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「空には散り雲ひとつなく」 海善紙葉(かいぜん しよう)

 三年に一度のメンテナンスの季節がやってきた。朝からそわそわしながら、県庁からの使者を待っていたわたしは、まだおばあちゃんが泣いているのをみて、
「一週間、たった一週間だけ……その間、あたしがそばに居るし」
と、慰めてばかりいた。
 けれど、おばあちゃんは泣きやまない。
 いや、泣いているのかいないのか、わからないぐらいに皺だらけの顔の鼻のあたりのへこんだところに泪のしずくが滲んでいた。
「ケンちゃんがいないと……」
 おばあちゃんは言う。
 受け答えははっきりしていて、どちらかといえば、このわたしのほうが、最近とみに物忘れがひどくなった。
 ケンちゃん……はAI介護ロボだが、旧タイプなので、新機能を装填させるための定期検診のようなもので、どうやら事前に提出していたおばあちゃんの初恋の人の肖像をモデルに顔も造り変えるらしい。そのことを丁寧に丁寧にわたしが告げても、
「いまのケンちゃんでいいよぉ」
と、おばあちゃんはダダをこねる。
「……でもね、このケンちゃん、お空は飛べないでしょ? 新しいケンちゃんはね、ドローン機能内蔵でさ、10キロ以内ならおばあちゃんを持ち上げて飛んで運んでくれるって、ね、聴いてる? わたしの言ってること、ちゃんと、伝わってる?」

 何度も何度も言ったけれど、おばあちゃんは、皺くちゃの顔のいたるところに泪のしずくを垂らしている。
「ね、ね、泣かないで、泣かないで!」
「別れたくないよぉ」
「だ、か、ら、一週間、たった一週間で、新しいケンちゃんが来てくれるの」
「いまのがいいよぉ」
「うん、そうだね、わかるよ、わかる……でも、ほら、人間と同じで、たまには健康診断しなくっちゃいけないでしょ? 病院でみてもらわなくっちゃ、ね、ね、そういうことなの、ね」
「・・・・・・・・」

 きっとおばあちゃんはそれなりに理解しているのだとおもう。それなりに分かっているのだ、たぶん。
 ただ……一週間という時間の感覚が、とうやら薄れてきているのかもしれないけれど……。

※※

 県庁からの使者は……ドローンだ。庭に着陸すると、ポンと音がして、モニターがギィギィと持ち上がった。
『おひさしぶりです……おばあちゃん、お元気ですかぁ?』
 モニターの画面には、県庁の〈超々高齢者支援室〉の室長の前沢さんがニコニコしている。
『おや、顔の色艶もすごく良くなったようですね……なんだか、若返ったみたいですぅ』
「あ、の、ね、……それ、わたしです! そちらの画面に映っているのは!」
『ひゃあ……た、たいへん、失礼いたしましたぁ』

 ま、こんなことはタビタビだから、いまさら怒っても仕方ない。今年90歳になるわたしは、いわゆる“卒寿”。ソツジュ、といえば聴こえはいいが、おばあちゃんよりわたしの健康問題のほうが不安だ。
 人生百三十年時代だから、134歳のおばあちゃんは、県庁のプロジェクト責任者の前沢さんだけでなく、
『なんとしても、150歳をめざしましょうね』
と、口を揃えて激励してくれる。
 なんでも、その目標を達成すれば、わたしたち家族だけでなく、県にも国から特別補助金がおりるらしいから、いまは文字どおり“県をあげて”支援してくれているのだ。

「おばあちゃんより、わたしのほうが心配なのよ……前沢さん、なんとかしてよ」
『またまたぁ、もう、冗談がお上手ですねぇ』
「ケンちゃん……って、ほんとに飛べるようになるのかしら?」
『もちろんです……もういまは、なんでもかんでもドローンですからね。ドローンがなきゃ、県民の暮らしも成り立たなくなりますからっ』

 いきなり評論家口調になった前沢さんは、モニターの向こうで、しきりにうなづいている。
 確かにそのとおりだ。
 こんな片田舎でも、朝から晩まで、夜更から夜明けまで、のべつまくなしにドローンが飛んでいる。物流だけでなく、農作物の水やり、農薬散布から収穫、防犯警備、治安維持、教育補助、通信放送、地質調査、火事消火……まで、ドローンはいろんなシーンでお役立ちだ。
 だから新しいケンちゃんにドローン機能を追加するのではなく、むしろ、ドローンがケンちゃんの役割を果たすのだろう。そんなことを考えていると、
『あ、ケンちゃんを回収しますから、目の前に来させてください。回収操作はこちらでやりますので……』
と、前沢さんからせっつかれてしまった。
 苦笑いしつつ、わたしはケンちゃんを呼んだ。
 大声で名を呼ぶと、シャキシャキとこちらに歩いてくる。2メールを超える身長で、両脚両手がついたヒューマノイドタイプ。せっせとおばあちゃんの身の回りの世話から家事、診療補助、投薬管理までやってくれた。昼間は働きに出かけなければならないわたしにとっては、大助かりで、いまではケンちゃんがいないとわたしもなにもできない。
 だからこれからの一週間は、本心は、気が気でならないのだ。物忘れがひどくなったわたしが、マニュアル通りにおばあちゃんを介護できるのか……その懸念を前沢さんにストレートに伝えた。

