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「ダイスキダ、ダイスキダ、ダイスキダ」 ぞぞ

「ワタシ、アナタガ、ダイスキデス」
 neKot(ねこっと)は、そう口にした。いや、口がないのに「口にした」はおかしいか。とにかく、亜美に向かって言った。
 読んでいた雑誌から視線を上げれば、骨組みの剥き出しになったロボットが、亜美の方へやってきた。「neKot(ねこっと)」とは言っても猫型などではなく、一般的な人型。動きはカクカクしていて曲線的なところがない。つまり、かわいくない。
「急に何?」
「ワタシ、アナタガ、ダイスキデス」
 はぁっと乱暴なため息が出る。
「同じこと、二度言わなくていい。なんでそんなこと言うんだって、訊いてんだよ」
「キレイ、ダカラデス」
 は? と零しそうになった途端に察しがついて、亜美は声を呑み込んだ。
 クソ、健斗の奴。
 心の中で悪態をつき、neKot(ねこっと)の方を向く。
「ロボットに、まともな美醜の感覚なんかないっての。妙なこと言ってると捨てるかんね」
 声を尖らせると、鉛色に光るボディが身をすくめる。変なとこばっか人間臭いな。こんなムカつく荷物置いてって、あのバカ、どこ行ったんだよ。再び健斗への不満が頭に去来する。そうして、今、健斗はどこにいるのだろうと、彼のことを考えた。

 健斗は亜美の弟だ。歳は一つ下。一年近く前、「最新の自立型ロボットだ」と言い、neKot(ねこっと)を買ってきた張本人でもある。
 彼は昔から亜美にベッタリで、「おねぇちゃん、おねぇちゃん」と、コロコロ転がる子犬みたいに後をついてきた。大きな目を三日月型に細め、「おねぇちゃん、大好き」とかわいらしい声でよく言った。
 しかし成長するにしたがい、健斗は嫌な雰囲気を帯びるようになっていった。
「姉ちゃん」
 亜美がクラスメイトに告白してフラれた時、夕日の当たる窓際に立ち、健斗が声をかけてきた。斜陽に照らされた横顔は金色に縁取られていて、まるで映画のワンシーンのようだった。
「またフラれたんだろ? 女らしくしないからだよ。せっかく綺麗なのに、もったいねぇ」
 言葉を紡ぎながら、健斗の口角は上がっていった。亜美の全てを見透かしているとでもいうような、嫌な笑みだった。
 彼の視線が痛くて、亜美は俯き「うるさい」と返した。悔しくて、涙が零れた。
 健斗の言う通り、亜美はあまり「女性らしい」タイプではなかった。負けん気が強くて勝負事にこだわるし、言動は豪快。よく「女っぽくなくて話しやすい」と言われ、自然と男友だちが集まってきた。けれど、誰かを好きになっても「男友だちみたいなモンだと思ってた」なんて言葉で毎回フラれた。亜美を拒んだ男たちは、その後、大抵かわいらしいカノジョを作っていた。
 一方の健斗は線の細い、綺麗な男に成長していった。中性的、という言葉は、この子のためにあるのだろうと思うくらいに。女っぽい、と言うよりは、男っぽさが薄い。色の白い滑らかそうな肌をしていて、髭や眉毛が目立たなくて、顔の輪郭は骨張ったものではなく、曲線的だった。だからか、年齢よりはるかに幼く見えた。言葉も行動も控えめで、亜美より余程、品がある。
 それで、いつしか健斗に見つめられると、自分の男っぽさを恥ずかしく思うようになった。亜美の心を知ってか知らずか、健斗は彼女をよく咎めた。女らしくしろよ、と。二年前、亜美が大学生の頃に両親が他界して以降、二人きりの家の中で、ずっと言われ続けた。女らしく、しろよ、と。

 余計なお世話だっての。

 つい声に出していたと気づいたのは、neKot(ねこっと)が近づいてきたからだ。ゼンマイ式のおもちゃみたいな音をたてながら。
「イツモ、ゴメンナサイ」
「は?」
 苛立ちで語気が強まった。
「あんたのことじゃないよ」
「ゴメンナサイ」
「だから謝らなくていい」
 応じながら、思い出した。そう言えば、健斗もしょっちゅう、よく分からないことで謝ってきた。

