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「君の町に僕ら手を貸して、」 子鹿白介

 秋空の下、子供たちの列の傍らで、寸胴なロボットが黄色い旗を掲げている。背丈は低く、白いボディは蛍光グリーンの反射材ステッカーで彩られていた。
 中学一年生の瓦 蒔星(かわら まきせ)は、自室の窓から朝の交差点を眺めていた。
 あれはボランティアの交通安全ロボット。半年前に蒔星が進学した後、配置されたのだった。
 ふと、どんよりした気分になる。
 平日の朝なのに、彼女が自室にこもっている理由。蒔星が学校へ行かなくなってから一週間が経っていた。
 背中から刺さった言葉を、思い起こす。
(……またアイツと仲良くしてるよ)(偽善者ってヤツなんじゃん?)
 クラスの輪から疎外されている同級生。ある昼休み、あの子に声をかけたことがきっかけで蒔星もまた、級友のグループから邪険にされ始めたのだった。
 そしてそれに耐えきれず、蒔星はひとり、登校できなくなってしまった。きっとあの子は変わらず、通学しているだろう。うつむいて、誰とも目を合わせないまま。
 失敗したと、みじめに思う。こういうのは要領いい人がやることで、容易に仲間外れにされる気弱な自分は、でしゃばるべきじゃなかったのだ。

 小学生は皆、登校していったようだ。
 窓から見下ろす視界の端で、ロボットは小さく佇んでいた。旗をしまい、不思議なことに、こちらへと左右の細いアームを挙げ、ぶんぶん振っている。
 蒔星は、はっと顔を上げた。ロボットはそれに反応したのか、両アームの肘を曲げ、頭の前まで手先を下げた。ファイト、とでも励ますように。
 ぽかんとする蒔星にもう一度だけ片手を振ると、ロボットは方向を変え、自走し出した。家々に遮られて見えなくなる。
 今、目にしたのは何だったのか。蒔星は困惑したが、嫌な気持ちではなかった。むしろ少し笑えるくらいだ。
 あのロボットには、落ち込んだ人を応援するAIでも搭載されているのか。もしくは、遠隔操作しているオペレータの気まぐれ?
 確認したくて、蒔星は追いかけることにした。
 パジャマから普段着になる。両親は仕事なのでドアに鍵をかけ、マンションの階段を駆け下りた。
 方角の見当をつけ、蒔星は走り出した。
 塞ぐ気持ちは、好奇心で少し晴れていた。

 すぐにロボットは見つかった。
 蒔星が追いついたとき、それは側溝にはまり、斜めに傾いたまま動けなくなっていた。
 空転する車輪。段差を乗り越えるためにある左右の小さな足も、片方が溝に入ってしまい、脱出不可能なようだった。
 蒔星は呆気にとられ、戸惑いの足取りで近寄る。
「あの……。手伝いましょうか?」
 ロボットはモーター音を止め、背面のカメラがこちらを見上げ、蒔星を認識したようだ。
『……オネガイシマス』
 スピーカー音声でロボットは返事した。
 試しにロボットの胴体を両手で引っ張ると、その重量は意外に軽く、傾きを直すことができた。路面へ接地した途端に車輪を駆動させ、ロボットは側溝から逃れ出た。
 やった。小声で歓声を上げる蒔星。
 道路へ復帰したロボットは、蒔星に向き直った。今度は正面のカメラが彼女へ向く。
『アリガトウゴザイマス』
 ロボットは足を使って全身を前にかしげ、おじぎしてきた。ボディの脇には、くっきりとした〝非営利法人 為善機関〟のプリント。
 記憶が確かなら、ボランティア団体の名前だ。ロボットやドローンを使って、通学補助の他にもいろんな活動をしているらしい。
 地域活動の担い手は不足の一途なのだ。それこそ、猫の手も借りたいくらいに。
「どういたしまして」
 蒔星は得意になり、鷹揚に頷き返した。
 ロボットがそそくさと背を向け、離れていくのを見送りながら、蒔星は思い出す。なぜ自分にエールを送ってくれたのか、確かめたかったのだ。
 早歩きで追う途中、さらに気になることが起きた。ロボットの頭が持ち上がって開く。地面からアームでつまみ上げた何かを、ボディの中へと放り込む。
 近寄ってよく見ると、ボディは空洞で、中にはゴミ袋が広げられていた。
 少し進んでは再び、道の隅から拾った空き箱を体内のゴミ袋に入れる。
「いつもゴミを拾ってくれてるの?」
『ハイ。クリーン活動ノ、一環デス』
 ロボットと蒔星は、ゆっくりと駅の方へ向かっていった。


