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「ハナユとゆず」 横山 睦(むつみ)

「……趣味?」

 目の前に座る相手から聞かれて、僕は返事に困った。

「サトシの趣味はマンガを書くことだよ」

「おいっ、それ以上は余計なことを言うなよ」

 僕の隣に座る友人タケオを止めようとしたが無駄だった。

「サトシは昔、何とかっていう賞も取ったことあるんだぜ」

「えー! サトシさん凄いですね! 何の賞ですか?」

 居酒屋で目の前に座る今日初めて出会った女の子も、それまで出会った女の子たちと同じだと思った。

 まず僕に対して、まるで有名人に出会ったかのような反応をする。そして、どういう賞を受賞したのか、世間で有名な賞なのかどうかを聞いてくる。

「雑誌の『ハナユ』に掲載されたんだっけ? 俺の自慢の友達だから」

 タケオは毎回「俺の自慢の友達だから」と言う。それを言えば許されると思っているのだろうか。もうそろそろ僕のマンガを話のダシに使うことはやめてほしい。

「ハナユって少女漫画の雑誌『花ゆ』ですか?」と、女の子が僕に質問をしてきた。

 この世界には2種類の女の子がいる。雑誌『花ゆ』を知っている女の子と、知らない女の子。知っている女の子を期待させてガッカリさせてしまう。なぜなら、僕のマンガが掲載されたのはそこではないから。

「いや、その少女漫画の雑誌『花ゆ』じゃなくて、僕が新人賞を取って掲載されたのは季刊誌の『ハナユとゆず』っていう小規模な雑誌なんだよね。メジャーじゃなくてインディーって言うか、メインカルチャーじゃなくてサブカルチャーと言うか、だから普通の人は『ハナユとゆず』を知らなくて当然で。それを自慢みたいに言われてもリアクションに困っちゃうよね……」

「それでも、受賞するって俺は凄いと思うぜ」

 タケオがこう言ってくれることも、いつもと同じ。僕があまりにも謙遜するものだから、「選考で推してくれた人に失礼だぜ」といつも言う。

 本当は僕だって、賞に大きいも小さいも無いと思っている。でも現実として世間の評価は違う。悔しいほどに全く違う。

 この後の、今まで出会った女の子たちのリアクションもだいたい同じ。タケオに同調して、「小さい賞でも受賞するって凄いです」みたいなことを言う。それが本音だろうと建前のお世辞だろうと、それで僕が浮かれることはない。

