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「ラッキー・ガール」 橘省吾

 夕陽のさすファミレスで、乾拓郎は宇宙を見ていた。それは奥行きがなく、ブルーライトを発し、たまに照明を反射する宇宙だった。
 拓郎は親指でスマホの表面をフリックして、その二次元の宇宙の角度を変える。
 平日の夕方、ファーストフード店の店内は彼らと同じような手合いでほぼ満席だ。
「あのさ、不幸の星ってあると思う?」
 拓郎は、向かいの席でスマホのゲーム画面を必死にタップする親友・近藤宗助に聞いた。
「あ? タク、お前何いってんの」
 宗助はちらりと拓郎を見る。
「いや、よく言うじゃん。『あたしは不幸の星のもとに生まれてきたのね』って。そのことさ」
「センチメンタルだね~。さっそく今期の新作アニメにでも影響されたか?」
「違うよ。今期は二十作品に絞ってるけど、まだそんなセリフは一度も出てきてない」
「そりゃそうだ。二十世紀の発想だもんな」宗助はニヤリと笑う。「マジレスしてやるとだな、幸運も不運も、単なる個人の資質と行動に確率を掛け合わせた結果にしか過ぎないんだよ」
「そんなものか?」
「そんなものさ。ものごとってのは数学的かつ物理学的に考えるんだよ」
 一年まで同じクラスだったが、今となっては理系に進んだ宗助は得意げに鼻を鳴らす。
「俺たちに彼女ができないのも、単なる個人の資質と行動に確率を掛け合わせた結果なのか?」
「……それはいうな」
 宗助は唇を噛んだ。
 拓郎はストローを加え、残りのアイスコーヒーを吸い上げた。コーヒーが底をついた音がズズズと拓郎の耳朶を打つ。
 ふと遠くの席を見ると、そこには速水彩(さやか)がいた。一緒にいるのは彼氏だと噂されている氷室純だ。さやかは二年で拓郎と同じクラス。氷室は三年。美男美女のカップルとして校内でも噂の二人だ。
 拓郎の眼鏡越しに見える彩は、全身がほんのり赤味の強いオレンジ色に発色して見えた。拓郎の心臓は音が聞こえるくらい心拍数を上げている。それは拓郎が彩に惚れているからだけではない。
 彩と氷室にすまし顔で近づいてくるウェイトレス。だがその手が滑った拍子に、トレイの上にあるコップの水が宙へ飛び、盛大に彩に引っかかった。慌てて謝るウェイトレス。彩の髪や制服を優しくハンカチで拭いてやる氷室。
「確かに……」
 赤く色づいた彩を見て拓郎は確信していた。

