「異星人とは暮らせない」 管野月子
季節は春。
桜が綻び、夜風に花の香りが滲む。ひらり、と舞う薄紅の小さな花びらは、コトミさんの心の欠片のように、俺の頬をそっと撫でながら足元に落ちた。
「ごめんなさい……やっぱり私、異星人とは暮らせない」
「……無理、なの?」
視線は流れる川面を見つめ、俺の方には向かない。
揺れて滲む街の明かりが、そのままコトミさんの心を現しているようだった。決して形を結ばないたゆたう光に、俺は無理を押し通すことはできないのだと知る。左手首にくるりと巻き付いていたPC1星人も、ため息をつくように頷いた。
「うん……わかった」
問いかけながら、答えを聞く前に俺は呟いていた。
ふ……と唇の端が上がって、コトミさんは瞼を閉じる。
「そうよね、わかってしまう。私の心は筒抜けだもの」
「そうでもないよ。コトミさん、心読まれるのあまり好きじゃなかったでしょう? だから俺、できるだけ聞き取らないようにしてた」
恋人の気持ちを読まないようにするって……それ、どうなんだろうと思う。けれどコトミさんからはほっと息をつくような、安堵するような思念が伝わって来た。
「……そう、優しいんだ」
囁くように言って、ちら、と俺の方に視線を流す。
綺麗な栗色の瞳だ。光の加減で緑も入って、その瞳に俺は惹かれた。大学の学祭で遊びに来ていたコトミさんと出店のトラブルが切っ掛けで知り合い、静かな話し方と責任感のある、年上の女性というところも惹かれた。
半同棲みたいな感じになったのは半年前。五歳差なんてたいしたことじゃないと思っていたのに、コトミさんはそうじゃなかったんだな……と、少し、思う。
「リョウは悪くないからね」
「うん」
そういうとこですよ。と言いたい気持ちを飲み込んで頷く。
コトミさんは、「それじぁ、ね」と短く、たぶん無理に、口元に笑みを浮かべてから背中を向け、通りの向こうへと歩いて行った。
そのまま手を上げ、タクシーを止めて乗り込む。最後まで振り返ることのなく乗り込んだ姿に続いて、ドアの閉まる音が夜の街にやけに大きく響いた。
あぁ……この人とはたぶんもう二度と、会えないんだな……と思わせる音。
街中を東西に流れる伴成川は、ずいぶん昔に整備された遊歩道沿いにあって、花の季節となれば訪れる人も多い。けれど今は深夜に近い時間のせいか、植木の根元でくつろぐ野良猫と遠くに一つ二つの人影がある他、周りには誰も居なかった。
俺の思念を感じて遠慮しているのなら、まぁ……お気遣いありがとう、って感じで。
「伴に成る川でお別れとか、笑う」
そばのベンチに腰掛け、夜空を見上げた。
街の灯りにも負けず、星が一つ二つと輝いているのが見える。月は……出ているはずだけれど、ビルの陰になっているのか俺の位置からは見えない。
2022年の1月、幅約1キロメートルに及ぶ小惑星が地球に接近した。もし地球を直撃したら軽く人類は絶滅できるサイズらしい。
けれど当時、地上を這いまわる者たちが騒いだかと言えばそうでもない。接近といってもその距離は約198万キロメートル。地球と月の五倍の距離なのだから、ちょっとニアミスするにも苦しい距離だ。事実、何事もなく小惑星は地球のそばを通過して、次に大接近するのは170年以上先なのだから、追っかけるのは天体に興味のある人ぐらいだろう。
俺たちの暮らしには、何ら影響を与えない――はずだった。
この小惑星から謎の飛行体が発射していたらしい……というのは、しばらく経ってからネットで噂されていたことだ。どれもがソースのあやしい情報で、所謂そういう都市伝説が好きな人たちの間で流行っていた、根も葉もない話だと思われていた。
地上に――PC1星人が現れるまでは。
小惑星から発射した飛行体が大気圏で燃え尽きることなく地上まで落ちて来てから、まぁ……それも最初はただの隕石落下程度の話だったのだけれど――やがてその周囲で不思議な生物が観測されるようになった。
ちょっと立派な白いエノキタケのような外観は、新種の茸と思われていたがそうじゃなかった。生物に寄生して相手の思念を読み取る異星人だったんだ。
人と呼ぶにはかなり無理のある外観の生物が、人の暮らしを大きく変えていくものになると……そう気がついて人々の間に知られた頃は、世界規模のパンデミックよろしく、多くの生物に取りついた後のことだった。
正直、寄生されたからって死ぬわけじゃない。
身体に重度の障害が発生するわけでもなく、全身茸だらけの茸星人になるわけでもない。寄生する方も宿主の邪魔にならないようにと奥ゆかしいところがあるらしくて、ちょっと大きめのエノキタケが一、二本、身体のどこかでゆらゆら揺れているといった程度だ。
俺も左手首の辺りに、二つのPC1星人が寄生している。
最近は除去手術も進んで、殆ど痕が残らない形で取ることもできるようになった。後遺症も特に無いらしい。今のところ。
そんな異星人というより、異星生物と物心ついた時から一緒に暮らしている俺は、こいつがいない状態というのを想像できない。
