願いしますね」

そのまま聡子さんからの通信が切られた。淡い暗闇の中、私は茫然と目の前を眺めていた。これじゃ……これじゃあまるで、私が……騙されているみたいだ。お金を貰っている立場なのに、形無しってレベルじゃないな。途端、山口さんが堪え切れなかった様に全画面で通話をかけてきて余韻もクソも無い。

『岸田さん、何をされているのですか。まだ勤務時間内ですよ。料金分のサービスをしなければ給与を減額させて』

私は無言でパソコンごと電源を落とした。さん、なんて付けてるけど、ただ仕事を監視してるAIに今の私の心境も、聡子さんと私がどういうやり取りしたうえで会話を終えたのかも分からないくせに指図されたくない。

機器を取り外して、テーブルに置いた電子タバコを吸おうとしたけど、何となく居心地が悪くなって、口に咥えたけど外しておいた。聡子さんの顔が頭に浮かんで内にモヤモヤとしたものが渦巻いている。

……もう、この着ぐるみを着るのはやめようと、思った。無性に本物の紙巻煙草が吸いたい。私の給料じゃ買えないけど。

〈了〉


『肌色の着ぐるみ』梶原一郎(3971文字)


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