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あなたにカランコエの花をあげたい人は多くいる。

この作品が上映される場所には、きっと同じようにカミングアウトできない人もいると思う。私が一番に感じたことは、そんなあなたにカランコエの花をあげたい人は多くいるということわかってほしい、ということだ。

2021年5月22日から48時間限定で無料公開された短編映画「カランコエの花」。その感想をまとめます。さっそくネタバレを含みますので、まずは39分の短編映画ご覧くださいませ!

本作の振り返り

あらすじ
「うちのクラスにもいるんじゃないか?」
とある高校2年生のクラス。ある日唐突に『LGBTについて』の授業が行われた 。
しかし他のクラスではその授業は行われておらず、 生徒たちに疑念が生じる。
「うちのクラスにLGBTの人がいるんじゃないか?」生徒らの日常に波紋が広がっていき…
思春期ならではの心の葛藤が 起こした行動とは…?
公式サイトより

レズビアンの生徒を肯定してあげようとした保健の先生の善意から始まった悲劇

LGBTについて、教育の場で教えることは、とても素晴らしいことだと思う。

ただ、深い知識なく、性別関係なく愛は素敵です!と伝えても、
小さなコミュニティであるクラスでは、犯人捜しのように男子生徒が面白おかしくLGBTQ当事者を探し始め、
クラスメイトは当事者が悩んでいることを知っていてもどうやってサポートすればよいか思い悩み、
終盤、当事者を守ろうと主役が発したのは「この子はレズビアンじゃない」というレズビアンじゃ何か問題でもあるような言葉、

結果として、先生も生徒も、誰一人、彼女の支えにはなれていなかった。

そして、彼女は居場所をなくした。

本作の考察と感想

本作は、教育の場にLGBTという言葉も出なかった時代と、LGBTQが当たり前の時代の過渡期に生まれた、感覚感情だけでのLGBTQサポート問題点をはっきりと表現しているように思えた。

LGBTを肯定する先生はとても素敵だけど、
今まで歴史的にどんな悲劇的なことが起こってきて、
今当事者はどのような状況に置かれているのか、
そして当事者じゃない人はどのように向き合えばよいのか等、

今まで通り、深い知識が広がる機会が足りていなかったり、制度がなかったりすることが続けば、この過渡期は永遠に終わらない。

1人の命や人生を守るために、じっくり知って、考える時間をとることはできないのかな。

特に、本作でも描かれた教育の場では、その時間がより一層大切になると思う。当事者の子にとっても、そうではない子にとっても。

あともう少し、簡単に思ったことを3つ箇条書き程度に書かせてください。

①"正しい"対応

本作は、基本的に当事者にとって優しい対応が少ないと感じていて、

LGBTQに対して知識がない人だと、
これが"正解の対応"みたいな、わかりやすい表現が少ないから、
「これだからLGBTQに触れると炎上するからやめとけ」といったハレモノを扱う発想になりかねない危険性を感じる。

ただ本作は、映画内で描くのではなく、上映後のディスカッション、研修みたいな時間で、きちんと考える時間が用意されていることを想定したつくりになっている気がしました。

きっとじっくり学ぶ機会、考える機会があれば、そんな発想にはならないはず。

②レズビアンなんかじゃないよ!の威力

小、中、高、大、職場のすべてのステージで、”オネェなの”と言われてきた自分は、そのたびに「そんなんじゃないよ」と否定し続けてきた。

日本では、当事者でも当事者じゃなくても、LGBTQを否定してしまう環境にまだまだあると思う。

でも、その言葉は、言った自分も、聞いた当事者も、アイデンティティを傷つけるんですよね…

そんななか、ジョージ・クルーニーさんの発言がとっても素敵で、こんな言葉あるんだって僕にとって衝撃的だったから、ぜひシェアしたいです。

惚れるわ。

③あのクラスに、まだいるかもしれない

僕が本作を見ている時、あの場に自分がいることを自動的に想像していた。

当事者探しに同じようにおびえながら、桜が表に出たことに、安心感からよかったと喜びを感じ、やっぱり誰かにセクシュアリティを打ち明けることなんて無理なんだと感じる。
そして、いずれ時間がたった時、生贄のように桜を見殺しにした自分を悔やむ。

桜が一番の被害者なのは間違いないけど、他にいたかもしれない当事者も、また当事者ではない子たちも、傷を背負うことになるかもしれない。

それもまた忘れちゃいけないと思う。

無料公開された意味

今回は、無料公開期間に見ましたが、無料公開になったのは、LGBTQ法案について、自民党内でLGBTQ差別発言があったからだと思われます。
以下は、問題の経緯に関する記事と、無料公開を開始した際の監督である中川氏のツイートです。


政治家がLGBTQへ差別的、批判的な態度を取ることが、桜のような子を苦しめる空気感を生み出しているし、桜を明確に守る法律一つないのが現状です。

でも、多くの人たちが必死に声を上げて、守ろうとしているのも事実です。

声を上げられずにいるLGBTQ当事者がいたなら、そんなあなたにカランコエの花をあげたい人は多くいるということを、どうかわかってほしいと思いました。


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