『はいはい、ご心配なのはよくわかります。みなさん、同じですから……これからの一週間、一日五回、ドローンをそちらに飛ばしますし、24時間、村民回線をオープンにしておきます。食事は二人分お届けしますし、ご安心ください……』

 前沢さんがそう断言してくれたので、幾分、気持ちがラクになった。ケンちゃんにお別れを……と、おばあちゃんを振り返ると、スヤスヤと気持ちよさそうにまどろんでいた。
 ならば今のうちに……と、わたしはケンちゃんと握手を交し、ドローンが運んでいく空を見上げた。
 散り雲ひとつない真っ青な空を無数のドローンが飛び交っている……。

※※※

 わたしの両親はすでに逝った。百歳近くまで生きたので、これも寿命だとおもった。けれども里人たちからのわたしへの風当たりは予想だにできないほど激しかった。
『ちゃんと世話してやらないからだ……』といった批判は甘んじて受けるにしても、90歳にならないと年金も支給されない時代なのだから、わたしは歯を食いしばってでも働かざるを得なかったのだ。
 婚期を逃し、伴侶もいない。
 県庁の婚姻マッチング支援課から再三登録を勧められたのだけれど、後回しにしておいたら、この年齢になってしまった。
 けれど後悔はしていない。
 だって、わたしはわたしなのだから、他人にとやかく言われる筋合いはない。

 新しいケンちゃんがやってきた……その前夜、おばあちゃんは息を引き取った。
 わたしにしてみれば大往生だとおもう。
 そのまま眠るようにして逝けたのは、それはそれで本当によかったとおもった。
 けれど、前沢さんは渋面を崩さない。
 ドローンではなく、単身、自動操縦カーでやってきた前沢さんは、両の肩を落とし、
「はぁ、ひぃ、ふぅぅ……へぇぇ」
と、何度も何度もため息を吐いた。
 県をあげてのバックアップ体制の責任者でもある前沢さんにしてみれば、なんとしても、あと一年、もう一年、さらに一年……と、県内最長寿記録を更新させたかったにちがいない。そんな気鬱の前沢さんをみて、こちらからはなにも声をかけてあげられなかった。
 結局、支援てなんだろうと、ふと、そんなことを考えた。
 物心両面でサポートしてくれるのは、なによりもありがたいことだけれど、無理やり寿命をのばすことが、本人にとってはどうなのだろう。ありがた迷惑な部分もあったのではないだろうか。
 おばあちゃんが、新しいケンちゃんへの交換を嫌がっていたのは、もしかすればそんな気持ちの芯からするりと抜け出たものだったかもしれない。
 ガラにもなくそんなことを考えた。
 その日は前沢さんとはほとんど言葉を交わさなかった、交わせなかった。
 県庁から大勢の人がやってきて、おばあちゃんの葬儀を手伝ってくれた。
 報道各社のドローンも飛んできて、
『なにか一言……』
と、モニター越しにマイクを突きつけられたけれど、傲慢にもわたしは何も言わずにジロリと睨んでやった。それがわたしにできる精一杯の反抗で、まさかこんな九十婆の素顔を全国にさらすことなど恥ずかしくて、せつなくてしかたないのだった。
 それでもひっきりなしに空から弔問ドローンがやってくる。
 現金、小切手、お花、果物、日用品などを、空からポイと捨て落とすかのように次から次へ、空から空へ、ビュンビュン、ドタンバタッとやってきた。
 見る間に狭い庭が、箱や花や袋で山積みになった。
 このまま放っておけば、おそらく、数日後には、清掃・駆除ドローンが空からやってきて片付けていくのだろう。
 そんなことを考えていると、新しいケンちゃんをそのままにしておいたことに気づいた。おばあちゃんの指紋と顔の皺紋と声紋を入力していないままだった。
(あっ、そうだ!)
 いいことを思いついた。
 わたしのいろんな“紋”を入力すれば、これからこのケンちゃんと一緒に暮らせる……。
(ひゃあほぉい!)
 わたしは飛び上がらんばかりに喜んだ。この思いつき……は、あるいは、おばあちゃんからの贈り物なのかも知れない……。そんなふうにおもった、おもえた、考えた。
 きっと前沢さんは驚き、怒り、そして返却を求めてくるにちがいない。あるいは警察が窃盗容疑で逮捕しにくるかもしれないけれど、その前にケンちゃんと一緒に逃げればいいのだ。
 いや、逃げるのでなく、前に進むのだ。
 これは、旅なのだ。
 卒寿を迎えるわたしの旅立ち……。

 決めた、やった、これからが、わたしの人生……。
 さあ、気持ちを新たに歩きはじめよう。
 ケンちゃんに支えてもらって、空を飛ぼう。
 まだ90歳だ……人生の実りの時期はこれからなのだから。
 わたしは決断し、すばやく行動にうつした。
 空には雲はない。
 その代わりにドローンが雲の切れ端のようにつながって見える。
 わたしの前に道はない。
 わたしの後ろには……官警ドローンがいっぱい。

( 了 )


『空には散り雲ひとつなく』海善紙葉(かいぜん しよう)4010字


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