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「その目で触れて」 アオ

「斜視ですね」
 俺の目を診察した医師は開口一番にそう言った。
 暗闇の中で光を当てられて、目玉を検査されたからまだ変な感じがする。俺はまだチカチカする目を瞬かせながら、医師の顔を見た。
「視線制御が良く使われるようになってから、増えましたよ。昔からスマホ斜視はありましたけど」
 医師は何かをサラサラと書き込んでいる。俺はそれよりも、スマホが使えるようになるかが気になって仕方がなかった。最近、スマホが使えなくなってスマホを直しに行ったのだが、スマホは壊れていなかった。それどころか、販売員のお姉さんが
『眼科に行ってみてはいかがですか?』
 と言ってきたのだ。俺は意味が分からなかったものの、一緒に来ていた父はすぐに意味が分かったらしい。すぐさま予約してくれた。それで学校終わりに眼科に行くことになったわけだ。
 でも本当に目が悪いせいで、スマホが使えない……視線制御が出来ないなんて。
 視線制御、というのは視線だけで電子機器を操作することだ。二〇一〇年代から存在した技術らしいが、細やかな動きに対応していないことからあまり認識はされていなかった。それに当時、電子機器は手指で操作するものであったとのことだ。その頃俺は生まれていないから詳しいことは分からない。
 しかし伝染病が流行したことをきっかけに、人が同じものを触ることがタブーとなった。人に付着したウイルスが残存しないように、アルコール消毒することで当時は対応していたらしい。
 だが大手ホールディングスが、その研究で有名だった大学と大手電子機器メーカーと共に視線制御の本格的な開発に乗り出した。最初は飲食店やコンビニに設置されているタッチパネルを視線制御のできるパネル、通称アイパネルに変えていった。
 アイパネルは感染症対策になるということで爆発的にヒットした。タッチをする際の指紋が付かないこと、手指が使えない状況でも操作が出来たことは大いに歓迎された。飲食・医療・福祉・農業・漁業という、作業途中に手指が使えないことの多い業種はあっという間に普及した。
 特に、スマホと連動した腕時計型のアイパネルによって、腕時計を見る感覚でスマホを操作できるようになったのがアイパネル普及の決め手だったと聞いている。
「それとスマホが使えないことに、どのような関係があるんですか?」
 言われてみれば、物が見づらいかもしれないぐらいの違和感しかない。だからスマホが使えないことが不思議でしかなかった。
「斜視だと視線が少しずれるんです。左右の瞳を視線制御するにあたって位置登録するわけですが、視線がずれることで違うところをクリックしてしまうから使えなくなるんです」
 俺は半分ぐらいしか理解できなかった。
「なるほど……? あ、それだったら瞳の位置を登録しなおせばいいんじゃないですか」
 医師はこめかみを搔きながら、
「一時的にはそれで問題は解決しますが、斜視が進行するとまた位置登録し直さないといけなくなります。それに斜視が進行すると、物が見えづらくなってしまうので治療する必要があります」
「そうなんですか」
 つまり俺は暫くスマホが使えないし、治療をしなくてはいけないということらしい。
「とはいえ、アイパネルが使えないとなると不便なことも多いと思うのでアイパネルペンを使った方が良いですよ」
 医師は机の引き出しから、ペンを取り出した。机の上にはさっき目を診た大きな機械のほかには、本とパソコンなんかがあるだけで、随分と小ざっぱりしている。真っ白な壁に、床、白衣を着ている医師。病院にいるといつも居心地の悪さを感じる。
 尻をもぞもぞと動かしながら、俺は尋ねた。
「アイパネルペン?」
「こういう黒いペンです。使い方は昔で言う、タッチパネルペンと同じです。見たことありませんか」
 細長いペンを見て、俺は、
「それに小さなリモコンみたいな箱つけてるのは使ってる人、見たことあります」
 俺の友達の美住のことである。三住は二軒隣に住む、俺の幼馴染で、全盲だ。「ああ、音声補助機能付きのペンですね。恐らくその人は、耳に遠隔のイヤホンをつけているでしょう。それでどこをタッチするか誘導してくれるんですよ」
 確かに三住は千切れたうどんみたいなイヤホンをいつも付けている。音楽を聴くのが好きなのかな、なんて思っていたけど違ったのか。今日は驚くことばかりだ。
「そうだったんだ」
「昔からこの手のものはまだありますよ。まだタッチ式のものの需要はありますし。目の見えない方は使われる方が多いので、眼鏡屋さんにもに置いてありますよ。家電屋さんにもありますが、斜視矯正用の眼鏡を作ってもらった方が良いので。その時に買うといいかもしれません」
 俺がスマホを持つようになった頃には、アイパネルがタッチ式携帯の三倍の売上を出していた。だから俺はそれが当たり前だったし、不自由さも感じていなかった。旧文明はやはり不便だよな、ぐらいに思っていたというのに。今更、タッチ機能を使うだなんて。
「タッチ式の生活、めんどそう。それにばっちい」
 俺は思わずぼやいてしまった。それを聞いた医師は薄く微笑んで、
「そうかもしれませんね」
 と静かに言った。


