自分にとって絵というものは
私にとって「絵」はなんなのか、というのを最近考える。
遡って思い出すと、絵が自分の人生の中心に位置したのは、多分あの時…小学生の絵のコンクールで自由すぎる絵を描いて、なんかに入賞してメダルをもらった時からだったと思う。
私にとって、頭の中にある画を再現するのが「絵」だった。同じく、頭に浮かんだ新規のアイデアを再現するのも絵しかないと思っていた。また、アイデアにストーリーがあるなら漫画でしか表現してはいけないとも思っていた。
しかし最近になって、実はそうでもないらしいということが分かってきた。noteで書いた文章が、自分にとって頭の中にあるアイデアをほぼ完璧に出力できていると気づいたからである。
面白いと思ったことを表現する方法は、絵以外にもめちゃくちゃたくさんある。そして自分にとってむしろ絵という表現方法は不向きであると、今更ながら分かったのだ。
整理すると、自分の得意なことは、完成までの道のりが一本道で教科書的なものが多い。文章を上からバーっと書くことや、下書きなしで絵を描くこと、最近だとLive2Dなんかもめちゃくちゃ得意だと判明した。やるべき行程が一本しかないから得意なのだと思う。というか、これらは後々修正が効くというか、簡単にいうと計算ができなくても何とかなるのだ。
逆に、工作は以前から何度も挫折している。以前、どうしてもフィギュアが作りたくていろんなブログを見漁り、いろんな動画をみて道具を買い揃えてみたことがあった。しかし数ヶ月取り組んでは何かしらで失敗して辞めてしまう。これは工作に対する成功体験の少なさがそうさせるのだとは思うが、単に生まれつき苦手なのだとも思う。自分の思い通りにならないことが多すぎるし、あらかじめやっておかなければならないことが多いので、常に少し先の未来を想像しなければならない。そして自分の手から出来上がる立体物は完璧でないのも苦手な一因だ。(多分私のこの気質がよくないのだと思うが。)
最近、ものすごいクオリティのコスプレ衣装を一から作る動画を見たのだが、眺めているだけで頭が痛くなった。なんでこんな複雑なことを高クオリティで出来るんだ。私がもしこの衣装を一から自分で作れと言われたら、色々と頭で計画を練って途中まではうまくいくものの、考えてなかった物理法則とかで何かしら失敗してなし崩しに諦めてしまうだろう。逆に、この動画通りにやってみてと言われれば人並みくらいには仕上げられると思うが、それって全然意味がない。自分の頭で考えたアイデアは他人が作成順序を決めてはくれないからだ。
頭の中と出力媒体との距離が近ければ近いほど自分には向いているのだと思う。その点絵というものは、頭の中を出力するまでの道のりが割と遠い方だと思う。他人にアイデアを伝えることには適していても、なかなか自分の考えを完璧に出力することはできない。自分の欲する表現方法に合わないものだと今は思う。だが、自分には絵しかないと思っていたから絵を描き続けていた。
絵を描くことは濁っている。私たちは現実で、現実のものに触れて生きている。現実のものを元にした頭の中で泳いで、何かを掴んだとき、それがどんな形をしているかをもう一度こちらの世界で説明しなければならない。やればやるほど現実が混ざって濁っていく。
絵は呪いだ。ずっとそう思いながら生きてきた。頭の中にある画通りの絵は、滅多に描くことができない。私にとって絵はそのための手段なのに。その気持ち悪さは段々と自分に「もっとうまい絵を描けるようにならなくちゃ、この世のものを何でも描けるようにならなくちゃ」という考えを植え付けていた。苦しかった。多分、この考え自体は間違っていない。けれど本当に苦しかった。自分の絵が誰にどう評価されようとも納得できなかった。
よく、自分が描きたい絵柄の絵師のペン設定をどうにか探し出したり、トーンの貼り方がどうなっているのか考えて再現しようとしたりした。「それっぽい!」と思えて頭の中にある画とほぼ同じならば、自分に画力がなくてもまあ許せたのだ。初めてクリスタを使ったとき、表現したい絵師のペンがいっぱいある!と最高の気分になったりもした。模倣することが嬉しかったのではなくて、頭の中にある画を出力できることが本当に嬉しかったのだ。
しかしある時、何も考えずに自分の気持ちの良い線を描いてみようと思った。そしたら、初めて自分の絵に対して「可愛い」と思うことができた。頭の中にある画ではなかったけど、偶然出来上がった可愛い絵が自分の手から生まれたものだと思うとなんとも言えない気分だった。
そのあたりから現在にかけて、自分の人生の中心にあるものは「絵」ではなくて「アイデア」なのかもしれないと思い始めた。そうしたら楽になったのだ。
自分にとって絵というものは、唯一の手段だった。けれど今自分にとって絵は、自分の頭とは離れた場所で生まれる偶然の産物となった。
過去の自分の絵よりも、今の自分の絵の方が好きだ。描くときも楽しんで描いているし、完璧じゃないけど良いと思うからだ。
中学生の頃、いろんな写真を模写しながら、早く全部のものが描けるようになっていてくださいと未来の自分にお願いしていた。未来の自分は全部のものが描けるようになっているかなと思いを馳せたりもした。
ほんと当時の自分にはごめんって感じだ。けどこれからも描き続けるだろうから、当時の自分が待ち望んだ時もいずれ来るかもしれない。まあ今の自分としては、もう全然そんなことはどうでもよくて、今やってることが終わったら次は何をしようということばかりだ。
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