 道中のゴミを集めつつ、駅前の商店街に辿り着いた。
 ロボットは路地に入って裏道へ出ると、建物のひとつに向かった。
 三階建てで、屋上には大きなアンテナ。ガレージの正面シャッターが、胸の高さまで上がっている。
 外壁にはまたもや〝非営利法人 為善機関〟と刻印されたプレート。
 善を為す、という名前。嘘っぽさもありつつ、ストレートですごい名乗りだ、と蒔星は思う。
 自分は学校で、よかれと思って余計なことをしたのだと、我が身の恥ずかしさもぶり返してきた。
『ゴ協力アリガトウゴザイマス。当機関ノ見学ヲ、希望シマスカ?』
 思いがけない言葉をロボットが発した。つい頷いてしまう。
「……はい」
『ネコアレルギーハ、アリマセンカ?』
「えっ? あぁ、はい……」
 ロボットに続いて、蒔星はシャッターをくぐった。中は薄暗く、尻込みしかけたとき、
『こんにちは。はじめまして』
 同じ年頃だろうか。声変わり前の男子のような声がして――、奥の暗がりから歩み出てきたのは、白黒模様の猫だった。
「……お邪魔します」
 蒔星が呆然と応えると、
『僕の名前はグリフォン・レイン。為善機関のオペレーターです』
 白黒猫は朗らかに告げ、にわかに後ろ足で立ち上がると、前足を白い腹に沿えて、丁寧なおじぎをするのだった。

 蒔星が落ち着くのには、少し時間を要した。
 その混乱を察したのか、グリフォンと名乗った白黒猫は両手を曲げ、ファイト、のジェスチャーをした。
「!!」
 思わず蒔星は声を上げ、猫が嬉しげに頷いた。
「君がロボットを動かしてたの!?」
『そうそう! さっきはありがとう!』
 どちらからともなく、砕けた口調になっていた。
『毎日あの辺りで仕事してるんだけど、最近は君、ずっと家にいたでしょ? 気になっちゃって!』
 来てくれるなんて思わなかった。そうグリフォンは続けた。
 蒔星こそ、見知らぬ猫に心配されるなんて、想像もしないことだった。
 彼は丸々とした目で蒔星の顔を覗き込み、訊ねてくる。
『……君の名前、きいてもいい?』
 丸っこい口の動きを蒔星は見つつ、
「……瓦、蒔星」
『マキセって、珍しい名前だね。僕はグリィって呼んで。ニックネームなんだ』
 グリィは、胸の辺り――たすき掛けにしたケース内のスマートフォン画面を、肉球で操作する。ガレージの電灯がついた。
 ガレージの隅には先ほどのロボットが停止していた。同じタイプの数台が、整然と並んでいる。
 その手前にはテーブルと、二脚の椅子が置いてあり、グリィは『どうぞ』と片方の椅子を勧めてきた。
 蒔星が座ると、彼も向かいの椅子に乗り、四つ足で着席した。テーブルの上にはボトル缶の紅茶と、お手ふきが用意してあった。
 ガレージの奥にあるドアが開き、黒猫が出てきた。
 グリィと蒔星に向け、にゃあと一声鳴いてから、先ほど帰ったロボットの頭を開け、中からゴミ袋を引っ張り出して、ドアの向こうへ運んでいった。
「――ここではみんな、その、猫が働いてるの?」
『そうだよ。僕たちや、リーダーの〝ミケ〟も』
 座ると顔が近くなる。グリィは赤い首輪をしていた。
 グリィが口を動かすとき、声にならない小さな鳴き声を発しているのもわかった。彼の鳴き声に合わせて、人間の言葉が首輪から出力されるのだ。同時翻訳機ということだろう。
「どうして、そんなことができるの?」
 他の猫たちと、なにが違うのか。
『――ステアライズ処置って、知ってる?』
 蒔星は知らなかった。グリィは説明する。