「じゃあ、私は『普通の人』じゃないかもしれないです」

 目の前に座る、先程の笑顔が可愛い女の子が言った。

「……どういうこと?」

 僕は自分の耳を疑った。初めてのリアクションに聞き返していた。

「私、雑誌の『ハナユとゆず』を知っています」

「嘘でしょ? マジで?」

「サトシさんはハナユ派ですか? ゆず派ですか?」

「あっ、ガチで知っている人の反応だ!」

 この世界には『ハナユとゆず』を知っている女の子がいた。

「ちょっと待ってくれ。俺にはハナユ派って言われても全くわからん」

 会話に置いていかれそうになったタケオが説明を求めていた。

「公式にはハナユ派とゆず派に分かれていないんだけど、ファンの間で言われていて。えーと、どう説明したら良いのかなぁ」

 僕が説明に戸惑っていると、僕の代わりに女の子が説明してくれた。

「タケオさんは果物のゆずは知ってますか?」

「ハルカちゃん、さすがに果物のゆずは俺でも知ってるよ」

 初めて僕は目の前に座る女の子の名前を知った。最初に自己紹介をしたかもしれないけれど、この飲み会も女の子にも興味がなかったので僕の頭に入っていなかった。

「じゃあ、果物のハナユは知ってますか?」

「えっ、ハナユ? 果物にハナユなんてあるの?」

 タケオはお手本のような良いリアクションをすると思った。

「ハナユはゆずの品種の1つなんです。一才ゆず、花ゆずと言ったりもします」

「へぇー、初めて知った。それでハナユ派とゆず派ってどういうこと?」

「それはですねー」ハルカちゃんがタケオに丁寧に説明をしていた。

 僕が好きなのは、ゆず派。でも、ハナユ派が嫌いではない。派閥で対立しているわけでもない。個人の好みの問題だと思うから。

「……ハルカちゃんは、どこで『ハナユとゆず』を知ったの?」

 大袈裟なことを言えば、知らなくても生きていける。でも、知っていたら少しだけ人生が豊かになる。僕はそう思っている。

「風の便りです」

「なるほど」

 言い得て妙だと思って、僕は感心すらしてしまった。

「タケオさんに質問してもいいですか?」

「サトシじゃなくて俺に? ハルカちゃんからの質問なら何でも答えるよ」

「『ハナユとゆず』を購入したことはありますか?」

「そう言われてみたら、サトシから借りて読んだことはあるけど自分で買ったことはないなぁ。ぶっちゃけ、どこで売ってるのかも知らない。普通の本屋で売ってる?」

 普通って何だろうと思った。たぶん、タケオの反応が普通なんだと思う。では、僕とハルカちゃんがやっぱり普通ではないのだろうか。

「私は『ハナユとゆず』が好きなので、無くなったら悲しいです」

「えっ、無くなることなんてあるの?」

 タケオは無頓着と言うか、正直な性格の持ち主だった。

「いや、それはあるだろ。例えば、赤字だったらそれは健全な経営とは言えない。それだと長くは続かない。人の善意に頼っているだけだといつか限界が来るから」

「続けるって難しいことなんだなぁ。サトシはマンガを書くことをずっと続けているからすげぇな!」

 単純に褒めてくれたんだと思う。そこに悪意は無いとわかっていても、なぜだか僕はムカついた。どんな想いで今まで続けてきたか。筆を折ることなく書き続けてきたか。

 ハナユは植えた1年目から開花し、多量の実がなる。

 ゆずは種子を蒔いてから収穫までに、5年から15年かかる。

 2022年に『ハナユとゆず』が創刊され、僕のマンガが掲載された。

 すぐに脚光を浴びて、華々しく才能が開花するはずだった。

 あれから10年が経った今、僕が蒔いた種子は実をつけただろうか。

「今度は、サトシさんに質問してもいいですか?」

「どうぞ」

「失礼な質問になるかもしれないんですけど、どうしても聞きたいことがあるのでいいですか?」

 僕は目の前に座るハルカちゃんを見た。真剣な目をしていた。冷やかしや悪ふざけで言おうとしているのではないことがわかった。だから僕は「どんな質問でもOKだよ」と答えた。

「マンガ家って世の中にたくさん存在するじゃないですか。どうしてマンガ家になりたいと思ったんですか? それってサトシさんあなたがやらないといけないことなんですか?」

「なかなかキツイことを言うね」

「ごめんなさい」

「いや、直球の質問で少し戸惑っただけ」

 僕は少し考えた。ハルカちゃんとは初対面だ。それらしいことを適当に言って、はぐらかすことも出来ただろう。意地悪な質問には、揚げ足を取って意地悪な質問で言い返すことも出来たかもしれない。でも、真摯に答えようと思った。自分の気持ちに嘘をつきたくなかったから。

「僕じゃないとダメだとは思ってないよ。僕にしか書けないものがあるとも思ってないし。だってさ、僕が思いついたアイディアなんて世界中の誰かがもうすでに考えたことがあるものだと思うよ」

「じゃあ、どうして書いてるんですか?」

「僕が書きたいから。自分でやりたいから。これが理由じゃダメかなぁ?」

「……シンプルですね」

「うん、そうだよ。誰もが認めるような立派な理由がないとやっちゃダメなの?」

「そんなことないですけど……」

「一度きりの人生なんだよ。自分の好きなことをやりたいじゃん! あっ、そういう意味では僕じゃないとダメだね。だって僕の人生だから」

 僕の言葉を聞いたハルカちゃんは微笑んでいた。そして、興味深いことを言った。

「サトシさんのその言葉が聞けて嬉しいです」

「……どういうこと?」

「もし、私が『ハナユとゆず』の編集長だと言ったらどうします?」

「そういうの要らないから」と僕は笑った。

 たしかに僕はメールのやりとりをするだけで実際に編集長とは会ったことがない。けれど、目の前に座るハルカちゃんの見た目は20代の女の子だ。どう見ても若すぎる。雑誌『ハナユとゆず』が創刊したのは今から10年前だ。その時ハルカちゃんは何歳だったんだっていう話になる。それを指摘するとハルカちゃんはムキになった。

「タイムスリップして来たかもしれないじゃないですか? それか不老不死の薬を飲んだかもしれないじゃないですか?」

「はいはい。ハルカちゃんお酒を飲み過ぎじゃない?」

 僕は店員さんを呼んでお水をもらった。

「そういえば、タケオはどこ行った?」

「誰の名前ですか?」

「僕の隣に座っていたタケオだよ」

「いないですよ。今日は私とサトシさんの2人で来たんです」

「そういうの要らないから」

 そう言う僕もいつの間にか酔いがまわるほどお酒を飲んでいたことに気がついた。

「俺がどうしたって? トイレに行ってた」

「もうタケオさん帰って来るの早いよー。もうちょっとでサトシさんを騙せそうだったのに」

「こんなんで僕が騙されるわけないじゃん」

「何かよくわかんないけどさ、もうちょっと3人で飲もうぜ」

 2032年の今。

 まだタイムマシンも開発されていないし、不老不死の薬なんかも存在しない。

 2022年のあの頃からほとんど変わっていない。

 創刊された『ハナユとゆず』が今も続いているだけ。

 居酒屋で楽しくお酒を飲みながら会話を弾ませている日常があるだけ。

 たったそれだけ。


『ハナユとゆず』横山 睦(むつみ)  3796字


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