 一週間前のこと。
 拓郎は呼び出されて祖父・三宅佐武郎の研究所に行った。墨書された「三宅佐武郎科学研究所」の看板こそ掛けられているものの、それは研究所とは名ばかりの、廃屋同然のあばら屋だった。
 錆びついたドアノブを回して押すと、軋みながらドアが開く。
 恐る恐る薄暗い部屋の中に入り、照明を点ける。
 世界が闇から光に反転すると、ソファに人が倒れていた。
「わっ」拓郎の心臓は飛び上がった。「じ、じいちゃん?」
 祖父の三宅佐武郎だった。
 佐武郎はむにゃむにゃと目を擦りながら大きな欠伸をする。
「なんだ。拓郎か」
「人を呼び出しといてその言い草はないだろ」
「すまんすまん。働き詰めじゃったからのう」佐武郎は頭をボリボリとかく。
「ウッ」拓郎の鼻を異臭がついた。「まったく……風呂入ってんのかよ」
「入っとるぞぅ。四日前にのう」
 佐武郎はまだ六十を過ぎたばかりだというのに、おとぎ話に出てくるお爺さんのような話し方をして悦に入る癖があった。
「で、用ってのは?」
「今日はお前にいいもんをやろうと思ってな」
 年金生活者であることを盾にお年玉もろくにくれない佐武郎のいう「いいもん」はいつも当てにならなかった。
 佐武郎は作業台の上にある、何の変哲もない眼鏡を手にした。
「じゃーん。ワシが昼も寝ないで発明した『フォーチュングラス』じゃ」
 カカカと笑う佐武郎。
 拓郎はため息をついた。
「なんだ、スマートグラスか」
 最近徐々にいろいろなメーカーから発売されるようになったスマートグラスだが、まだ往年のスマートフォンほどの人気には至っておらず、拓郎もユーチューバーの新製品レビューで見たことがある程度だった。
「そんじょそこらの製品と一緒にするでない。これはな、人の運勢を可視化できる逸品なんじゃよ」
 佐武郎は眼鏡を拓郎に手渡した。
「ちょっと掛けてみい」
 拓郎は言われるままに眼鏡を掛ける。
「ワシは何色に見える?」
 拓郎の視線の先には、青く光る佐武郎の姿がある。
「青っぽい……かな」
「ふむ、悪くないの」
 デスクの電話がなる。電話に出た佐武郎は「うむ、分かった」というと拓郎の方を見てニヤリと笑った。
「晩飯の時間じゃ。今日はワシの大好物のうなぎの蒲焼きじゃ」
「偶然なんじゃないの」
「たわけ。いいか、青は『ラッキー』、黄色は『注意』、そして赤は『危険』じゃ。よく覚えておくんじゃな」
「信号かよ」
「覚えやすいじゃろ」
 佐武郎はもう一度、カカカと笑った。

 それから拓郎は学校や家庭でいろいろな人間を観察して、フォーチュングラスの機能が佐武郎の世迷言でないことを実感した。さらに親友の宗助を見ているうちにある法則性を見つけた。いいことと悪いことはほぼ交代でやってくるという、巷間よく言われるアレだ。
 拓郎の観察の目は必然的に、彩にも向けられていた。もちろん四六時中監視し続けるわけには行かないが、彩の運勢にも宗助と同様の循環性が確認された。
 拓郎は、ひとつの作戦を思いついた。
 彩の全身が赤色になったときを見計らい、彼女の後を着けたのだ。
 予想どおり彩にはさまざまな不運が訪れたが、その度に拓郎は身を挺して彼女を危険から護った。たとえば車に轢かれそうになったり、スリに遭いそうになったり、果ては鳩のフンが落ちてきそうになったり食中毒になりそうになったり。
 そんなことが続くうちに、拓郎は彩が自分に向ける視線が次第に変わってきているのを感じるようになった。

 ある日の放課後。彩と二人きりになったタイミングを見計らって、拓郎は思い切って聞いてみた。
「あのさ、速水」
「うん?」
「氷室さんとはうまく行ってんの」
「ずいぶん立ち入ったこと聞くじゃない。気になる?」
「いや、最近あまり一緒にいないな、と思って」
 実は最近、彩が氷室と酷い喧嘩別れをしたという噂が流れていた。
「うまく行くも何も……もともとそんなんじゃないし」
 彩は少し潤んだ目でいう。
 拓郎は目の前が一気に開けたような気がした。ツキが巡って来たということか。きっとフォーチュングラス越しに見れば自分は青く輝いているだろう。
 彩の視線がじっとこちらを捉える。
「ところでさ、乾」
 拓郎の心臓がどきりとした。
「最近あたしの周りでよく見かけるけど」
 彩は目を拭いながらいう。
 拓郎はごくりと唾を飲む。
「もしかして、あたしのこと……」
「え?」
「今度の休み、暇?」
 ふふっと笑う彩。
 拓郎は心の中でガッツポーズをした。体の奥から力が漲ってくる。きっと今の自分をグラス越しに見れば、サファイアのように青く輝いているに違いない。

