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「無理せずに痩せる方法」 須藤古都離

「本気で痩せたいなら私に聞いてよね! なんてったって、デブは誰よりもダイエットに詳しいんだから!」
 私の記憶に鮮やかに残っているのは、そうやって程よく膨れた腹をポンと叩いてみせた夏海の堂々とした態度だった。裏表がなく、よく冗談を言う夏海は男子からは人気がなかったものの、皆から好かれる子だった。
 中学二年の年末に太ってしまった私は、どうにか痩せたいと思って夏海に相談してみたのだが、夏海の言葉は説得力があるのかないのか判断がつかないもので困惑させられた。
 夏海はその言葉の通り、ダイエットの方法をよく知っていた。一緒にいろいろと試してみたが、お互いに痩せることなどなかった。運動した記憶よりも、お菓子を食べて雑談した思い出の方が多いのだから、当然の結果とも言えるかもしれない。
夏海と初めて出会った小学生の時から、高校を卒業して離れることになるまで、夏海はずっとぽっちゃり体型のままだった。

 そんな夏海が痩せているのを見て、私は、というより同窓会に出席していた皆が驚いた。もちろん、私たちはもう三十七歳にもなっているのだから、劇的に変化していてもおかしくない。サッカー部のキャプテンで人気者だった高橋君はすっかり中年太りのサラリーマンだし、学年で一番派手なギャルだった美奈子は三児の母として所帯じみた落ち着きがあった。誰もが昔の面影を残しつつも変わっている中で、夏海の変化は特に目を引いた。
 饅頭のようにふっくらしていた夏海の頬は、顎まですっきりとした線を描いていた。まるでプロレスラーの腕のように迫力があった脚が、今では嘘みたいなスキニージーンズを履いていた。
 中学生の時はデブだ、ブスだ、と散々に夏海を馬鹿にしていた男たちが、二十年以上の歳月を経て、今は夏海の注目を引こうと必死になっているのを見て、私はなんだか虚しさを感じてしまった。

「ねえ、紗子。久しぶりに会えて本当に嬉しかったね」同窓会が終わると、夏海は私の腕に抱きついてきた。彼女の息が爽やかなミントの香りで、私はハッとした。それはマウスウォッシュのようなもので誤魔化した香りではなかった。
 恐らく夏海は食事もアルコールも全く口にしていなかったのだ。夏海は我慢して無理なダイエットをしているのだ、私は咄嗟にそう思った。もしかしたら、ずっと食事を減らしてきたのかもしれない。
「ホントに久しぶりだよね。夏海は随分変わったよね。びっくりしちゃった」私は胸中の心配を隠しながら話した。
「どうやって痩せたか知りたい?」夏海は私の心配をよそに、秘密を話したくて仕方ないと言うような口調だった。私は素直に首を縦に振って、「うんうん、教えてよ」と夏海を促した。
「私ってさ、昔はダイエットっていつも失敗してたじゃん、覚えてる?」
「覚えてるかって、ダイエットに失敗してる夏海しか覚えてないよ」私がそう言うと、夏海は嬉しそうに私の背中をバシバシと叩いた。
「そうなのよ、万年デブス。だってご飯が美味しいから、我慢ができなかったんだもん。でもね、今は我慢しなくていいようになったの」
「どういうこと?」
「炭水化物とか甘いものって、どうしても食べたくなっちゃうじゃん? それって人間の脳が糖分を求めちゃうからなのよ。昔は糖分が貴重だったからそれで良かったんだけど、現代じゃあ糖分なんて余分に手に入っちゃうじゃない? 脳が送る信号ってのは古代から変わってなくて、現代社会の食事状況にアップデートできてないわけ。だから、それを調整してもらったのよ」
「調整するって、そんなことできるの?」
「そんなに難しいことじゃないみたい。って言っても私にはチンプンカンプンだけど、脳内の報酬を変える? とかって先生は言ってたよ。私の脳が糖分を求めないようにしてもらったの」
「じゃあ、ご飯とか甘いものを食べても美味しいって感じないってこと?」
「美味しくないどころか、口にも入れたくない感じ」
「そうなんだ……」そんな人生が楽しいものなのか私には分からないが、本人は気分よく話しているようなので、言葉を失ってしまった。
「美容関係の先生が新しく始めたダイエットのための手術なんだけど、本当に無理しないで簡単に瘦せられるから、ビックリよ。最初は私のダイエットだけだったんだけど、あまりにもうまくいったから、子供たちも手術してもらったのよ」「え? 子供たちにもダイエットさせてるの?」
「違うわよ。長男の孝明は全然勉強してくれないから、勉強することが楽しいように報酬系を変えてもらったの。それから次男の吉彦はゲームしてばっかりだから、運動をするようにって」
「そんなことって出来るの?」
「本当は先生の専門外だからダメって言われたんだけど、どうしてもって言ったらやってくれる先生を教えてくれたの。手術をした翌日から二人ともすごく変わった。孝明は起きてる間はずっと勉強してて、学年で一番の成績だし。吉彦も近所の野球チームに入れてもらって、誰よりも熱心に練習してるの。もう二人ともすごく出来のいい子になっちゃったから将来が楽しみ!」
「そうなんだ、そんな凄い手術があるなんて知らなかった」
「紗子も考えてみたら? 簡単に痩せられるの。甘いものを食べたいと思わないんだもん」