 それは獣害対策のため、野生動物の増加を防ぐ手段。
 対象に特殊な薬剤を投与し、不可逆的に生殖能力を奪うのだ。しかも一定期間は同種の仲間へ効果が伝染するため、画期的な対策といわれている。
 最近では野生のカラスからヒグマまで、人間と生活圏が近い害獣へ、ステアライズ処置は施されているのだ。
『野良猫だった僕らも、処置を受けたんだ。注射器みたいな銃弾で撃たれてね。だけどそれには副作用があった。
 処置を受けてしばらくすると、僕たちは変化した。より器用に、思考は人間的に。その変化に戸惑ってた僕らを、ミケがスカウトしてくれたってわけ。
 どうして一部の猫だけ、こんな副作用が起きてるのか。……それはミケも知らないらしい』
 怪談話でも締めるように、重々しくグリィは言った。
「……でも、だからってどうして、ボランティア活動をしてるの? こんな場所までつくって」
 蒔星の頭は質問だらけだった。
 グリィは少し困った様子だ。
『為善機関って大げさな名前だけど、社会と関わっていくために良いことをするっていうのが、僕たちの目的なんだ。人の社会で、自分が望む居場所を得るには、誰かの役に立つことが必要でしょ?』
 その言葉は無邪気で、悪意は感じないが、蒔星にはつらかった。
『でも僕はそれとは別に、楽しくてやってる。わくわく、ドキドキするんだ。ロボットを動かしたり、子供たちを見送ったり、』
 興奮気味に語るのをやめて、グリィは顔を伏せる蒔星に気づいた。
『……それに、家で元気なさそうにしてる子を、内緒でお茶に誘うのも』
 上目遣いでグリィは言って、蒔星は目をしばたたいた。
『君の話、聞かせてもらってもいい? 嫌じゃなければ』
「……聞いてくれるの?」
『もちろん』

 蒔星は順番に話した。
 中学校のクラスで、同級生のひとりがひどいあだ名をつけられ、からかわれていたこと。
 彼女はいつもうつむいて、誰とも話さなくなっていたこと。
 とても見ていられず蒔星は、彼女へ話しかけるようになったこと。
 仲良くなれたような気もしたが、それが確かかはわからない。思いもよらずクラスのグループから蒔星は無視され、陰口を言われ、怖くなり学校に行けなくなってしまったから――。
 よく考えずに関わって、後悔していることを、最後に蒔星は付け足した。
 行動を間違ったのだから、居場所がないのもしょうがない、と。

 テーブルの上で握りしめた手に、不意に白黒猫の手が、そっと重ねられた。
『大切なのは――僕が君の話で大切だと思うのは、君がその子の心の助けになろうとしたことと、自分の気持ちに嘘をつかなかった。そのことだよ』
 中学校のことなど詳しくは知らないだろう。言葉を選びながら、それでもはっきり、グリィは言った。
『間違いだなんて誰も言えない。優しい、良いことをしたって、僕は思う』
 真ん丸く黒い目が、真っ直ぐ自分を見つめていることに気づき、蒔星はまた目を伏せて、でも胸の奥が温かいのが、不思議だった。


 オフィスの見学をするようグリィに勧められたが、蒔星は帰ることにした。泣き腫らした目で他の猫たちに会うのは、恥ずかしかった。
 秋晴れの帰路を歩きつつ、もらった紅茶と、グリィの名刺を両手で握る。連絡先と、猫の手マークが捺された紙片。
 くすぐったい気持ちと、勇気が湧いてくるのを、蒔星は感じずにいられなかった。

『君の町に僕ら手を貸して、』子鹿白介(4499字)


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