口うるさく喋るわけでもない。PC1星人は俺たち地球生物の心の動きを中継して、そのありようを観察するのが楽しい――つまり生存目的になっているという。時々、「今の感情は何?」と尋ねるように頭を向け思念を伝えてくる。その仕草はたしかに知的生物のように見えるから、人、というより相棒として俺も付き合ってきた。
耳に入ってくる音を生活の一部に感じるように、PC1星人を介して流れ込む思念は、俺にとって夏の蝉や秋の鈴虫と同程度のものだ。だから逆に相手が人だろうと動物だろうと、思念が伝わらない関係って寂しくないか? なんて感じてしまう。
そう思う世代を生きている。
当然、「心を読まれるのは嫌だ」という世代の人もいる。
コトミさんがその「嫌だ」と思う側の人だというのは、付き合い始めてわりと早いうちに気づいた。だから俺も、心の揺れに気づかないフリをしていた……だけれどな。
昔々、人々のコミュニケーションと言えば言葉と仕草だった。
そこから文字が発明されて手紙となり、電話が生まれて遠くの人とも話ができるようになった。電話は進化して携帯できるようになり、やがてインターネットの普及でメールだSNSだと、世界中どこでも瞬時に意思のやりとりができるようになった。
PC1星人の出現は、更にその一段階上のコミュニケーション手段だ。
テレパシーと言ってもいい、純粋な思念でのやり取り。表面を飾りたて嘘をついても、心の底で感じていることを知ることができる。
もう、虚栄を張る必要なんか無い。
そういう関係って、すごく信頼できる……と思うのが、俺たち異星人を受け入れた側の考え方。一方、「勝手に心を覗かれている」と拒絶感を持つ人も未だ多い。「異星人に思考を乗っ取られる」とかね。
拒絶感を持つ人たちは、PC1星人を駆除しようと決起して、今も世界規模で定期的にデモ活動が行われている。まぁ……嫌だと思うなら除去手術をすればいいのだから、そこは個人の自由だけど。
人に読まれて困る思念なんか無い。
そういう感覚自体が、もはや異星人なのだろうな……と思う。
人は綺麗な心ばかりじゃないから、読まれたくない思考もあるし、時には嘘をつかなくちゃいけない時もあるだろう。けれど卑屈だったり恨んだり、汚い部分も含めて受け入れたいし、相手を思う嘘ってなんだろう……と考える俺は、まだまだガキなのかもしれない。
いつか人の薄暗い部分を知っていくうちに、人の思念が流れ込んでくることを辛く思う時がくるのだろうか。
ふぅ……と息をつく。
ずっと止めていた煙草、また……始めようかな……なんて思う。
と同時に、ベンチのそばの桜が枝を震わせた。
煙草より花の香りの方がいいよ、と。見ればいつくかのPC1星人が枝に寄生していた。その隣の植木――葉の形から躑躅だろうか。同じようにもうすぐこっちも咲くから、また会いに来てよという思いが流れてきた。
彼女と別れた場所に、ちょくちょく足を運ぶのは辛いなぁ……。
なんて思うと、それじゃあ西の公園で藤が咲き始めるから行ってみな、と返る。どうも植物というものは皆、花の香りをかがせたいものらしい。競って香りを散らしては、そばにおいでよと呼びかける。
足元で「にゃあ」と猫が鳴いて、すり寄って来た。その尻尾のあたりにも小さなPC1星人がいる。
「なんだお前、本当に野良なのか?」
呼びかけながら抱き上げた。
色の薄いグレイ系。アメリカンショートヘアの……たぶん一歳になるかならないかだろう若い子だ。けっこう美人顔じゃないかと思うと、ドヤ顔で返された。
秋のはじめ頃に捨てられて、この冬を一匹で乗り切ったのだという。
雪の降る裏路地。乱暴な足音。余り物の食べ物を漁り、気まぐれに貰う優しさで命を繋いできた。恋人との別れを慰めるから、雨露をしのげる部屋が欲しいと言う。
「あぁ……俺のマンション、ペット可、だったかな?」
「にゃあ」
「黙ってればバレないって? あっちこっちでトイレや爪研ぎやられたら困るんだけど」
「うん、にゃ」
「はいはい、もちろんちゃんと用意するよ……って飼うの確定か?」
「にゃお!」
「わかった、ここで見捨てるなんて非道なことはしない。その代わり朝になったら、まず病院に連れて行くからな」
「んにゃぁぁあ!」
「拒否権無し」
笑いながら抱きかかえると、生き物のぬくもりと柔らかさがじんわりと胸にしみる。どれほど相手の心が読み取れるようになっても、このあたたかさは言葉に代えがたい。
腕に寄生したPC1星人が興味深そうに俺を見上げる。
「異種間同居って面白いんだけどな」
別れの寂しさは割れてしまったお気に入りのマグカップのように、胸に小さな罅割れと穴を開けても、そっと寄り添うものがいる。それに気づける時代は……けっこう幸せだな、と思うんだ。
『異星人とは暮らせない』管野月子(4061字)
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