 いつも人を小馬鹿にしたような笑みを口元に浮かべていた健斗は、そのくせ、急に天敵に怯える小動物みたいになることがあった。あの日――亜美がクラスメイトに告白してフラれたあの日、夕日の差す窓辺に立った健斗は、意地の悪い笑みで口角を上げた。
「またフラれたんだろ? 女らしくしないからだよ。せっかく綺麗なのに、もったいねぇ」
「うるさい」
「泣くほど悔しいなら、それこそ女らしく――」
「うるさい!」
 健斗を遮った声は、ジィンとリビングの薄い壁を揺らした。亜美は健斗を睨み上げた。
「あたしが悔しいのは、あんたに『女らしく』なんて言われっからだよ。余計なお世話だっての」
 途端に、健斗の眉が八の字に歪んだ。今しがた、酷く傷つけられたとでも言いたげな表情だった。
「ごめん、姉ちゃん。でも、姉ちゃん綺麗なんだからさ、もっと――」
「そういうの嫌いなんだよ!」
 亜美が声を上げると、健斗は語尾のぼやけた頼りない声を呑み込んだ。そうして、いかにも被害者らしく俯いた。
「ごめん」
 なんなんだよ、と思った。自分から突っかかってきといて、悔し涙まで流させたくせに、かわいそうぶって。まるでこっちが虐めたかのようだ。
 健斗は何度か「ごめん」と言った後、部屋を出ていった。

 ゴメンナサイ。
 またneKot(ねこっと)が謝ってきた。健斗への苛立ちと、『女らしくない』ことへの理不尽な羞恥とが綯い交ぜになって、怒りが突き上げてくる。
「うるさい!」
 声を張ると同時に、亜美は手近にあったテレビリモコンを投げつけていた。 ガコン、と硬い音がする。
 すっと、胸のすく思いがした。
 ずっと、健斗にやってやりたかったことだった。でも、亜美は人に暴力なんて振るったことがなかったし、何より弟を「本当に」傷つけたくはなかった。被害者面したいならそうすればいいけれど、亜美の方が「本当に」自分から弟を傷つけたくはなかった。今となっては嫌なところしかなくとも、大事な弟には違いない。健斗への嫌悪感が体を走る度、亜美の脳裏には、目を三日月型に細めた幼い健斗の姿が浮かんでしまうのだ。見ているだけで、声を聞くだけで、表情が綻んでしまうくらい、かわいかった頃の弟が。亜美のことを、亜美の個性を、アイデンティティを、否定などしなかった弟が。
 neKot(ねこっと)は物をぶつけられても「ゴメンナサイ」と言うだけだった。
 亜美は、そうだ、と思う。こいつは生身の人間じゃない。何やったって、傷つきゃしない。猫っぽいとこなんか一つもないのにneKot(ねこっと)なんて妙な名前をつけられた、ただの機械だ。掃除機とか冷蔵庫とか、そういうのとおんなじ。その上、役に立つ物でもない。壊れたって、別に構わない。
 ただの機械に過ぎないと割り切ると、気持ちが大きくなった。
「あんた見てると、健斗のこと思い出してムカつく。あいつの部屋にでも入って、出てくんな」
 亜美は、neKot(ねこっと)を「Kento」と書かれたプレートの下がったドアの向こうへ、押し込めた。

 ゴメン、ネェチャン。

 暗い部屋に、neKot(ねこっと)の声が静かに響いた。

   *   *   *

 近年、自立型ロボットの普及により使われなくなってきたが、それでもアバターロボットは優れ物だ。仮想現実を体験できるVRゴーグルを装着するだけで、どこにいてもロボットの視界を通して作業ができる。マイクを付ければ自分の言葉をそのまましゃべらせることも可能だ。人間が操作するロボットの中では、最も重宝されるべき品だろう。
 健斗がこのロボットに目をつけたのは、一年前のことだった。AI搭載の自立型ロボットの精度が格段に上がった影響により、需要の低くなったアバターロボットが安く売り出された。これがあれば、姉を傷つけずに諭すことができるのではないかと考え、彼は即座に購入を決めた。
 健斗は、大好きな姉がくだらない男連中にフラれるのが我慢ならなかった。けれど、口を出せば余計に嫌な思いをさせてしまう。それならば、健斗自身は姉の側を離れ、アバターロボットを通して見守ろうと思ったのだ。もちろん、健斗が操作していると悟られないように。彼の言葉は素直に受け取ってもらえなくても、人工知能の備わったロボットという、自身とは何の縁もない者の言うことなら、大丈夫なのではないかと期待した。

 見当違いだった。

 分厚く、厳ついゴーグルを装着しているため、健斗の顔は上半分が隠れている。彼は薄く口を開き、声を発した。頬も口角もほとんど動かず、なんの表情も差さない。ただ、声だけが紡ぎ出されていた。
「大好きだ、大好きだ、大好きだ――」
 彼のいる場所から遠く離れた暗い部屋で、骨組みの剥き出しになったロボットも繰り返した。
「ダイスキダ、ダイスキダ、ダイスキダ――」


『ダイスキダ、ダイスキダ、ダイスキダ』ぞぞ(3528字)


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