 私たち二人は近くの駅までそんな話をしながら歩いた。雲の無い夜空に星が輝いている。ひんやりとした空気が入らないように、私はコートの前を閉めた。いつの間にか二十年という時間が過ぎ去ってしまったことが、私には信じられなかった。私は仕事に追われて一日一日を精一杯暮らしてきただけだ。
 あの夏海が痩せて奇麗になった。二人も子供がいて、みんな手術のお陰で明るい未来が約束されている。それに比べて私には恋人もいないし、明るい将来を思い描くことさえ難しい。楽しそうに話す夏海が羨ましかった。駅に着いて夏海と別れると、私は深くため息をついた。

 *******

「紗子さんって、思ってたよりいっぱい食べるんですね」同じ部署の後輩である中川がぽろっとこぼした一言に、私はドキリとして思わず箸を止めた。職場のカフェテリアで一緒にランチを食べていたのだが、中川が食べているのはサンドイッチに海藻サラダ。対して私は親子丼にミニ蕎麦がセットでついている定食だ。「え? そうかな?」私は焦って中川に尋ねた。まだ二十代後半の中川は肌の艶も良いし、スラっとした体形だ。
「紗子さんの食べ方ってガツガツしてて男の人みたいだなって。私はそういうの良いと思いますけどね。本当に美味しそうに食べてるんで、一緒にランチしてると楽しいですよ」中川はフォローするように言ってくれたが、食べ方が男のようだというのはどう考えても褒められている感じがしなかった。私はその日の午後は仕事に集中できなかった。
 夏海と再会した同窓会から既に五年が経っていたが、私はあの時の彼女の話をたまに思い出していた。彼女が言っていた手術の話、無理しないで痩せられる方法のことを。
 私は思い切ってその日の夜に夏海に電話をかけてみた。世間話を少ししてから、ちょっと会って話がしたいと夏海をランチに誘った。

 週末、待ち合わせ場所の駅前で待っていると、浮浪者みたいな雰囲気の人が近づいてきた。不快に思ってそちらに視線をやると、なんと夏海その人であった。以前のように健康的な痩せ方ではなく、病的な外見だった。艶を失った髪はボサボサで汚く、服装も何日も洗濯をしていないような不潔感が漂っていた。
「夏海? 久しぶりだね。ちょっと雰囲気変わった?」私はなんとか動揺を隠そうとして口を開いた。
「紗子、会えてよかった……」夏海は私を見ると、震える声を出した。私は夏海の余りの変わりように驚いた。近場の喫茶店にでも入ろうかと思っていたのだが、夏海の恰好があまりにも汚いので、近所の公園まで少し歩くことにした。
「全部、あの手術のせいなの。あれのせいで私の家族はダメになっちゃったの」公園のベンチに座るなり、夏海は一人でに喋りだした。
「甘いものが食べたくなくなったのは、最初は我慢できてたの。その分痩せて奇麗になってたから。でも何を食べても美味しくないのはやっぱり苦しかった。だけど、別に私のことはどうでも良いの」夏海は下を俯きながらポロポロと涙を流しながら話した。
「長男は大学に入るまでは良かったの。成績はずっと良かったし、一流の大学に入学できて、家族みんなで喜んだんだけど。でも大学に入ってからは勉強するよりもパズルを解いてた方が楽しいって言いだしたの。そうしたら次の日から大学には行かずに、家でずっとパズルを解いてるだけの引きこもりになっちゃったの」
「そうなんだ……」
「次男はスポーツを楽しんでるかと思ったら、ルールとか試合結果に興味ないの。ただ体を動かせてれば良いみたいで、結局野球はやめちゃった。それからは一日中筋トレばっかりやって、疲労骨折を起こすまでやめないの。治療してリハビリしても、また別の個所が壊れるまでオーバーワークしちゃうの。こんなことになるなんて思いもしなかった」
「もう一回手術して元に戻せないの?」
「もともと違法な手術だったみたいで、もうどこにもこの手術をしてくれる先生がいないの……」
 よくよく聞いてみれば、夏海の子供たちは一種の依存症のようなものだと私には思えた。それならば、依存症の治療をしてみればどうかと提案してみたが、夏海は全く聞き入れなかった。子供たちは今まで何かを我慢をしたことも、自分がしたくないことをしたこともない。治療なんて無理だ、と言うのだ。
 私たちは夕方まで話をして、「また会おうね」と社交辞令のように言い合ってから別れた。
 私はすっかり疲れ切ってしまい、特盛のラーメンでも食べたい気分だったが、なんとなく我慢して軽めの夕食で済ませた。たとえお腹がいっぱいにならなくても、美味しいご飯が食べられるだけで幸せな気がした。


『無理せずに痩せる方法』須藤古都離(3999文字)



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