 天にも登る気持ちで帰宅した拓郎を、慌てた顔の母が出迎えた。
 佐武郎が倒れたのだ。
 母によれば佐武郎は一命は取り留めたものの、意識不明の状態が続いているとのことだった。
 拓郎は自分の机の引き出しから封筒を取り出した。自分に万が一のことがあったら開くように、と言って佐武郎が託したものだ。
 封を開けると、そこには記号と数字の入り混じった文字列が手書きで書かれていた。
 小一時間考えを巡らせた後、拓郎は佐武郎の研究室に向かった。拓郎は佐武郎が普段決して触らせなかったパソコンの電源を入れ、ログイン用のパスコードの欄にメモの文字列を打ち込んだ。
「ビンゴ!」
 パソコンの画面がデスクトップに切り替わる。そこには「フォーチュングラス ファームウェアバージョンアップ用」という名前のフォルダがあり、さらにその中には実行ファイルが入っていた。
 拓郎はフォーチュングラスを外し、パソコンにケーブルで繋いでファイルを実行した。バージョンアップは七分で完了した。処理後にフォーチュングラスが起動したが、掛けてみても何も変化したようには見えない。
 と、拓郎はデスクトップにある「フォーチュングラス readme.txt」というファイルに気づいた。
 開いてみると「ver.1.4 残量値表示の実装」とある。
「そんなとこで何してるの。ご飯よ」
 母だった。その頭上には謎の数列が浮かんでいる。
 57万8201。
 拓郎には初めその数字の意味が分からなかった。が、父から電話があり、臨時でボーナスが入ったとの一報に母が喜んだとき、数値がいくらか減少した。
「残量値……」
 拓郎はつぶやいた。

 翌日、早めに家を出た拓郎の目に映ったのは奇妙な光景だった。会う人間すべての頭上に、母と同じく数値が並んでいる。数値は人ぞれぞれに大きく違い。常に細かく変動している。
 教室に入っても同じだった。クラスメートの頭上には天使の輪のように(奴らは決して天使なんかじゃないが)数値が浮かんでいる。
 拓郎はハッとして彩を見た。彩は仲良しグループの連中と一緒にスマホの画面を見ている。その数値は80万0637。他のクラスメートたちが余裕で200万を超えている中、明らかに少ない。
「やった! 当たった~」
 彩が友達と一緒にはしゃぎ出した。
 どうやら一番くじでレアものに当たったらしい。異様な熱気がグループを包んでいる。
 と、彩の頭の上の数値が一気に減少し始め、残りは70万を切ってしまった。
「……!」
 試しに拓郎は宗助に頼んで、昼休みに彩の弁当から卵焼きを横取りしてもらった。
「ちょっ、何すんのよ」
「へへへ、悪い悪い」
 そうすると彩の数値がわずかながら回復した。
 やっぱりそうだ。
 人間はいいことと悪いことが両方起きることによって運勢のバランスをとっているのだとしたら……。だとすれば、これまで自分がグラスの力で彩のためにやって来たことは、彼女の残りの運を一方的に減少させていたことになる。彩の数値がなぜ他の人間より格段に少ないのかを理解した拓郎は、思わず身震いした。

 運の尽きた人間に何が起きるのか?

 悩みに悩んだ拓郎は、彩とのデートの約束をすっぽかしたのを始め、ありとあらゆる嫌がらせを始めた。もちろん彩には嫌われ、学校の教師からは呼び出されて説教を喰らい、最後には彩とヨリを戻した氷室から顔面パンチを頂くというオマケまでついたが、彩の頭上では数値が着実にカウントアップしていった。

 以来、拓郎は彩の顔を見ることができなくなった。
(それで、いいんだ……)
 拓郎は自分に言い聞かせた。
 散々な目に遭った自分も、その分これからはいいことがやってくるに違いない。
 学校中の生徒・教師の頭上にある数値がぼやける。
 フォーチュングラスを外して上を向くと、拓郎の目尻からひとしずくの涙が伝い落ちていった。(了)


『ラッキー・ガール』橘省吾(4288字)

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