 美住が点字ブロックを白杖でトントンと突きながら、駅前に来たのが向こうに見えた。
 ゆっくりとしているが、確かな足取りはまるで見えているかのようだ。美住自身も『うまいでしょ』と自信たっぷりに言っていただけはある。
「久しぶり、元気だった?」
 俺はまっすぐ俺の方に歩いてきていた美住に駆け寄る。美住はピタリと立ち止まって声を弾ませた。
「元気だよ。カラオケなんて久しぶりだから嬉しい」
「なんか歌いたくなってさ、昨日『マルまる』の新曲出たじゃん。あれをカラオケの機械に送信しようと思ってさ」
 だからカラオケ店のある駅前で集合にしたのだ。土曜の昼ということもあって、ロータリーの前は人が多い。そんなことを思っていると自販機が目に付いた。 
「あれ、何かポケットから取り出した? 財布じゃないよね、それ」
 美住は不思議そうに俺を見ながら、俺に問うた。美住の目は不思議だ、色んなものを見透かされているような気分になる。
「やっぱ分かる? 俺、斜視になってさ。それでアイパネルペン使ってんの」
 俺はアイパネルペンを使って缶コーヒーを注文し、腰の高さの受け取り口から取り出した。店で出てくる使いまわしのコップで飲むのが嫌だから、予め買っておくのだ。洗ってもウイルスは完全に落ちないとテレビでも散々やっていたから、使いまわしのコップを使う奴の方が少ないと思う。
 一々ペンを使うのは汚いと思うしめんどうくさいが、やはりこの生活に慣れてきたなと思う。
「ペン触らせてもらっていい?」
「別にいいけど」
 注文が終わった俺は、ペンを美住に渡す。人に渡すのは衛生上嫌だと思ったが、あとで拭くからいいかと気を取り直した。
 同じものを持っているだろうに。不思議に思っていたが、
「少し前の型なんだ……これ返すね」
 と美住は顔を綻ばせて言う。俺がポケットからウェットティッシュを取り出しつつ、ペンを受け取った時に、
「嬉しい……」
 目を俺に向けて美住は呟いた。それからすぐに慌てた様子で、
「あ、これは悠斗が斜視になって嬉しいって意味じゃなくて」
 と言った。美住は少し顔を赤らめて、言葉を探しているようだった。俺は美住に悪意がないことを知っているから、黙って先を待つ。
「ずっとアイパネルペン使ってるんだけど。同い年で使ってる人ってネットとか盲学校の人しかいなかったから」
 と小さな声で言った。ざわめきと車の音で掻き消されそうな声だ。
「ああ、そういう」
「もうそろそろ行こうか」
 美住がそう言って、道に足を踏み出したから俺は慌てて止めた。
「あぶない!」
 美住がドローンフットと衝突しそうになったからだ。
「ごめん、音がほとんどしないから気が付かなかった」
 ドローンフットはお掃除ロボットのような形をしたドローンの上に、椅子が付いているものだ。高齢者や足の悪い人が老人カーや車いすの代わりに使っている。『人々の足になる』がキャッチコピーだから『ドローンフット』。
 公道を走る大型のものは『ドローンバイク』といい、そっちは交通事故防止のためにエンジン音をわざとつけているが家の中や公共施設での使用を前提とされる『ドローンフット』はほぼ無音だ。
「まあ、気を取り直していこうぜ」
 俺は努めて明るく声を出し、カラオケ店に美住を誘導した。店内は薄暗く、流行りの曲が流れている。カラオケ店に来るとテンションが上がるから良い。何を歌おう、飲み物は持参してるから買わなくてもいいな。そんなことを思っていたら、
「マイク、あるかな」
 突然美住は言った。俺はのけぞりながら、
「あんなん唾飛ぶし、唾を吐きかけるようなもんじゃん。汚いからやめろって」
 と言った。今は透明なマスクをつけて、口の位置をAIが認識させ、部屋に備え付けの機械が音量を上げてくれるというのに。美住は俺を見ながら、
「マスクつけてたら殆ど唾は飛ばないし」
 と言い淀む。
「いや、あんなもんベタベタ触るのやばいって。唾飛んでなくても息はかかるじゃん。やばいよ」
「あの重みがいい。ずっしりしてて歌ってるって感じがして」
 俺は何を言ってるのか全然分からない。接触したところにウイルスが付着しているとか考えないのだろうか。美住は俺を見ながら寂し気にぽつぽつと喋る。
「目が見えないと、音声情報だけだと分からないことも多いんだ。手触りとか重さとか大きさ。手で触れるとここにあるって分かるし、落ち着くんだ。昔は色んなものを触れたっていう話を今日聞いて、それでマイクを使ってみたくて……」「汚い」
 俺は思わず呟いてしまった。まずいと思ったがもう遅い。美住は悲し気に瞳を揺らして目を逸らすと、
「そうだよね、ごめん」
 と笑いながら言った。俺も慌てて謝った。
「マイクなんて使わずに、いつも通りに歌おう」
 と言う美住に合わせて俺も笑う。いつもどおりふざけながら、一緒にコースを選んだ。
 でも俺は気が付いてしまった。美住が一度も俺の方を見ないことに。
 ああ、二度と美住は一緒に遊んでくれないんだろうな。


『その目で触れて』アオ(4136文字)


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